機能としての自分を生きる

自分とは機能

悟りを開いたから、、、この個人とは全く無縁に生きていく、、これは不可能です、、、名前としての自分、機能としての自分は存在します、、、この夢の中で。交通違反をして警察官に呼び止められているにも関わらず「自分は居ないから」と言って逃げれば捕まります。機能としての自分を果たしてしっかりと違反切符を切ってもらう方が楽です。つまり機能としての自分はしっかりと果たしていくことになるのです、夢の中で。

どんな機能を果たしたいですか???

思考が湧いてもただ全体から起こっただけ、行動が湧いてもただ全体から起こっただけ、、このように気づきの意識の立場で言動の観察を始めますと、、、空白の時間が増えていきます、、、、自称自分に全く邪魔されない時間が増えます、、、役割を果たす時間が増えていきます、機能としての自分を果たす時間が増えていくのです。その時に中から湧いてくる衝動こそが気づきの意識そのものの衝動、機能としての自分をいかに果たすかの衝動です。

全ては自分の捉え方次第

この個人絶対的に存在すると考えますと、、、思考の波に飲み込まれていきます、、、思考はこの個人の損得のために一日中フル活動しているのです、、、、これが個人で生きている人たちの苦しさなのです。全部の言動はただ全体から湧いている、、このような視点で言動を観察しますと、、、思考が湧いてこなくなります。。。思考は観察されると静かになるのです、、、その結果機能としての自分が果たす役割が増えていきます、、この状況は深刻さがなくただ楽しいが湧いてきます。

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