「優しい」人

優しいに個人をくっつけた

無我に入る習慣がある人、、、瞑想などで無我を過ごす機会が多い人は、、、、優しい人は多い、、例えば大谷翔平選手などは性格の良さが滲み出てますね、、、、無我に入る習慣があると、、、無我に直に触れていきますから万物の真理そのものが、、大谷翔平を演じているだけになっていきます。すると優しそう、性格が良さそう、、になります。優しいのは個人ではありません、、優しさ(真我)が、、大谷翔平を通じて話をしているのです。

性格が良いを演じても無駄

性格を良く見せよう、、、この試みがほぼ失敗に終わるのは、、、優しさとは作れるものではなく、、、どれだけ多くの時間を「優しさ」そのもので居れるかにかかっているからです。真の優しさとは真我、気づきの意識そのものであり、、、それを演じるのは不可能です、、触れる、、成る、、、時間を増やすしかありません。一瞥体験で、、、真理が分かってしまっても、、、真我になっている時間を作れない方は、、、「優しさ」が先行しません。

ただ「優しさ」に触れ続ける

性格が良いというのは、、、相手に損をさせないとか、、厳しい発言をしない、、とかそういうことではないのです。毎日の中で「優しさ」(真我)そのものになっている時間が長くあるか否かなのです。。。ですから優しくなるのは不可能です、、、優しさそのものになることは可能です。性格が良い人になろうとする試みは失敗に終わります。

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