進化向上

進化向上は森羅万象の動き

個人とは森羅万象のアイデアです、この個人には実態はありませんから、、この個人は森羅万象の動きそのもの、、森羅万象は変化し続けますからこの個人というアイデアも変わり続ける運命にあります、、これが進化向上です。個人とはいずれ解体され森羅万象のそのものになるわけですがそれが起きるまで進化向上が続くのです。

進化向上とは俯瞰のこと

小さな子供は砂遊びを毎日続けるうちに、、徐々に上手くなっていき、、大人でもできないような作品を作り上げ、やがて飽きて次の遊びにシフトします、、、これが進化向上です、、、、向上し飽きて次に向かう、、ただこれだけです、、、、アルバイトに慣れたら正社員になり、、正社員に慣れたら、、自営業者になり、、自営業者になれたら、、社長になり、、、社長に慣れたら会長になり、、、会長に慣れたら、、地域の自治会長になり、、地域に自治会長に慣れたら市長になり、、市長に慣れたら県知事になり、、県知事に慣れたら国会議員になり、、、

進化向上に抵抗する

進化向上が義務であり、、これが自然な流れです、、、ですがこの自然な流れの中で、、思考は食べれているならばそこに居座りたいが発生します、、、この進化向上VS現状維持の戦いが苦しみになります。進化向上が正しくて、現状維持が悪いのではありません。進化向上というベクトルと現状維持のベクトルの戦いが苦しみを生み出しているという真実があるのです。

思考との同一化は現状維持を強化する

多くの方は実は一日中思考していることに気付いていません、、思考していることに気付いていないということは、、思考と完全同一化しているということです、、独り言をずっと喋ってい老人は喋っていることに気付いていません、、、この状態です。。。思考は現状維持をしようとする機能ですからこの状態では進化向上の動きは完全にシャットアウトされ、、現状維持が続きます、、苦しいが湧き上がります。

思考が起きていることに気づくだけでいい

思考が起きていることに気づくだけで、、、思考への同一化は終わります、、、思考が気づかれずに同一化が強化されいつの間にか現状維持の強力なシステムに飲み込まれます、、進化向上が止まります。思考が実は一日中沸き続けている、、この事実に気づくのです、、、すると思考することに対して冷静な自分の存在が浮かび上がります、、、これが気づきの意識、進化向上の大元です。進化向上に対して思考の無意識の抵抗が終わります。

自分をどう定義するかで自分以外(世界)が定義される

世界とは自分以外の定義である

本当の世界を知りたければ本当の自分を知ることです、、、自分が定義されると、、自分以外が定義されます、、これが見える世界(自分以外)になります。私たちは世界を見る前に、、、自分を定義し、自分以外を定義することで、、、定義された世界を見ているのです。分離解離した世界が目の前に広がっているのは定義された世界を見ているからです。自分をどう定義するかで、、自分以外(世界)が定義され続けているのです。

自分の再定義は、、世界の再定義

自分をどう定義するかで見える世界(自分以外)が定義され、、それに反映した世界を自分が今見つめています。自分という定義が変わってしまえば、、見える世界(自分以外)も定義が自動的に変わるため、、変わってしまいます。小さな子供は自分というものを定義していないので、、、見える世界も定義されていないのです、ワンネスに生きています。

自分が見える世界全てだった

本当の自分とは見える世界(森羅万象)そのものです、、自分以外と思っていた世界が自分なのです、、そしてこれを見てきたかつての自分の体も森羅万象の現れ、、です、全部ひっくるめて自分です、神です、気づきの意識です。自分の再定義が完成しますと、、、自動的に自分以外が再定義されます、、今回にあっては自分以外は無くなるという再定義です。全部が自分だったという再定義が完成します、、、すると見える世界が変わっていきます。

欲しいモノがなくなる

欲しいは全部神の代替品

我々が何かを欲しがるのは全て神の代替品を求めています、、本当は神そのものを求め、、そしてそれが叶わないから次から次へと代替品に手を伸ばすのです、、、ところがそれらはどれだけ求め手に入れても全く満たされない、、なぜならば、、、本物ではないからです。。。求めているのは神なのです。

ではどうしたら神を手に入れることができるか?

ではどうしたら神を手に入れることができるのか???神を手に入れるためには、、、神は手に入れるものではなく、、、私自身が神になってしまうしかありません。個人が神を手に入れるのは不可能です、、、そうではなかう私が神だったっという究極の気づきに至る以外にないのです。私だと思っていた過去の存在は実は実在せず、、神そのものが人間に成り切っていただけなんだ、、という究極の気づきに至る以外にありません。

全感覚を神が所有していた

ステーキを食べたっ時の食感、香り、味、見た目、、全てを感じていたのが神だったのです、、、神が人間になり切って五感で全部の経験を所有していました、、これが神(空)に記憶され、、偽りの自己が作られ、、、この偽りの自己が体験を続けるというストーリーを神が作り上げていたのです。生まれた時から神であり、今も神です、そしてこれからも神、神でない時はなかったのです。

進学するか就職するか???

若い時期は悩む

進学すべきか、、就職すべきか????悩む。。。若い時期はとにかく悩みます、、、ですが、、、これを決めることができる個人は居ません、、、、全部森羅万象の現れです、、、個人が居るという感覚も森羅万象の現れです、、その個人が自由意志を行使できるという感覚も森羅万象の現れです、、、神羅万象の現れの共通点、、それは化学反応、縁起、因果の世界、、、です。。。反応が反応を起こし続けているだけの世界です。ここを見抜けない期間は「人が悩み続けるという現象」が起き続けます。

この仕組みに気づきの意識、空が気づく

悟りとは、、、気づきの意識の人間への同一化、、、からの同一化していることへの気づきが起き、、、同一化の終焉が起きることです。。。。全体、アイアム、気づきの意識が人間に同一化することでこの人間ゲームを堪能するわけですが、、、、この状態に気づき、、、、全体に戻る、、ことが悟りです。すると人間の動きも、この現実の動きも全部ただ森羅万象の動きであったことに気づき。。。。その中で分離錯覚しているというやはり現象が起きていたことにも気づきます。

なぜもっと早く気付けなかったのか????

違います、、、気づくのは気づきの意識です、、全体、アイアムです、、、人間はただの現象です、、現象が気づくのではありません、、、気づくことができるのは、、気づきの意識だけなのです、、、気づきの意識をコントロールできる存在は存在しません、、、気づきの意識が存在そのものだからです、、、、気づきがお遅い気づきの意識は居ないのです、、、気づきの意識は完璧なタイミングで気付いていきます。

否定できる現実が無い

全ての現象は森羅万象

我々が現実と呼んでいるこの現象は全部が全部森羅万象の現れです、、、森羅万象の現れでないものは一切ない、、、この森羅万象の現れを、、、我々の観念が物質化したのが現実と呼ばれている世界です。。完全なるユニティ、たった一つの世界を森羅万象、、、動きのある世界として経験しているのが我々の現実世界です。すると、、この森羅万象の動きにおいて否定すべき現象は一切ないことが理解できます、、、否定すべき現象と肯定すべき現象があるならば、、、森羅万象の一部を否定することになる、、、なぜ???森羅万象の動きにおいて否定すべき動きがあるならば、森羅万象は不完全であるということになるのです。

辛い、悲しい、しんどいも森羅万象の動き

辛い、悲しい、しんどいも、、、エネルギーです、エネルギーに言語を当てはめると、、悲しい、辛い、しんどいに変換されます、、、このエネルギーは完璧に森羅万象の現れです。。。この感情は否定すべきものでは絶対にないのです、、、では我々は悲しい、辛いをどう処理したらいいのか???完全なる無抵抗しかないのか???その通りです、、、、この悲しいが森羅万象の動きであることを悟るために悲しいというエネルギーが湧いているのです、、、無視するのではなく、、、そこを直視し、、森羅万象の現れが起きているという事実に向き合うのです。

現象を個人的に捉えると辛いが湧いてくる

老後のために二千万円貯めないと大変なことになりますよ、、、こんなニュースを観れば誰でも、、、しんどい、、が湧いてきますね、、、、実際には何が起きたのか??老後のために二千万円貯めないと大変なことになるというニュースが森羅万象の動きとして現れたのです、、あらゆる因果関係、縁起によって、化学反応によって、、このニュースが現象化したのです、、ただそれだけ、、、、では本当に老後二千万円貯めておかないと大変になるのか???全く分かりません、、、なぜならばそのニュースはただの現象だからです。

そこに向けて準備ができない自分はダメ

社会人として、分別ある大人として、、、老後のために準備ができない自分はダメ人間である、、、しっかりしなきゃ、、、これが間違った認識です。。。。我々の全動きは森羅万象の動きです、、、、老後のためにどういう動きをするかは森羅万象の動き次第なのです、、、今もその森羅万象の動きの中に居ます、つまり完璧なのです。。。一円たりとも老後のために貯めないが起きたら、、、それが森羅万象の動きなのです、、完璧です、、、1億老後のために貯めるが起きるかもしれません、、それも完璧です、、、一億円貯め込んで、、一円を使わずに脳出血で死んでも完璧です。

否定できる行動がない

森羅万象の動きを否定できる人間が居ても、、、その動きも森羅万象の動きです、、完璧です。。。ですが森羅万象の動きを否定している期間は少なくともこの真実を理解していない証拠です、、、イエスキリトとは処刑されましたが、、これも森羅万象の動きです、、、、ヒトラーが大量殺戮したのも森羅万象の動きです、、、マザーテレサの救援活動も森羅万象の動きです、、、

何でもできるようになる???

真逆

悟れば何でもできるようになる???真逆です、、、、機能としての自分しかそこに居ないという気づきです。。体が強い自分は、、この体を機能としとしてより役に立たせる方向に行くかもしれません、、、言語が得意な自分は、、言語を生かした機能といて役に立っていくかもしれません、、、自分とは機能に過ぎないという徹底的にドライな捉え方です。

機能になるのが気持ちが良い

歯車の一部、、、社会の歯車の一部になるのが面白くない、、、エゴはそう考えるでしょう、、、全く満足できないからです。。この自分を機能ではなく、、アイデンティティーとして捉えれば、、もっともっと自分を大きくしたくなるわけです、、、ですが機能に過ぎないのです。。この体は、、、、ですが今まで思っていたエゴとしての自分はこんな小さなものではなく全体、森羅万象全部、気づきの意識そのものなのです、、、体は機能に過ぎません、、ですから歯車の一部でしかありません。

意識と体の徹底分離

意識は壮大で全部、ですがこの体は社会の機能の一部でしかない、、これが事実、真実です。、、、ここを徹底的に分離させます、、、ここを分離できない場合、、、この体を大きく大きく見せようとする動きが始まりますがこれが苦しみのもとです。意識はこの宇宙、見える世界を今作り出している張本人です、、ですがこの体はその中の現象の一部でしかない、、どこまでいっても機能でしかありません。

虫が部屋に入ってくる

ただそれだけ、、

虫が部屋に入ってきただけなのに、、、それが楽しい、、、、将来に対する不安も過去に対する後悔も完全に無くなってしまった時に、、、見える世界が変わります、、、、平和そのもの、、、、ニュースを見れば、、毎日それでも騒々しいですが、、、全くそれで心が動かない、、、いや動けない、、そのニュースを聞いて判断を下せる自分がいないのですから。。。そんなことよりも、、、ただ景色が綺麗、ただ虫が面白い、、ただ鳥が美しいになっていきます。

年金が貰えなくなるよ!どうするの???

年金が将来、貰えないみたいだよ!!!どうするの????どうもこうもそれを判断する自分が居なければ、、自由意志もないのです、、、どうもできんのです!!、、、以上、、、これは何もかも情報を得ないことではありません、、、自分という機能としては情報を積極的に集めそれに備えることは勿論可能です、、ですがその動きが森羅万象の動きそのものしかないということです、、、

老後に向けて森羅万象が動くのかも

老後に向けて森羅万象の動きがあるかもしれませんし、ないかもしれません、、、それは森羅万象の動き次第なのです。これが究極の答えです、、その上であえて便宜上の意見があるとすれば、、、そこに向けて無我に入るということです、、老後に向けての貯金に対し無我に入って働くということです、、、無我に入って働けばそこから静寂、至福、平和に入れます。

言いたいことは分かった、、でも出来ない

分かったことは実践する

水への顔付けに成功すると、、泳げるようになりますよ!!、、、、言いたいことは分かった、、でもそれが出来ないんですよ、、、、この手の流れは頻繁にありますね、、、、顔付けって概念、思考ではないんですよね、、、顔つけって実践です、行為です、、、顔付けをもっとももっと分かりやすく説明して欲しい、、、というのは自我の遅延行為なんです、、、自我が、、、顔付けをしなくてもいい理由を探している時間なんです、、、これだけです、、、、でも、、この遅延行為も森羅万象からただ起きているんです、、それが悪いわけではありません。

森羅万象の遅延行為に飽きることが起きる

私って理屈ばかりこねて結局動けないんですよね、、、、ここまで分かっていて動けないのはまだ飽きていないからです、、、動けないことに、、、本当に飽きていたら、、、話にもしたくないものです。。。ですから全く問題がない、、、森羅万象の動きにただ従うのみです、、、本当の飽きが森羅万象から起きれば、、、次に進むのです。

出来ないことも森羅万象の動き

この世界の動きの全ては森羅万象の動きそのもの、、、良否、優劣、善悪などそもそも全くないのです、、、森羅万象の動きに優劣、善悪、良否の判断を下すのは人間としての自分だけです。自分の損得を勘定して判断を下しているだけなのです、、その判断には何の意味もないのです、自分以外に。究極の癒しとはそのことに気付いてしまうことで、、究極の安らぎとは、起こる全てに判断をしないことなのです。。森羅万象の動きがただそうだった、、終わり、、、です。

今幸せなのになぜ他に何かを求めるのか?

今この場で幸せになる

今この場で幸せになるのが難しくても、、今この場で不幸を終えることはできます。人の不幸は過去を後悔し将来を憂うのがほとんどです。これをこの瞬間に終わらせることができます、、、それが自由意志がないという真実です。。。自由意志がないのです、、、となれば刑務所に行こうと、一億円を儲けようと、、、全部この自分の責任、功績ではないということです。これで少なくとも過去を悔やむこと、将来を憂うということが出来なくなります。

人生から心配が消えてなくなる

自分の自由意志があり、、、これをフル発揮して少しでも良い人生を、、、こう多くの人は考えていますが、、、その自由意志が本当はないのです、、すると、、、人から見て良い人生になるかならないかは神任せ、風任せ、川任せになります、、、、どうやって期待をすることができるでしょうか???期待するだけ損です。将来を気に掛ける時間が損なのです。。。多くの方が億万長者に憧れるのは、、、将来の心配をしなくていいからですよね、、、、今それが出来るのです、、、最高ですよね。

心配と後悔が吹っ飛ぶと、自然とあるがままになる

あるがままに生きましょう、、、こんなスローガンを聞いても全く意味がないのは、、、将来不安、過去の後悔、、これが消えないからです、、、ですから先ずはこれを辞めちゃう、、辞めちゃうというよりも、、これが出来ないことを知る、、、すると全くやることがない、、、ということで、、、なすがまま、あるがままがスタートします、本当のあるがままの人生です。。何かを求める人生から、、ただ機能としての自分を楽しむあるがままの人生がスタートします。

今に居れないから、、、時間を気にする

今に居ることが出来れば将来不安はない

今に居ることができれば、、、その時その時にその行為に埋没すればいいだけです、、、仕事に入り無我になる、、作業に入り無我になる、、、読書を通じ無我になる、、、なんでも気が向くことに入り無我になればいいのです。。ここは静寂の場所、平和な場所、至福の場所です、、、、誰にも邪魔されません、、、ここに入れない人が、、将来を過剰に心配するのです。

後悔も心配もしなくていい

後悔も心配も自由意志があると信じているからこそです、、、ですが自由意志はありません、、、将来を左右するような決断を自分の意思では一切できないのです。。。これが真実です、、、、だとしたら一体何を心配し悩むことができるのでしょうか????無理です。。。。心配も後悔もできなくなると自然と今に居ることができるようになります、、小さな子供が今に居れるのは、、心配できないからです。

現象として幻想として情報を集める

株のブローカーであれば、、、情報を集めるのは当然のことです、、、この際にはこれは現象、幻想であることを見抜いて集めればいいのです、、、情報という現象から株を精査し次に買うべき株を吟味していきます、、、ですがこのことと、、、静寂、至福、平和とは全く関係がありません、、、静寂、至福、平和は時間ではなく今にしかないのです、、、、ここを理解し、、、情報収集を通じて無我に入ります、、、もしくは株に関して思考が湧いてきてもそこを気づきの意識として観察し今に入るのです。