ドロップアウト

多くの人々

多くの人々は実はドロップアウトしたことがありません。不登校になる、浪人する、大学中退、会社を首になる、アルバイトを首になる、、、大借金して破産、、、結婚詐欺に逢う、、、とにかく世の中の大悲惨と呼ばれるような事態に遭遇したことがないんです。だからいつかそうなるんじゃないかとビクビクしているのです。つまり人生のバンジージャンプを飛んだことがないわけです。だから怖いというジレンマに入ります。

飛んだことがないから怖い

面白いことに大惨事と呼ばれる出来事は人を救います、、大惨事が起こった翌日も、、、、何も変わらないように朝が来るのです。周囲が騒ぎ立てるほどに、、全くもって日常が変わらないのです。あれ???別に全然大したことないじゃん。。。が起こります。ということはこのバンジージャンプもいけんじゃね????が起こるんです、人生に。

それでも

それでも周囲の幻想は騒ぐでしょう、、本人がバンジージャンプをバンバン飛べば。ただそれでも何も問題が起きないのです、だってバンジージャンプを飛んでいる本人が全く怖くないのですから。そして周囲が怖がる理由が汲めるので、、、そこで揉めることもない。

恐れとはなんだ???

大惨事を恐れるこの感情とはいったい何なんでしょうか??????この体は現状を維持できていればそれでよく、、今が不幸だろうと実はどうでもいいのです。だから、、、楽しいと嬉しいとか、、ドキドキとか、、、そんな事件よりも何も変わらないを求めるのです。自我の現状維持システムです。ここを俯瞰できますと、、もう現状に留まろうという気持ちが馬鹿らしくなります。さっさと色々経験して、、、究極の俯瞰に辿り着きたくなるんです。

本当の問題

全然違う

もしももしも、、アイスコーヒーを飲んでいたら途中でそれが熱湯に変わった、、、蛇口を捻って水を飲んでいたらそれが石油だった、、、友人Aと遊んでいたら途中で友人Bに変わっていた、、、会社に行って帰ろうとしたら会社が別の会社になっていた、、、、、というよなとんでも現象が毎日毎日続いたらこれは問題です。パニックです。

それは起きない

問題というのは理解不能なパニック現象が連発する時、、これは困った!!!でいいと思います。ですが残念ながらそのようなことは起きないんです。今まで起きていないのですからこれからも起きないでしょう。我々の目の前に起こるのはこういうことではなく普通のことが起こるんです、、それを問題と捉える現象だけが起こります。

みんな

多くの方は、、普通の現象を問題と捉える遊びを一生しているのです。Yahooニュースの数々、会社の業績、会社の人間関係、旦那との関係、子供の成績、、、親の介護、、こういった普通の現象を問題と捉える遊びをして苦しみます。本当は全て現象です、今現れでた現象に過ぎません、今現れでた花の香りが素晴らしいように全現象は素晴らしいのです。今目の前の人の笑顔が素晴らしいのは今たった今それが現れでたからです。

問題

この世界で

この世界では実は問題は全く起きていません、、問題と呼ばれる現象は起きますがが、、、、それは全部個人にとって国民にとって、国家にとって、、、という主体客体の世界でのことです。ですがこれは全部後付け、、現象に後付けの意味を追いつけて、、「問題」と呼ぶのんです。実際には何も起きておらず、、ただ現象、生の現象のみが起こるのです。

生老病死

生老病死を問題と捉える考え方があるのであってこれは問題ではないんです、、、この世界で起こることを問題と捉える習慣が起こっただけです。野生動物は一度も問題を抱えずに死に絶えるのに、、人間だけが問題を引きずって生きるのです。問題と言うのはあくまでその人の解釈が起こす趣味です。現象は全て中立中庸であって、、そこには意味など最初からあるわけがないのです。

無知な人間が起こすこと

でも無知な人間が起こすことは問題って発生しますよね????違うんです。無知な人間だけが目の前に問題が起こるんです、、無知ではなく知の人間の前には現象は起こっても問題は起きません。え?????じゃあウクライナ紛争も問題ではないんですか??????ウクライナ紛争は今目の前で起こったならばそれは非常事態です、問題ではなく非常事態が起こったのだから逃げるだけです。

帝王学

由緒秘伝

超富豪の家には帝王学がありそこで生まれた子孫はその帝王学を学ばされます。そして多くの場合それに準じて富豪を継承できます。平民がこれに気づき、、これを採用し、、少数ですがそこから富豪に上り詰める人も居ます。ユダヤ人、架橋、、、あらゆる民族はこれらを共有して富を守っていたりします。これは本当の話です、実際に日本でも財閥系家系の出身者はそうやって自身の人生を選択したりします。

ですが

豊かになるのに本当はルールはありません、、ですがこうやったら豊かになるというルールを採用し、、それを実感できるレベルにまで落とし込めば、、確かにそれえによって豊かになれるでしょう、だって実感レベルにまで落とし込んだんですから。ですがここには大きな大きな大きな落とし穴があります。それは宇宙は本来ルールがないということです、、宇宙にはルールがないにも関わらずルールを作ったのです。するとこの不自然なルールは必ずこのルールを採用した人間を苦しめるのです。

見抜く

私は不思議で不思議で仕方がなかったんです、、なぜこの手の成功者が、、それほど幸福そうに見えないかが。。私がもしもその手の法則で億万長者になったならば喜びを抑えきれずにそこら中で叫んでいるような気がします。飲み屋で毎晩若者に講釈を垂れているでしょう。ところがそうでもない、、、つまりやっぱりルールはルールなんです。ルールはどこまでも人を苦しませるのです。

不可能

方便

悟りとは理解です、、宇宙全体の動きを完全に理解することです。これに関しては、、ここによって全くもって理解が違います。これには正式な階級がありません、ですからこの人は満点中何点という物差しがないのです。だからこそ悟りの伝達は個々によって完全に変わります。つまり悟りの説明は完全に方便になります。これは方便ですから全くもって「矛盾する」内容になる可能性があるのです。だからこそあらゆる本を読んで混乱する、、が起こるのです。

引き寄せの法則

引き寄せの法則というのがあります。。。。ハッキリいうと宇宙にはルールがないので、、そのようなルールは存在しません。もしあるとすればそのルールを作るということです、、そのルールを採用して実感のレベルにまで落としこめば、、、その通りになります。ですが重要なことは、、本当はルールはなく、、ルールは作り上げるものだという理解があるかです。宇宙の仕組みを理解してもらううえでこの引き寄せの法則は使えます、、ただそれは理解の途上で覚え最後は捨てるものです。

騙される

この世界には実はこういうルールがあって、、、本当に私それでお金持ちになったんです!!!!ここで騙されていけません、、、その方がそのルールを実感できるまで反復すれば本当に結果は出ます、だってそのルールを実感するまで試行したのですから。ただそれはその人がそこまでやったから実感レベルまで作り上げることができたから機能するのです。そして本当はそのようなルールは宇宙には存在しないので、、その人はそのルールで必ず苦しむのです。

エージェントスミスは怖くない

理解する

周囲の人間は全員がエージェントスミスです。このエージェントスミスは自我という存在によって動きますから、、全部が全部柔道で言えば対戦相手です。相手の手の内、相手の動機、相手の手捌きを完全に理解できれば全く怖い相手ではありません。もしも相手の手口を理解できないのならば「私」はまだ自我の活動を読めていないということ、私が驚くならば、、まだ自我の全てを把握できていないということです。つまり対戦相手に負けたのです。

ただただ観察する

相手の言動を読めないということは、、まだ見抜けていないということです。ですからそこを素直に認めて観察します。観察して観察してどのような動きがそこで起こっているかを見抜いていきます。見かけ上のこの「私」はエックハルトの本や悟り系の本は自我の活動原理を理解するのに大変役立ちました。だから徹底的にこれを読み込み書き込みました。徐々に徐々に理解が進んでいきます。

理解できない相手が現れたらラッキー

理解できない相手が現れたならば「ラッキー」です。なぜならば自我活動においてまだ俯瞰できていない箇所があるということです。自身のスコトーマ、心理的盲点が露出したのです。徹底的に学び観察し、、俯瞰していきます。俯瞰が高まっていきます。抽象度が上がっていきます。そして俯瞰の局地が訪れます、それが悟りです。もう何も疑問が湧いてこない状態です、エージェントスミスがもう現れないんです、、対戦相手の申し出がなくなっていきます。

自我の完全俯瞰

悟り

自我を完璧に理解すること=悟りです。エゴ、自我の活動を100%理解できればそれは悟りです。なぜか?????自我の観察は誰がやるのですか????自我ではありませんよ、、大いなる存在、全体です。つまり大いなる存在自体に落ち着かなければ、、、自我の観察は不可能なのです。そういう意味で自我活動の専門家になってしまうのは早道です。

人間ドラマ

自我は人間ドラマが大好きです、、朝起きてYahooニュースを見て見てください。。。。どうですか????あらゆる人間のドラマがそこには掲載されていますね。あの選手が、この有名人が、あの政治家が、あの経済人が、、、の連打、、、、、です。はい、これで私が誕生します。さあ私も今日を生きる、、が起こりますよ。

会社に行けば

会社に行けば、、あいつが、こいつが、、やらかしたらしい、、、の噂話のオンパレード、、、はい実写版人間ドラマです。なぜ会社が辛いのか???それは人間ドラマに入りこまされるからです。人間ドラマは、、入った時点で「苦しい」のです。では仕事できないじゃないか!!!!!できます、、人間ドラマを人間ドラマと見抜いてやるのです。人間ドラマと見抜き、、、人間ドラマに感情移入しないのです。

取引

自我は大好き

自我は取引が大好きです。私はこれをやるからあなたはこれをやってね。私はこうやって犠牲になるからあなたはこれをやってね。私は私は私は、、、、、取引には必ずこの「私」が登場し「あなた」が登場します。「私」の最大利益のために常に「私」は取引を行います。ですがこの「私」の存在こそが苦しみ、居心地の悪さを作り出していることには気づきません。

この取引を成功させれば

今回の取引では大成功を収めた、、だから次はもっと大きい取引を成功させて次こそは絶対に幸せになってやる!!!!、、、、ところがこの取引に注ぐ取引のラットレースは終わることがありません。なぜならば取引を成功させた「私」こそが最大の苦しみ製造機だからです。そこにいつか気づく、この「私」のための取引は終わりがないことを。そうやって「私」を俯瞰していくのです。「私」に気づく本当の私に落ち着きます。

取引の世界から

取引の世界の成功は全くもって幸福を約束してくれません。ですから、、そんなことからは卒業、、でいいのです。じゃあ、、取引しないで「私」は何をすればいいのですか?????悟るのです、究極の幸福発見でいいじゃないですか。というよりも自我の活動を俯瞰できれば勝手に自我は小さくなっていきます。自我の手口を完全に把握すれば、、自我は活動を停止せざるを得ません。

大嫌い

あの人だけは

悟りが開きますと、、本当の意味で人を嫌いになれなくなります。これは頭で考えて、、、「全部は一つだから、、この人も私であって、、、」ではありません。そうじゃなくて、、ただ単純に嫌いになれないのです。簡単に説明をすれば、、公園の花々を見て、、、「あの花だけは納得できない」は起きません。全部の花を愛おしく感じるはずです。これが起こるのです。いまここに全てがある、、これが肌感覚で分かってきますと、、奇跡が起こります。

判断

街を歩けば、、判断判断判断、、あの人は、この店は、、あの店ってどうよ、あの人の服装どうなの、、、が起き続けるでしょう。。。なぜか??????私も判断されてると思っているからです。判断されこっちも判断を下す、、、、、ですが、、、宇宙にはルールはないのです。宇宙は完全にノールール、、もしもその宇宙にルールを作れば、、、、そのルールによって、、私が苦しみます。

辞めてしまう

でも目的を達成するには「こうあるべき」って必要ですよね?????スポーツ選手は優勝するために「このぐらいは練習しなくては」をやってますよ。優勝のために、、、今日という日を犠牲にする価値ってあるんですか???その優勝は確実にあなたを生涯の至福に至らせますか???絶対にありません、、その結果が至福を約束することはないのです。ですから未来のために何を犠牲にするのは意味のないことです。今を充実させるために、、優勝という目標を持つことは楽しいかもしれません。ですが「絶対にこのぐらい練習しなくてはならない」というルールをこの世界に作れば、、必ずそのルールによって苦しむことになります。

いまここで結果(数字)に拘るというギャグ

これこそが結果(100点)

今日の営業成績、今月の売り上げ目標、、結果、結果、結果に拘る、、、、世の中ではこの手の話が横行しますよね。結局は結果を出さないとね、結果を差してから言って欲しい、、ゴタゴタ言っていないで結果を出せよ、、、全部ギャグです。いまここは常に100点なんです、100点満点です、この100点満点であることに本当の意味で気づけたら「結果を出す」ということに意識なんて向きません。二、三歳児に「結果は重要だから」と曰ってもまったくもって意味不明でしょう。なんのために???となります。

今を明日明後日の道具にしない

今は明日明後日とは全く次元が異なるものです、、明日、明後日は思考の産物、存在しない空想です。そのために今を犠牲にする、、今を明日明後日のために犠牲にするのは「私」です。「私」は常に明日明後日の犠牲にされます。明日と言えば「私」が登場するのです。常にこうやって「私」は犠牲にあっている、、「私」が生み出され「私」が犠牲にされるというストーリーを仕上げます。

黒帯になれば

悟りとは完全な理解ですから、、完全な理解の後に、、、結果が現れる可能性はあります。柔道を完全に理解すれば大会で優勝する可能性は高い、、ですからそれはご褒美として起こるかもしれない。ただしそれは結果を追い求めて今を犠牲にするのとは全くもって反対の話です。結果に拘る人は、、結果によって必ず苦しむことになります。自分が結果によって苦しむか、家族が結果を出せないことによって苦しむか、とにかく何かしらの形でそれによって苦しむのです。なぜならば宇宙にはルールはなく、そこに勝手にルールを作れば、、それによって苦しみむことになるからです。