自我とは嘘

この私

この私は、、一家の主人で、、会社の係長であり、、親にとっては息子であり、、子供にとっては親であり、、、地域の自治会長であり、、友人からは頼られる存在であり、、、、、、、これが私です。つまり私とは情報です。あらゆる関係性から導き出される情報のことです。そしてこの全情報は情報であって実在ではありません。私とは情報なのです。この情報を鮮明にイメージすることで全体にしっかりと認識され、、、それに付随して感情が生まれます。この感情が「苦しい」です。

私の成功方式

世間ではある程度の活躍を見せた人々は、、「私の成功法則」という本を出版しますが、、、内心では不安で不安で仕方がない、、、穴があったら隠れたいのです。なぜそのような本を出版したいかと言えば、、、その法則を確固たるものにしたいという不安から来ています。残念ながら、、、私の成功法則は、、、私を確実に苦しめることになるのです。

セルフイメージの拡大

成功して本を出せば、、、、その人の自我は急拡大します。。。半端なく大きなセルフイメージが完成します。するとどうなるか、、、そのセルフイメージに付随して思考、感情が湧くは湧くは、、です。つまりどうなるか????「苦しい」の連発です。「成功者」というセルフイメージは、、、、それでも全く満たされないことによって、、、、思考感情が暴れるのです。本当の自分とはこの思考感情が暴れるスペースです。

嘘の自我情報から抜ける

どこまでいっても自我とは嘘です、、、本当の私はスペースですから自我とは嘘なんです。この嘘から派生する思考も嘘、感情も嘘です。感情自体は嘘ではないのですが、、感情を生み出す思考が嘘なんです。だから思考に注力することも感情に注力することも実は無駄です。嘘に付随した思考、感情に注力するって意味不明ですね。

思考、感情

セルフイメージ

セルフイメージが固まりますと、、そのセルフイメージから派生してガンガン思考が湧きます、思考が湧けばそのに付随して感情が湧きます。セルフイメージに準じて思考、感情が湧くのです。「俺はビルの所有者だ」この認識が生まれればそれに付随して思考が湧き感情が湧きます。それが例え嘘の情報であったとしても、、本人がそう信じれば、、それに付随する思考、感情が湧くのです。

自我とはイメージ

自我とはイメージです、あなたはニューヨークにビルを所有し、資産が10億あって、お嬢様との許婚も決まっている、、、このようなことを嘘であっても吹き込まれれば、、これが自我になります。そしてそれを前提にした思考、感情が湧き続けるのです。だからこそ、、思考、そしてそれに付随する感情に、、注力し過ぎても意味がありません。俺の思考、、、これを本気で本気で大切にする必要がないのです。

じゃあ何を大切にするのか????

思考は嘘情報でもガンガン湧くのであり、、それを信じても無駄です。そして今我々に湧いている思考はまさに嘘情報によって生み出された思考、感情です。これを大真面目に扱うのは無駄なんです。では何を大切にするのか???それはその思考、感情が湧くスペースであり、、その思考感情を認識するスペースです。我々の本質はまさにこのスペースです。我々は思考から離れスペースに意識を戻した時に本当の安らぎ、歓喜、平和を手に入れることができます。嘘か本当か分からないセルフイメージから付随して湧く思考感情にフォーカスする意味は全くありません。

気づけ!!!

それイメージですから

あなたには言ってなかったけど、、「あのビルは私の家族のものなの」、、、、、これを物心ついた時に告げられれば、、、、、「マジか!!!、え???じゃあ俺って金持ちで実は働く必要すらないんじゃね???」が起こります、自動的に起こります。そして次の日から発言が変わるんです、「みんなそんなに頑張って勉強してるけど、、ほどほどにね!!」です。キャラがあれ???あいつ変わったぞ。。。なんか、、偉そうじゃね???と周囲は騒めくでしょう。

間違いなく変わる

何が起きたんでしょうか?????イメージが変わったんです、セルフイメージが一瞬で書き変わったんです。エグいぐらいにイメージチェンジです。実は自由意志はないというのは本当でセルフイメージが変わると、、発言も勝手に変わります、思考が変わります、感情も変わります。勝手に変わっちゃう全部を自由意志と呼べますか??呼べないんです。

実はあれ嘘だから

20歳の誕生日、、あのビルってさーいつ俺のものになるの?????それ嘘だよ、、、嘘に決まってんじゃん。こんなことが起きればまた全部がひっくり返るのです。。。「マジか!!!!やべ〜、、、、、いまからまた大学入り直して就活しないと!!!!」です。俺彼女になんて伝えようか???伝えないようにしよう、、、そしてどこかで別れた方がいいな。。。です。セルフイメージの崩壊です。完全崩壊、終焉。

そもそも

そもそも自我という実態あるなにかがあるんじゃないんです、自我というセルフイメージがあって、、そのイメージに付随して、、発言、思考、行動が勝手に起こっていたんです。だから重要なことはこのセルフイメージを良くすることではなくこれをイメージと見抜くことなんです。そうしないとここから出てくる思考、感情を真に受けるというギャグが起こります。セルフイメージに付随して勝手に起こる思考、感情、行動はただのお遊びです。

完全な絶望

自我

自我とはイメージです、イメージが幸福になどなれるわけがなく、、、だから人は絶望の中で生きます。ですがたまに美味しい物を食べたり、宝くじに当たったり、意中の異性を射止めたりすることで幸福まがいのものを得ることで、、あれ????俺って幸福になれるんじゃね????が起こります。完全な勘違いです。追い求めるというストーリー、私が何かを追い求めるというストーリーが、、、何かを射止めた瞬間だけ止まるんです。苦しみが一瞬終わっただけです。

朝目が覚めれば

朝目が覚めれば、、また、、私ストーリーが始まります。しんどい、、私のストーリーを自覚した瞬間、、しんどい、、が起こっています。本当は私ストーリーなんて実在しないんです、、ですがハッキリとこれを自覚しますと、、その絵が認識され、、「しんどい」が自動出現します。ここで手を打つのです、、ここで現れた私を嘘と見破るります。私とはただのイメージです、、イメージ以外の私など居ないんです。。。ここで負けたら終わりです。

イメージをはっきりと見抜く

私には旦那がいて、子供が居て、犬もいて、自宅もあって、、仕事もある、、、、これが私です。。。というイメージを浮かべているんですね?????人気者で、おっちょこちょいで、人懐っこい私をイメージされているんですね?????です。全部イメージなんです、、イメージしかないんです。ではそのイメージを起こし、イメージを認識しているは誰ですか?????本当の私です。

苦しいゲーム辞めませんか????

社会に入れば名前を連呼されて、、、「鈴木さん」が確実に居るようなゲームに入れさせます。そうです、我々は強制的にこのゲームに打ち込まれるのです。その中に入ったら「鈴木」はイメージですけど!!!は通用しません。「鈴木」は100パーセントの実在として扱われるのです。これを釈迦は「苦しみ」と表現しました。だからもう苦しいゲームは終わりでいいんです。「鈴木」はイメージだとはっきりと見破ります、見抜きます。そして本当の私はイメージを浮かべ認識する存在です。

ストーリーの消失

願いが叶う

幸福感って願っている期間が長いほどにありますよね????ポルシェに全く興味がない人がポルシェをプレゼントされても嬉しくない、ハッピーじゃない、、、ですがポルシェ大好き、絶対にいつか手に入れたい、、、、という人は、、、最高にハッピーです手に入れたら。なぜか?????それはポルシェを追い求める私というストーリーが消えたからです。この概念ドラマ映画がエンディングを迎えたのです、、だから幸福を一瞬味わえたのです。もっと言えば、、苦しみが消えたんです。このストーリーはイメージ化すると苦しいわけです。それが消えたんです、ポルシェ追い求め映画のエンディングです。

結婚

結婚式で涙を流して喜ぶ夫婦、、、何が起きたのか?????結婚式を無事終わらせるという映画、ストーリー、、がここで終わったんです。。。苦しみが消えたのです、、、世界から一瞬。。だから幸せです!!!!とその場では叫べるのです。。。。ですがですが、、、次のストーリーがその次の日から始まります。。。結婚生活を円満にやり遂げるというストーリーです、、これは苦しいのです、、常に苦しいわけです。だから人間の幸福は常に一瞬です。

苦しみの終わり

多くの人が実感している幸福は、、、苦しみの一旦終了時期です。。。。受験、結婚、就職、、全部が全部成し遂げるまでが苦しみで、、、それが終わるから一瞬幸福、、です。これって幸福と言っていいんでしょうか?????違うんです、、、全部が全部苦しみの一旦終了です。だから悟りとは苦しみの永久終了です。悟りとは幸福を手に入れるという能動的な行為ではなく、、、「苦しみ」がもう起こらないというシステムの構築です。

どのようなエゴも制限でしかない

ビルの所有者も

ビルの所有者としてのエゴも、大統領としてのエゴも、有名人としてのエゴも、、全部が全部制限という枠のある存在です。本当の存在、大いなる意識が、、、制限の中に閉じ込められるという意味では、、、世界一の億万長者であっても同じです。この世界で大満足を起こせる個人が存在しないのは、、個人という概念自体が制限だからです。

セルフイメージ

自我、エゴ、個人というのはあくまでセルフイメージなんです、、イメージです。。。イメージが幸せになっるって不可能ですよね?????ジャイアンツというチームが幸福になるってできますか????できないのです。マンチェスターユナイテッドというチームが幸福になるって不可能なんです。だから個人、自我、エゴが幸福になるって無理ゲーです。にも関わらずいつの日かなれると信じて生きているのがこの現状です。

一瞬はある

でもでも、、、いままでに幸福を味わってきたのは事実ですよ!!!!!違います、、それは一瞬の幸福です、一瞬です。永続するものではないんです、、、ジャイアンツの優勝、ドラゴンズの優勝、阪神の優勝と全く同じです。ジャイアンツが優勝した時に「私」は幸福でしたよ!!!!!違うんです、、ジャイアンツが優勝したっ時に苦しみが一瞬消えたんです。人参を手に入れた瞬間に貪りが消え、、、苦しみが消えたんです、一瞬。ジャイアンツ優勝を願っていた「私」というイメージが消えたんです。マンションを購入した瞬間、、マンションに恋焦がれている「私」というストーリーが消えたんです、、だから苦しみが一瞬消えた、、それを幸福と人間界では呼びます。

ニューヨークのビル

あれが俺のもの

両親からニューヨークにビルがあってそれをいつかあなたに譲るという提案を受けて育った場合「ビル所有者」としての私がこの世界に誕生します。ビル所有者としての私から現れ出る思考の全ては、、それ前提の思考、感情です。これがエゴシステムです。外部から与えられた情報を基にデータが構築され、そのデータに基づいた思考感情が現れ出ていきます。「私はニューヨークのビル所有者」これが湧いた時、これはそのままに全体で認識され、、イメージ化されます。と同時に感情が出ます、高揚感、分離感、などなどです。例えこのビル情報が両親の嘘であっても「私はニューヨークのビル所有者」という思考は完全に認識され、、それに伴った感情が湧くのです。

嘘だった

ビルの所有者という情報が実は両親の嘘だったと分かったら、、、「ビルの所有者の私」は書き替えらえます。「ビルの所有者ではない私」になるのです。そうなるとそれはそのまま全体に認識されて、、そのまま感情が現れるのです。不安、孤独、分離感などが現れるのでしょう、、、つまり自我、エゴとはその時その時の状況によって情報が書き換えられその情報に応じた感情が湧き続けるのです。そういう意味では感情は全くコントロールはできません。私という認識によって感情が自動反応を起こし続けるだけです。

実は国王だった

両親からニューヨークのビルは嘘だが、、実は〇〇国の王子なのだと告げられますと、、、自我は再度情報を書き換え「国王である私」がこの世界に誕生します、、すると全体はそのままに読み込み、、、感情を起こします、恍惚感、高揚感、などなど、、、セルフイメージによって、、感情は日々変わるのです。では国王だという情報書き換えによってこの私は幸福になれるんでしょうか???なれません、、書き換えられた情報の全ては嘘なので、、そこからは孤独感、分離感がひたすらに湧くのです。本当は私とは全体、非分離ですから、、この体の中の私という情報自体が分離感、孤独感を湧かせてしまいます。

いつまで続ける????

セルフイメージゲーム

あなたは誰ですか????私は「意織」です。このような回答を貰えることはほぼないでしょう。私ですか????私は太郎です、二郎です、花子です、、、が普通当たり前、常識です。そしてそのことを誰も疑いません。ですがこれは真実ではないんです。真実はその名前は、、名前でしかなく、、、誰ですか??の答えは大いなる存在です。この回答も太郎という回答も次郎という回答も、、ここから出てきます。

マーケット

大手メディアにこのようなメッセージが出てこないのはなぜか????それはこの席が個人消費で成り立っているからです。この体の中に自分という存在が居るから、、、「イメージ」を上げたいという衝動が起こります。「セルフイメージ」を上げてくれるための商品が必要になるのです。なぜ我々はセルフイメージを上げたくなるのでしょうか????なぜ???上げなくていいじゃないですか?????

セルフイメージしかないから

この体の中には自分という実在が居るのではなく、、「セルフイメージ」しかないのです。ですから、、このセルフイメージを上げる以外に幸福になる方法がない。。。高級マンションを持っている「私」、高収入な「私」稼ぐ旦那が居る「私」、リア充な「私」、、、です。これによって上がるのは何か????高揚感です。幸福ではないのです、高揚感が上がるのです。

さっさと気づく

セルフイメージを上げ切っても、、幸福になれないことにいかに気づくか!!!ここです。。なぜ高収入で社会的地位もあって安定もあって、家庭もあって、、、、の「私」が、、、、幸福になれないのか?????早く気づくのです、、、気づいたら勝ちです。。。。私とはイメージだからです、、実態がないのです。幽霊みたいなものです。だからだからセルフイメージを高めるという作戦が、、至福を呼んでくれないのです。構造的に不可能です。

強烈な「NO」

人間ドラマ

今度日本に大地震が起きるらしいですよ、今度税制が変わって大変なことに、、今度、、今度、、今度、、、、そうやって不安を煽ってくる人がいます。彼らの目的は、、自我をビビらせて、、こちらに関心を向けさせることか、、ただ相手を不安に向かわせて面白がっているのか、、自身の不安感を共有したい、、一人で悩むのは辛い、、です。どちらにしてもそこにはネガティブな思惑が隠れています。

そうなんですね

どんなにこちらの不安を煽ってきても「そうなんですね」これで終わりです、、そこに反応をしなくていい、そこに反応したら終わり、、相手は我慢できずに怒りだすか、、どこかに行ってしまうでしょう。つまり相手の真の目的は人間ドラマに引っ張りたいのです。モヤつかせ、、引き摺り込みたい。だからだからひたすらに、、不安にさせようと目論みます。

おかしな態度

もしももしもおかしな態度をとってきたら強烈な『NO』です。参加しません、、参加しないことをハッキリと伝えるだけでOKです。おかしな行動を批判することなく、闘うこともなく、、ただ『NO』です。人間ドラマには参加しません、、を意思表示します。

人間ドラマに巻き込まれない

賛否両論

自我が実在していると信じている人々にとって人生とは「苦しい」ものです。基本が「苦しい」「怖い」「寂しい」です。ですから何か相談に乗ってその方をサポートしたとて、、基本は「苦しい」「怖い」「寂しい」が変わることは絶対にありません。状況が変わるだけで居心地の悪さが変わることはないのです。その方からまともた反応を期待する方が無理ゲーです。最初は褒めちぎっておいて突然批判の的に、最初は感謝しておきながら次は猛批判、、、なんてことはザラです。なぜか????人間ドラマは辛いのです。

重要なこと

人間ドラマに反応をしないことです、、週刊誌のように褒めては貶し、感謝しては憎む、、これが人間の実態なんです。週刊誌が書くことに反応を芸能人がすれば、、、地獄をみます。これは人間も全く同じ、、、どのような反応をされてもそこに参加してはいけません。全て自我によって苦しんでいる人々の嘆きなんですから。ただし被害を甘んじて受けろ!!!という意味ではありません、法律的に、態度としての「NO」は重要です。大切なことはそこに参加しないということです。

あれだけやって

あんなにもあいつをサポートしたにも関わらず感謝の連絡すらこない、、、、なぜでしょうか?????おかしい、なんでだ?????違うんです。感謝をしたくない人間なんていません、、誰だって礼儀正しいと思われたい、、、ただ、、できないんです。苦しくて、怖くて、、できないんです。できない事情があるんです。だからそこでムキになって怒っても何の解決にもならない。すいません、すっかり忘れてました、、、違います、、出来ないんです、、苦しくて怖くて。そこを見抜けないといけません。