ニューヨークのビル

あれが俺のもの

両親からニューヨークにビルがあってそれをいつかあなたに譲るという提案を受けて育った場合「ビル所有者」としての私がこの世界に誕生します。ビル所有者としての私から現れ出る思考の全ては、、それ前提の思考、感情です。これがエゴシステムです。外部から与えられた情報を基にデータが構築され、そのデータに基づいた思考感情が現れ出ていきます。「私はニューヨークのビル所有者」これが湧いた時、これはそのままに全体で認識され、、イメージ化されます。と同時に感情が出ます、高揚感、分離感、などなどです。例えこのビル情報が両親の嘘であっても「私はニューヨークのビル所有者」という思考は完全に認識され、、それに伴った感情が湧くのです。

嘘だった

ビルの所有者という情報が実は両親の嘘だったと分かったら、、、「ビルの所有者の私」は書き替えらえます。「ビルの所有者ではない私」になるのです。そうなるとそれはそのまま全体に認識されて、、そのまま感情が現れるのです。不安、孤独、分離感などが現れるのでしょう、、、つまり自我、エゴとはその時その時の状況によって情報が書き換えられその情報に応じた感情が湧き続けるのです。そういう意味では感情は全くコントロールはできません。私という認識によって感情が自動反応を起こし続けるだけです。

実は国王だった

両親からニューヨークのビルは嘘だが、、実は〇〇国の王子なのだと告げられますと、、、自我は再度情報を書き換え「国王である私」がこの世界に誕生します、、すると全体はそのままに読み込み、、、感情を起こします、恍惚感、高揚感、などなど、、、セルフイメージによって、、感情は日々変わるのです。では国王だという情報書き換えによってこの私は幸福になれるんでしょうか???なれません、、書き換えられた情報の全ては嘘なので、、そこからは孤独感、分離感がひたすらに湧くのです。本当は私とは全体、非分離ですから、、この体の中の私という情報自体が分離感、孤独感を湧かせてしまいます。

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