恐怖心

ストーリー

この世界にたった一人で生きているという大前提のこのストーリーは、、たった一人がゆえに常に怖い怖い怖いが襲ってきます。怖いんです、、こんなに世界は広いのに、、、その中で独りっきりで生きるのですから。ですが真実は全く異なってこの世界こそが私です。この体が向かう場所、スペースこそが私なんです。とはいえこれを知識で把握したところで、、怖いが無くなるわけはなく、、これは実感する以外に方法はありません。

実感

子供の頃は分かっているんです、、大人が何を偉そうに語っても実感として、、、私とはこの体の中に閉じ込められた何かではないことを。そんな小さな小さな存在という実感がないのです。何かもっと偉大な存在であるような実感があるわけです。これが大人になるについて、、現実を視ろ!!と言われて渋々納得をさせられていきます。ですが子供の頃の実感自体は確かなものでありそれを本当の意味で忘れることは不可能です。

明晰な理解

知識でもって無理くり誤解を植え付けられてしまったのですから、、明晰な知識でもって誤解を解いていきます。思考はあらゆる方法でこれを阻止しようとしますが、、真実が何かは実は奥の奥の存在はハッキリと分かっています。分かってはいますが現実問題今は自我システムでもって機能していますから、、そこには齟齬が生まれます。このギャップ、齟齬を解消するのに人によって理解に誤差が生まれるのです。

鮮度

概念

本当は本当は今ここに現れる現象は鮮度100%、半端ない生です。その半端ない生こそが面白い、楽しい、最高なんです。にも関わらず人間はここに概念、観念、信念を付け加えて全く面白くない現象にしてしまいます。そして全然大したことない!!!と判断を下すのです。自身の観念、信念でありのままの現象を燻らせておきながら、、大したことないと判断を下すというギャグをやるのが私たちです。

既に

既にここに完全完璧な愛の形があるのです、、それに気づかずに、、、あれやこれやを繰り返し、、、、ああだこうだと判断を下すのです。この私というセルフイメージを実在と大勘違いを起こし、、、苦しい、孤独、寂しいを、、、起こし、、それを解消するために、、、右往左往しているのが我々です。自分を自我をセルフイメージに過ぎないと思い出せば、、、、ゴールです。

主語を変える

この体の中に自分が居るという大前提こそが苦しみを生み出す原因です。この体の中には自分など存在せず、、、あるがままの現象の全てを起こすスペースこそが私です。そこに気づきますと世界が変わります、ここが鮮度100パーセントの世界に大変身します。私というフィルターが落ち、、生が生のままに現れる世界が起こります。

本当の自由

嘘の自由

本当の自由とは、、、自由気ままに生きることではありません。自分勝手に生きる=自由ではないんです。自分勝手を自由と履き違えても構いません、、試しにやってみてください。直ぐに飽きます、、こんなもんか、、、何にも楽しくもない。大学時代って本当に時間がたくさんありますがその時間を有意義に過ごせる人ってほとんどいません。だいたいが家でゲームをやるかバイトに明け暮れて過ごすだけです。つまり自由とは大したことがないのです。

本当の自由とは

本当の自由とは、、あるがままを受け入れることです。外部環境で起こる全てを受け入れます。この体で起こることも受け入れていく、、全思考、全感情、全行動はただ起こっていると受け入れます。自由意志などなく全てがただ起こっていることに気づきます。この私などはただのイメージでしかなく、、そのイメージに派生した思考感情がただ起こっていることに気づくことです。

完全な自由の中で

我々は完全な自由の中で不自由な発想を生み出し、、その発想によって苦しんでいます。この体の中に自分が居るという制限という概念を起こし、、その概念によって「不自由」という感覚を起こすのです。本当は完璧な自由の中に今も過ごしてします。自由でなかった時だ今までないのです。不自由な存在という概念を起こし、体がしっかりとこれに反応して苦しみます。

医者

患者

精神科医の先生が、、患者の妄想の話を一時間以上かけて聞くでしょうか????聞きません、、、先生、、、昨日私はキリストが見えて、、、ああだ、、こうだ、、、今日は仏様が現れてああだこうだ、、、明日はマリア様が現れてああだこうだ、、、、聞きません。なぜ????妄想癖ですね、、、で終わりです。妄想の内容を吟味して全部聞き出すはしないんです。

現代社会

現代社会の我々人間は自我というセルフイメージが実在すると本気で信じて生きています、環境にはこの体があってこの体の中に自我が存在し、、、という妄想を信じています。セルフイメージはイメージですから妄想です、、、これを実在と勘違いして生きています。精神病患者と何が違うのでしょうか????そのことに気づいたら、、もう妄想病患者の話は聞かなくて大丈夫です。現代人の話は聞かなくて大丈夫です。

目覚める

覚醒体験、悟り、見性、、、、を目覚めると表現するのはこのためです。勘違いから目覚めるのです。これは成長とはまるで違う、、人格向上でもない、、、目覚める、、です。あれ????今まで俺は何を信じていたんだ!!!!です。完全に眠っていた、、、完全に騙されていた、、、です。悟りとは、、、妄想を信じていたことからのドロップアウトです。

焦らない

どうせ

どうせ、、、、ほとんどの人は、、、全くもって悟りとは縁がなく死んでいきます。ですから悟りは焦りとは無縁です、、悟りは縁があるだけでラッキーです、悟りはそういう意味では最後のチャレンジです。確実に確実に理解を深めていけばいい。。生活の全てを悟り中心にして、、確実に進む構造を作ってしまえばそれでOKです。本当はこれを達成したのだけど、、、これが残っているならばそれを片付けてしまいます。これは神の遊戯ですからこれはダメ、あれはダメはないんです。

システムを変えろ

人格の向上、常識人になる、分別が分かる大人に、霊格向上、、これらは全部、、、、個人の成長ストーリーです。この個人成長の先には幸福がないことを悟るのです。その構造では先に幸福がないわけです。ですから悟りとは成長ではなく諦めです、、、構造的不可能ミッションを、、悟り、、、構造を壊すことだけが至福に至らせます。その構造とは何か????個人が居るという偽りです。

イメージ

我々はセルフイメージをリアルと捉えて生きています。セルフイメージを実在と捉えて生きています。セルフイメージを真実と捉えて生きています。これが構造的不和です。これが構造的不幸です。これが構造的苦です。ここを見抜きます、、セルフイメージに付随して起こる思考感情を真実から起こる思考感情と勘違いしています、、これが起こった時に「苦しみ」が湧くのです。これを見抜くのです。

腹を悟る

断食

断食を始めますと、、胃腸の活動がストップされ、、代わりに体内脂肪をエネルギーに変えるというシステムが稼働します。消化ではなく消費にシフトします。その際に体内の脂肪が燃焼されていくことから内臓を休ませながら体内を綺麗にしていけます。全脂肪が燃えていくことで脂肪内に溜め込められた毒素が燃えていきます。体は鋭敏になり五感が冴え渡っていきます。

五感

音がより音らしくなり、光がより光らしくなる、味がより味らしくなり、熱がより熱らしくなっていきます。生がより生らしくなっていくのです。生がより生らしくなっていき、、最終的には生そのものになるのです。断食はそれを早めます、、体に付着した負の残滓が消えていきます。頭の明晰生、ハートの明晰生、腹の明晰生を高めるのです。

お腹が鳴ったら食べる

体は栄養を必要な際にはしっかりと主張してきます、お腹を鳴らすわけです。ですから、、お腹が鳴ったら食べるのです、それまでは食べなくていい。この新しい習慣を手に入れますと、、体はみるみると痩せていきます。顔のむくみは消え去り全身がシャープになります。

勘違いの神

我々は全員が勘違いの神です、、、神であるにも関わらず、、この体の中の自分というイメージに閉じこもっています。生まれてきた時は神そのものでした、、ですが周囲の声かけ反応によって神から人間に成り下がったのです。本当は今でも間違いなく神です、、ですがそれを忘れて人間というイメージを信じて生きています。20歳ぐらいにでもばれば、、、周囲に迷惑さえかけなければいい、、ぐらいの目標を所有して小さく小さく生きるのです。

本当は

本当はこの体が歩む場所にあらゆる現象が出現する、、神を今もやっています。この体が向かうと世界が誕生します。そうです、、私は今も神そのものです。今ここ以外には何も起きない、、この体が歩めば起こる、、神です。この体もこの世界も今このスペースで起こりこのスペースによって認識されます、神です。しかしながらこの世界に登場する他のキャラがその設定では話しかけてこない、、、あなたはこの小さな体の中の人格に過ぎないと信じさせてくる、、そしてまんまと騙される。

しっかりしてくれ

分かってきますと、、、周囲との人間関係が難しくなります。周囲は自我全開で生きていますから、、、勘違い全開です。勘違い全開での会話はしんどい、きつい、えぐい、、、です。ですから無理に付き合う必要は一切ありません。そこには本当の人間関係はないからです、全部勘違いを前提にした関係です。これからは勘違いを勘違いと見抜いて会話をします、勘違い前提を理解して会話します。

周囲の声

周囲の声は勘違い全開の声です、、この声に真実は一つもない。だからこの声を信用する必要はありません、周囲は真実とは関係なく勘違いを生きていきますからそこに合わせても意味はない、、そこには至福はありません。たった一人、、真実を生きてください。たった一人、、嘘偽りから離れてください。たった一人勘違いをしないで生きてください。

勘違いの終わり

もういい

自我という罠に騙され続けてきた何千年間という時代があります。自我は人類を何千年間騙してきました、、、、もう終わりでいいんじゃないですか????もう十分に人類は苦しんできたでしょう。。。。半端ない苦しみを人類は既にやってきたんです、自我によって。だからもう終わりにしましょう、苦しみは。十分に苦しみは味わってきました、、全体である本当の私は、、、苦しみを経験するというのはもう終わりでいい気がします。

まだダメですか???

この世界には個人がいて、、、、というストーリーに付随する苦しみはもう十分にやってきたんじゃないですか????どうですか?????私はもう終わりでいいと思います、、この個人ストーリーにまつわる苦しみは。私という存在を打ちあげれば、、、苦しいは自動的に起こるのですが、、、もういいでしょう。もう私は卒業でいいんじゃないですか。

セルフイメージ

私ってセルフイメージです、、、このセルフイメージをぶち上げた瞬間、、苦しみが湧き上がるのです。本当は私など存在しないにも関わらず、、、、居るとイメージして苦しんでいるんです。もう十分でしょう、、、もうやり切ったでしょう。社会的には勿論これからも個人をやらないと生きていけませんが、、、それは演技でいいじゃないですか。散々っぱら苦しんできたんですからそろそろ終わりにしましょう。

永久

個人

個人というのは永久の幸福を得ることはできません、、、この地球で永久の幸福を獲得した人は居ないんです。。。いまだかつて。。。未来永劫幸福を約束された個人が居るならば、、連れてきてください。。居ませんよね??????そうです、居ないんです。個人とは一過性の幸福しか獲得できない柔な存在なんです。個人とは、、一過性の幸福しか獲得できないことをいかに早く気づくかです。

個人じゃない

つまり悟りとは私が個人ではないことに気づくことなんです。私とは個人ではなく、、、全現象を生み出すスペースです、、、この私という概念を生み出すスペースであり、、、この私のストーリーを生み出すスペースです。。。この私が加害者被害者になれるスペースであり、、、この私が成功者になれるスペースです。私とは、、、スペースのことであり、、、、その自覚が悟りです。

おめでとう

私とはこのスペースであるという完全な自覚が芽生えますと、、、、ゴールです。。もうそこには不安、孤独、辛酸、がありません。全現象を生み出すスペースであり、、、そのスペースが消えたり、貶められたり、傷つくことは絶対にないのです。そこにいつ気づくか?????です。そこに気づくことができたら「おめでとう」です。

悟りに関心を向ける

意味ないですよ

自我が作り出した欲求を満たし続けても、、何も満たされません。そんなことはない、、、では、、家を買った感動はどのぐらい持ちましたか???結婚した感動はどこまでもちました???就職できた感動はどこまで?????出産の感動はどのぐらい?????何もかもが継続性がないのです。全ては一瞬です、、、全部一瞬なんです。。。10年前に買った高級時計の感動が今も続いています、、、聞いたことがない。

もう辞める

自我が生み出す全衝動は満たしても満たしても一過性のみ、、、、半端なく一過性です。もう辞めちゃいましょう。。。意味ないですから。そうではなくて、、、、悟り、永久の幸福に関心を向けてもいいんじゃないですか????一過性の幸福にまだすがりますか?????私はもう勘弁です、しんどいです、、一過性って。

悟りに全力を傾ける

一過性の幸福ではなく永久の幸福に目を向けましょう。もう十分でしょ、一過性は。では永久の幸福ってどこにあるんですか????どこかにあるんですか?????今ここ以外に永久の幸福が存在しているのでしょうか????もしもどこか違う場所にあるのならば、、、永久の幸福って探さないといけないことになります。残念、、、、永久の幸福は、、、いまここにあります。。。ここです、、、、、ここなんです、、、、どこか違う場所じゃなくて、、、いまここですよ。

多くの方にとって

多くの方にとってはこの場所は半端なく不足した場所です、全くもって足りない場所でしょう。ですが至福はいまここにしか存在しないのです、、、、、我々は至福の中で、、、嘘の自我を作り出し、それに付随した思考、感情を味わい尽くしているのです。。。。。。至福の中でわざわざ、、、、嘘の自我を作ってヤキモキしてるのです。もう辞めちゃって大丈夫です。