どうせ
どうせ、、、、ほとんどの人は、、、全くもって悟りとは縁がなく死んでいきます。ですから悟りは焦りとは無縁です、、悟りは縁があるだけでラッキーです、悟りはそういう意味では最後のチャレンジです。確実に確実に理解を深めていけばいい。。生活の全てを悟り中心にして、、確実に進む構造を作ってしまえばそれでOKです。本当はこれを達成したのだけど、、、これが残っているならばそれを片付けてしまいます。これは神の遊戯ですからこれはダメ、あれはダメはないんです。
システムを変えろ
人格の向上、常識人になる、分別が分かる大人に、霊格向上、、これらは全部、、、、個人の成長ストーリーです。この個人成長の先には幸福がないことを悟るのです。その構造では先に幸福がないわけです。ですから悟りとは成長ではなく諦めです、、、構造的不可能ミッションを、、悟り、、、構造を壊すことだけが至福に至らせます。その構造とは何か????個人が居るという偽りです。
イメージ
我々はセルフイメージをリアルと捉えて生きています。セルフイメージを実在と捉えて生きています。セルフイメージを真実と捉えて生きています。これが構造的不和です。これが構造的不幸です。これが構造的苦です。ここを見抜きます、、セルフイメージに付随して起こる思考感情を真実から起こる思考感情と勘違いしています、、これが起こった時に「苦しみ」が湧くのです。これを見抜くのです。