道ゆく人々

思考に意識が意織している

多くの方はぼんやりとした表情をしています。なぜ????これって浮かび上がる思考に意識が意織していて体には意織が行っていないのです。だから表情がほわっとしていて夢を見ているような顔になっています。つまり体には意織が行っていないのです。思考に意識が意織していて体には意織がない、、その時表情がほわっとするんです。

一日中夢を見ている

この体の中に自分が居てという前提の思考が一日中流れています、ラジオのように一日中です。このラジオを意識が意織し続けているのです。ひたすらに思考がイメージ化され続けているのです。だから多くの人の表情は夢を見ているような表情になるのです。

夢を見ていることに気づく

多くの方は夢を見させられていることに気づいていないのです。夢を夢だと気づき、、この思考自動運転が終わるのを待つしかありません。思考は全てイメージ化される夢です。この夢の世界がエンドレスに続くのがこの人生です。

劇場で誰が気づく

劇の最中

この体の中に自分が居てというのは劇です、、、その思考に「意織」「光」が当たることでその思考がイメージ化され認識されます。その認識によって何が起きるか????次の思考が湧くのです。ここ最重要ポイントです。勝手に次々に思考が湧くんです、、、「この私がこの体に居る」という思考によって勝手に思考が湧き続けるという現象がまさに今起こっています。これを誰か止めれないのか????止めれる誰かはいないんです。

じゃあどうやって止めるのか?????

簡単です、真実に触れるのです。真実に触れれば自動思考連鎖が終わります、なぜならば自動思考連鎖は無自覚であるというのが絶対条件だからです。真実に触れるとこの自動思考連鎖が止まります、、、そこに意識を意織できなくなります。この体に自分が居るというのは嘘であり、、真実はそれを暴くのです。すると自動思考連鎖が止まります。これが悟りです。

嘘を嘘と気づく

嘘をベースにした自動思考を止めるには嘘を嘘と見破る以外にありません。嘘を真実と勘違いすることでこの自動思考連鎖は起こるのですから、、、嘘を嘘と見抜く、、ただこれだけが自動思考連鎖を止める方法です。ではその嘘を嘘と認識する存在は誰か????全体です、、全体がこれを認識するのです。すると全体は全体に戻るのです。全体はそもそも全体以外にはなれるわけがなく、、、一時的に「この体の中に自分が居る」という思考を信じるという動きが起こっていたのです。

劇場

この体

この体の中には自分が居て、、その自分がこの世界を生き抜いていく、、、これを多くの方は信じていますが、、、無人島で生まれた人間はそのような概念は全くなく生きます。人間社会で生まれた人間だけがこのような概念を信じて生きるのです。ですが同時に我々はこの概念を作り出す全体ですから、、全体が全体以外になることはできません。よって全体としての本当の自分、さらに個人という概念を信じる動きのダブルワークが今まさに起こっています。

劇場では

この劇場では様々な登場人物が現れては消えていきます。この劇場の登場人物の100%はこの自分という存在を100パーセント実在と信じて生きているわけですが、、、結果我々が全体であるという認識が薄くなります。ところが全体が全体ではなくなるということは不可能であり、、認識こそ薄くなってもその事実は避けようがないのです。ですから本質では常にその気づきがあるのです。

結果

この体の中の登場人物を「自分」とする動きが起これば起こるほどに「苦しい」が湧きます。ギャップです、、真実と認識のギャップが、、苦しみ、違和感を起こすのです。全体としてしての認識、、そして後天的に現れたイメージとしての私、、、このギャップこそが人類を苦しませ続けた原因です。ではどうしたらいいのか?????何かをやることは何もないのです。全体であることの認識を取り戻すのです。全体としての揺るぎない認識とこの個人を信じるという認識は共存できないのです。

催眠術

どう考えてもこの体に起こった「自分」は方便であり真実ではないにも関わらず、、、、我々は催眠術にかかったようにこの存在を強く強く信じます。そしていつしかこの全体から起こる「意織」を乗っ取り、、私は全体ではなくこの個人であるという認識を強化し続けるのです。ですが今もこの意識は全体から起こったものであり、、真実とは遠く異なるわけですから「違和感」が起こって当然なのです。

全体としての認識と個人という認識

同時進行

我々の混乱とは全体としての認識と個人という認識この二つを同時に抱えているということです。この体の中に「自分」が居るというイメージを信じる動きと、、全体であるという直感、、この二つが同時に起こっているのです。これがこの違和感、苦しみ、、の原因です。我々はどうやったって全体であり、同時にこの自分を信じるという動きが起こっています。

なぜ?????

なぜ我々はいつの間にか、、この体の中の自分という存在を信じるという動きが起こったのでしょうか????全くわかりません、あえていえばそこには何も意味はない。。。意味がないというのが答えです。つまり全体か生じる現象には何も意図もなく、ただ起こるのです。そして結果的に「苦しみ」が起こったのです。

辞める

今日もしもこの真実に気づいたならば、、もう自分を辞めてしまってください。この体の中の自分は「実在」すると信じています、正確にはこの体の中の自分が実在するという思考が湧き続けるという催眠状態が起こっています、今この動きが起こっています。この動きが、、、「苦しみ」を作ります。ならばこの動きを見抜いて辞めちゃいましょう。

ハッキリと

いつしかこの体の中には「自分」と呼ばれる存在が居るという思考がエンドレスに起こるようになったんです。そしてこの「自分」という存在をベースに次々に思考が起こります。そしてそれは空想のストーリーを紡ぎ、、このストーリーがまさかの真実であるという思考がまた現れるのです。これは自分という架空の存在の架空のストーリーです。自分とは後天的に作られたイメージでありこれは実在では断じてないのです。我々の本質はこのイメージを映像化する光です、映写機です、、

にも関わらず

我々は映し出されたイメージを私であるという思考が巡り、、それが真実というダブルスタンダードを作ったのです。「イメージが私」というのは真実ではなく間違いです。ですからこのイメージが私であるという思考が起これば、、ギャップが生まれます、違和感が生まれます。我々は何度も言いますが、、この現象の全てを起こし、さらに認識する存在です。全体です、神です、ワンネスです。

悲二元は危険????

生きる気力が????

本当は私なんて居ない、、このようなメッセージに触れると、、、「生きる意味を感じない」「生きていくのが虚しくなる」などの感想をもらうことがあります。ですがこれって実は分かっていないから、実感が湧いていないからでる発言です。このメッセージすら「ペインボディ」の餌にされているのです。全部をネガティブ捉える習慣が起こす、、解釈です。

子供は

子供は生きる意味なんてまるで感じていないのに元気です、、、使命感のある子供?????嘘です、いらないです、、そんなもん無くたって、、、子供は元気です、無双です、、無邪気です。。。。そこに意味なんていらないんです。本当は神だという自覚は、、もうそれだけで平和なんです、安らぎなんです。。それ以上の状態って不可能です。

人間だと信じた瞬間から

我々は人間であると騙された瞬間から生きる意味が必要になったんです、、終身刑に伏す囚人が生き続けるんは「意味」が必要なんです。これです、、全く一緒、、残念ながら生きる意味が必要になっちゃったんです。だから非二元のメッセージに触れると、、「生きる意味がなくなる」という発言が出ます。生きる意味を必要としない世界に戻れるのに、、それに気づいて、「意味」にしがみ付く、、、これエゴ、ペインボディの策略ですよ。

威厳と謙遜

自信と謙遜

自信はあるが、、謙遜も起こる、、、、この矛盾この矛盾がなぜ成り立つのか????それは自身が神であり相手も神であるという、、深い深い洞察から生まれます。私は神であることを思い出したが、、相手はそれを思い出してはいない、、ただそれだけ。だから相手への敬意がなくなることはない。。。

思考ではできない

どれほど丁寧に接しても心の奥でマウントを取っていれば「バレる」なぜならば相手は神です、、、、バレないわけがない。。。。そこに気づく。。。。ならばコミュニケーション講座など無駄。。。。相手は神です。神を欺く?????不可能。。。騙せるのは神が自身を完全な「人間」と認識している場合だけ、、、その場合、、神の認識の上に人間の認識が上塗りされ、、騙される。

相手は神

相手が神であることに気づけば、、パフォーマンスってすればするほどドツボにハマります。パフォーマンスが通じる相手は、、自身を「人間」と過小評価している神です。そのような神を相手に人間関係、神関係を作れば、、疲れるんです。そうではなく最初からパフォーマンスが通用しない自覚的な「神」を相手にコミュニケーションを構築するのです。素晴らしい関係が生まれます、取引ゼロ、駆け引きゼロ、騙し合いゼロです。

裏切り

人間社会

人間がなぜ裏切り、欺き、騙し、、をするのか????それは自分を人間であると勘違いしているからです。神が自身を神ではなく「人間」と誤認した瞬間から「苦しい」が生まれ、、この苦しみから逃れたくてのたうちまわって、、、自暴自棄になり「騙し、欺き、騙し」をするのです。こんな苦しい人生、真面目にやってられるか!!!です。神ではなく人間として扱われた、、その怒り、恨み、辛み、がこの原動力です。

人間ですよ

いやいや、、、我々は人間ですから、、当たり前じゃ無いですか??????人間を人間と扱って何が悪いんですか??????大悪です。。。だって人間には成れないのですから、。。。。人間というこの物質である現象は、、、瞬間瞬間神である自分が、、、起こす現象に過ぎないのです。だから人間と扱われると「カチン」とくる輩が現れても当然なんです。

八百万の神

日本には八百万の神が居て、、、ってこれ人口です、、、そうです分かっていたんです、、人間は実は神の化身でしかないんです。人間とは神がこの現象界で見せる顔に過ぎないのです。人は顔の造形気にしますよね????はいそうです神の化身ですから。。。神としての自覚は「顔」に出ます、、、あの人は雰囲気ある、あの人はボケッとしてる、、神としての「自覚」です。そこが顔に現れるんです。

時間

移り変わりの認識

「時間はある」そう断言できるのは、、、移り変わる変化を「認識」できるからですよね。変化を「認識」できりから時間はあるって逆算が働くのです。ではこの変化の認識がどう行われるか???ここが理解できますと、、「時間がない」という真実も理解できてしまいます。認識とは神が起こすのです。この世界の変化は神が認識します、それが「意織」と呼ばれるものです。神が「認識」するとして神は何をしている???この世界を作っています、全部。。そしてこの世界が変化するとき「認識」が生まれます。この認識が、、時間があるのでは????という思考を作るのです。

その思考も

その思考は神によってやはり「認識」され、、じゃあ時間ってあるよね!!!という思考が起こり神が認識します。????????この世界は神の鏡に写った姿です、、この姿が常に変わり続け、、それに神が「認識」し続けている。はい「時間ってない」ですよね?????時間って人間がどこかに向かう時に、、明らかに「時間」が必要であり、、、だから登場した概念です。物がA地点からB地点に進むには「時間」が必要、、、から時間っって生まれたんです。ちょっと全然大前提が違っちゃいましたけど?????です。

変化はある、時間はない

この世界にあるのは「時間」ではなく「変化」です。変化は瞬間瞬間起こります、、もうこれは限度がないんです、、瞬間瞬間です。。。。その気づきは「神」から起こります。人間は気づくことができないのか?????現象が現象に気づくって実は不可能なんです。人間という現象を通じて神が変化に気づくことはできますが主体は結局「神」です。

クリエイティブ

関心が高い

若者から関心が高い分野「クリエイティブ系」の仕事、、これって当たり前なんです。なぜって????我々は今も「THE クリエイター」神です。この世界、今見える世界のクリエイターは「神である自分」です。私の世界は今私が作ったのです、、クリエイターが仕事としてクリエイティブ系に興味があるって当たり前。。。。ところが現場は超ブラック、、神が屈辱的な環境に身を置く、、ギャグです。

新しい何かを作ってみたいんです

当たり前なんです、、だって今も過去に一度もない世界を現在進行形でクリエイトしています。今私がこの目の前の視界に映る現象の全てをクリエイトしているんです、、この体を含め全部を今クリエイトしています。今私にある「意織」とはクリエイト作品の認識時に発生するものです。神が神が作った創作物を認識した瞬間「意織」が生まれます。つまりこの意織は創造者「神」しか認識できない認識なんです。だから勘違いしないでください「私なんてちっぽけな人間だ」この思考が神によって創造され神によって認識される時「意織」が生まれるのです。

そうか

「私なんて孤独で非力で将来性のない男だ」この思考が認識されるのは神がこの言葉を読み込み認識したからです、、そしてその瞬間「意織」が生まれます。え?????この私の意織は神の意織なのか?????そうです、、意識って神しか所有できません。つまりクラスの全員が神です、会社の全社員が神です、、人類全員が神です、、、ただ自身を神だという認識、意識がない神です。

その証拠

その証拠に我々はいつも目、耳、鼻、口なしで生きてます。。。あなたが前を向く時、、これらはビジュアルとしては現象化していません。意味不明ですよね、、、外から周囲から見ればこれらはあるように「見えます」。ですがここからは見えない、つまり現象化していないのです。顔なしです、、顔なしで我々は生まれてきて顔なしで死ぬのです。周囲は死に顔を見て、、〇〇さんが亡くなった、、、と呟きますが、、その顔は一度も現象化していません。。。ギャグです。その顔は周囲から見たときだけ「現象化」した本当の私の仮の姿です。

神が神に戻る

自我を見破る

自我の存在を見破ることに成功しますと、、、神が神に戻ります。意識が意識に戻るのです。自我とはこの体の中に第二の自分が誕生することであり、、それは多くの場合「第三者」によって形成されます。名前の呼びかけ、、観察者による科学的データ、、これらによってまんまと神が自身は人間だと騙された状態が「自我」です。ですが神は騙されようと詐欺にあおうと「人間」に成ることは不可能です。なぜならば人間は神が作り出す一時的幻想、現象、まやかしに過ぎず実在しないからです。つまりこれは無理があるのです。理が無いのですから「苦しい」になります。

第三者

本当に面白いのは「第三者」にはこの体の中にはしっかりと自分が居るように感じますし、、第三者から調べれば体の五感は100%機能し、、全機能を脳が操っています。これが歴然とした事実として記されるのです。だから神も騙される、これは無理、、、人類全員がこの第三者の存在によって騙されます。しかし、、この視界、ここでは神が今も神をしています、、神は人間の体を使わずとも、、雲を認識し、音を認識し、味をその場で認識しをやっている。。。神が神以外にはなれないのです。

どうやら

そうは言ってもどうやら人間らしい、、、これが7歳ぐらいに定着します。自身はある万能感も今もある、、でも人間らしい。。。これが正直な感覚です。。。だからいつかは会社に勤め、、、人間クラブに入会し、、一生を終えるのだ、、、です。こうやって神は似非人間に成り下がっていきます。本当は神は神以外にはなりえないのです、人間だという思い込み作り以外は。だから世界には宗教が起こり、今も何億人もの人々がそこに入るのです。