この体
この体の中には自分が居て、、その自分がこの世界を生き抜いていく、、、これを多くの方は信じていますが、、、無人島で生まれた人間はそのような概念は全くなく生きます。人間社会で生まれた人間だけがこのような概念を信じて生きるのです。ですが同時に我々はこの概念を作り出す全体ですから、、全体が全体以外になることはできません。よって全体としての本当の自分、さらに個人という概念を信じる動きのダブルワークが今まさに起こっています。
劇場では
この劇場では様々な登場人物が現れては消えていきます。この劇場の登場人物の100%はこの自分という存在を100パーセント実在と信じて生きているわけですが、、、結果我々が全体であるという認識が薄くなります。ところが全体が全体ではなくなるということは不可能であり、、認識こそ薄くなってもその事実は避けようがないのです。ですから本質では常にその気づきがあるのです。
結果
この体の中の登場人物を「自分」とする動きが起これば起こるほどに「苦しい」が湧きます。ギャップです、、真実と認識のギャップが、、苦しみ、違和感を起こすのです。全体としてしての認識、、そして後天的に現れたイメージとしての私、、、このギャップこそが人類を苦しませ続けた原因です。ではどうしたらいいのか?????何かをやることは何もないのです。全体であることの認識を取り戻すのです。全体としての揺るぎない認識とこの個人を信じるという認識は共存できないのです。
催眠術
どう考えてもこの体に起こった「自分」は方便であり真実ではないにも関わらず、、、、我々は催眠術にかかったようにこの存在を強く強く信じます。そしていつしかこの全体から起こる「意織」を乗っ取り、、私は全体ではなくこの個人であるという認識を強化し続けるのです。ですが今もこの意識は全体から起こったものであり、、真実とは遠く異なるわけですから「違和感」が起こって当然なのです。