既に誰もいない

それが分かる

究極的には最初から最後まで誰も居ません、、ここは「空」という絶対の存在の影なので、、、分離は100%ありません。だから分離した「誰か」というのは現れ出るわけがないのです。ですがその中で「分離している」という思考の形をとった影が現れでることで「分離している誰かが居る」という思考認識だけが起こります。だから100人の前に立てば、、「100人の独立分離している誰かが居るなー」という思考が勝手に湧いてくるのです。

居心地が悪い

明日100人を前にして挨拶をしてください、、、そう言われれば居心地が悪くなります。なぜか?????それは『「独立分離してる誰か」から「独立分離した私」が見られる』と今想像が起こったからです。これによって強固な分離感が現れでて居心地の悪さが現れでたのです。起こったことは全て想像です。想像だけが起こり、、本当は誰も居ないのです。

誰も居ないのに

最高に最高に面白いのは「誰もいない」のに、、今までコミュニケーションが行われていたということです。こんな面白いことはあり得るのでしょうか??????「この人の話は面白いけどあの人は面白くない」なんていう稚拙な話ではないんです。会話が成り立っていること自体が奇跡です。本当は誰もいないのに、、まるで居るかのような会話が成立してしまっている、、というここが奇跡であり癒しです。

意識が意織に意織する

これまで

これまでは「この体の中の私という概念」に意識が意織し、、概念がエンドレスに起こり続けていました。ですが途中で「この体の中の私」は概念に過ぎないという気づきが起こります。すると私とは誰なんだ?????「私が概念」ならば本当の私は誰だ?????という新しい概念が起こります。そうか!!!私とは「この体の中の私」という概念を支えてきた意織ではないか!!!!という気づきがおこるのです。この瞬間「意識が意識に意識」するのです。

最初から何も起こってはいなかった

ただ「ここ」がいままでもあり今も「ここ」にあります。何も変わらずにいまここに「ここ」として存在します。ただ「この体の中に自分が居る」という概念が起こり、それによって違和感が起こり、、この違和感を消すためのさらなる概念『私がなんとかしなきゃ』が起こり続けていた、、、そのことに気づきます。つまり「ここ」では概念が自然現象的に起こりそのために概念が自然現象的に起こっていた、、ただそれだけなのです。そのことに気づき「苦悩解消のための概念」が消え去った時、、、今まで味わったことがない「静寂」が起こります。

全歌手

歌詞

その全ては「ホーム」に帰りたいという欲求の現れです。あらゆる歌詞が存在しますが、、その全ての歌詞が示すものは「家に帰りたい」のアレンジです。恋愛ソング、応援ソング、失恋ソング、内容はなんでもいいのです。。。求めるのはたった一つ「ホーム」への憧れです。

どの人にもそれに合った歌がある

どの歌が真実を指し示し、、どの歌が真実を指し示していない、、ということはなく、、、、どの歌も「家に帰りたい」という衝動をアレンジしたものなのです。どの内容歌詞がその人に刺さるかは全く異なります。だから全て正解です。

その歌が起こるスペース

ホームはどこにあるのか?????我が家はどこにあるのか?????「ここ」です。ここが家です、ホームです。その歌が全歌が流れ認識されるここが家です。ここを求めて走り続けてきたのです。いやいやここが満足できないから走ってきたんです。。。。もしもここが満足できないとしたら、、ここが家じゃないと「思った」からです・思ったから走ることが始まったのです。すると走ることで「ここ」の居心地が悪くなったのです。「理想の故郷」を思い描くことで「苦しみ」が生まれたのです。「ここ」で「理想の故郷」が思い描かれて初めて苦しみが生まれました。

豊かな感じ

サーフィン

サーフィンをしますと全身で自然を感じます、、、超リッチ、豊かさが押し寄せてきます。本当にもうこれだけで十分という感覚に襲われます。豊かさに乗っ取られる感覚です。一体に何が起こっているんでしょうか?????次から次への五感が開いていくのです、、、水の感触、波の感触、太陽の感触、温度の感触、塩味の感触、、、、その時「思考」している場合じゃない、、、、だから素人時代の方が感動が大きい、、なんだこれ?????です。

五感だけ

五感だけになると、、、本当に感動なんです。空と自分が一体になる?????いえいえ自分という思考が現れてこなくなるんです。ただひたすらに五感のみ、、、空即是色がただ起こります。ですが多くの方は考えなくては!!!!遊びはここまで、、ここからはしっかりと思考を使うぞ!!!!!となります。情報収集、分析、実践、、です。そうやってまた娑婆に戻されます。

考えなくていい

現代人は考えて考えて人生をいかに生き抜くか、、サバイブするか、を考えています。ですが我々は考えて考えて考え尽くして幸福を過去に手に入れれたんでしょうか?????得ていないんです。不幸解消のために思考はグルグル動き尽くしていきますが、、、サーフィン時の至福には全く至らないのです。実はこの思考を使って幸福になろうとする動きこそが「不幸」の元凶です。そろそろそこに気づく時です。

時間

構造上不可能

今目の前に一枚の絵を描きます、、鉛筆の一本筆で描いていきます。完成しました、、大完成です。「その絵をまさに額に入れて飾ります」その時子供が、、「お父さん、、この絵には時間はあるの????????」可愛い質問です、子供らしい可愛い質問です、、、答えます「太郎ないんだよ、、絵には時間って存在しないんだ」「なんで絵には時間はないの?????」「ほらみてごらん、、絵は動かないから」「じゃあもしもお父さんが描いた絵が勝手に勝手に動いちゃったら時間はあるの?????」

勝手には動かないんだよ

もしもしもしも勝手に動くなら時間はあるかもしれない、、、でもね絵は絶対に絶対に勝手に動かないんだ。そしてもしも太郎に絵が動いて見えるとしたら、、そえは何千枚もの絵をただ流して見ているだけなんだよ。。だから時間も動きも「錯覚」なんだ。。だから太郎が思っている「動き」と実際の「動き」は違うんだよ。

そして

太郎が今見てる「ここ」は一枚一枚の絵がただ移り変わっている世界なんだ、、、絵自体には100パーセント時間は存在しない、、ただ一枚一枚の絵が違うから「動く」し「時間」があるように見えるんだ。だから今感じている動きも時間も「錯覚」として体験しているのだ。つまり「勘違い」として体験しているんだよ。

スケッチ

鉛筆書き

あなたがスケッチで鉛筆書きをします。絵の中に人間を描くとしましょう。人間を描き、コップを描き、テーブルを描く、、、、、、描く最中に人間の口を加えます。。。その時、、、その口から「私は花子です」という声が聞こえる、、、、、驚きます、、、え??????何が起こった??????鉛筆で描いたその人間から「私は花子」だという声がするのです。。。これが人間業界です。

目の前の絵から

今まさにあなたの視界にはあなたが描いた一枚の絵が広がっています。その中には「人間」も居るかもしれない、、そしてその人間から声が発せられる、、「私コーヒー飲みたいの」と。。。鉛筆書き(空の影)から「私の見たいの」が発さられた時、、、驚かなくてはなりません。そうです、、、ここが常に常に空から現れた「鉛筆書きの絵」です。人間と呼ばれる絵と、テーブル、グラスと呼ばれる絵には境目はないのです。にも関わらず「自我」が芽生えているのです。

認識の分離

私は美味しい、あなたは不味い

ラーメンを友人と食べに行きます。この味最高、と私は感じる。。友人は最悪だったと感じます。友人が感じた「最悪だった」は「ここ」で本当に起こったのでしょうか?????本当に私が感じたような味覚をここで「起こった」のでしょうか??????起こっていません。もしも起こったとしたら認識に「分離」が起こってしまいます。

分離

「ここ」は「空の影」であって「空の分離」ではありません。「ここ」はまさに今空の影の活動が起こっています。「私」が感じる「見る」「聞く」「味わう」「触れる」「香る」は全部「空の影」つまりあるがままの活動です。その感覚そのままに「空の影」です。つまりこの「味わう」は「私のもの」ではなくそのままに「空の影」です。「友人の味わう」も「私の味わう」という経験二つが二つ「空の影」なのです。つまりそこには分離はないのです。

友人の世界

友人が感じるラーメンの世界はあるのでしょうか?????全く分かりません。。。。一つ言えるのは「友人」という個別の存在はそもそもここには存在しないということ、、、ここに現れでたのは背景とは全く分離していないその体、、その声です。背景とその友人を分ける「物理的な分離」は全くありません。ここが空の影ですから、、、影には分離はないのです。

騙される?????

これ?????

「これ」が全てです、、これ以外は何も起こっていません。これ以外に何かが起こっていたら分離が成立していまいますが、、ここには分離は100%存在しません。「ここ以外で何かが起こっている」という思考がここで起こることはありますが、、ここ以外で何かが起こることは不可能です。空の影である「ここ」は分離がありえない場所です。だからここ以外には何も起こってはいけないのです。

多くの方は

ここにない何かを知ろうとします、、、ここで起こった現象の「裏」を知ろうとしますが「裏」はないのです。「裏」があっては「ここ」とは別の世界が存在することになってしまいます。それは不可能なのです。ここ以外には何も起こるわけがないのですから。ここ以外の場所があれば分離があることになります、、、分離は絶対に絶対にないのです。

他の人の人生

でもでも、、、目の前の友人の人生はありますよね???????私の人生以外の人生は存在しないのですか????????分かりません、、、分かることは、、、「ここ」以外では何も起こっていないこと、、これだけです。ここでは相手の人生の裏側は存在しないのです。それだけが疑いようのない事実です。

人間関係

ここ

かなりおかしなことを言います、目の前の友人と会話する際に「心の中では何考えてんだろう?????」は無駄です。なぜか、、、何も起こっていないからです。え????????人間には心ってモノがあって友人にも当然心の活動がありますよ!!!!!!!!!ないです。「ここ」が全てです、、ここ以外では何も起こっていないのです。ここで認識されないことは「起こっていない」のです。

どうやって

じゃあじゃあどうやってコミュニケーションを取るんですか??????相手に心がないのにどうやって会話をすればいいのですか??????大丈夫です、、今までもそれでやってきたのですから。相手の表情、会話内容から繋がる会話を作ってきましたよね??????同じです。ただしこれからは「表情の裏には何もない」ことを自覚した状態で会話をするだけです。

軽さの中で

相手がどれほど神妙な顔をしようと、、、その奥には何もありません。それが真実です。その真実の中で会話が起こります。。。。。大丈夫です、、、今までも同じ条件で会話が行われてきました。そしてこれからも同じです。さらにこちらの反応も勝手に自然現象的に起こります、、、、そしてこれも今までと同じです。この理解の中で同じことがまた起こるのです。

部屋

電気配線

現代住宅はオール電化、、、、あらゆる家具には電気が流れキッチン、空調、トイレ、照明、、、なんでも電気が通りインフラが整います。電気製品ではないモノの方が珍しい。では質問です、、、、あなたの前にある全電気製品に間違いなく電気が流れているという活動が「今」行われていると想いますか???????今PCをやっているとして「今」電気が動いていると想いますか????????

答え

今目の前の「絵」以外何も起こっていません。それ以外の活動は「ゼロ」です。もしも「ここ」以外に活動があるのならば「ここ」は全部ではなくなってしまいます、そしてそれは分離を意味します。しかしながら「ここ」には分離は絶対に絶対にないのです。つまり目に見えない認識できない「電気活動」は起こっていません。認識できない活動は「ここ」では起こりえないのです。これは人間活動も同じ、目の前で認識できない活動は起こっていません。目の前の人間の体の中の血液、心臓、細胞、肝臓、腎臓、胃、肺、、、、認識できない活動は何もかも起こっていません。