認識の分離

私は美味しい、あなたは不味い

ラーメンを友人と食べに行きます。この味最高、と私は感じる。。友人は最悪だったと感じます。友人が感じた「最悪だった」は「ここ」で本当に起こったのでしょうか?????本当に私が感じたような味覚をここで「起こった」のでしょうか??????起こっていません。もしも起こったとしたら認識に「分離」が起こってしまいます。

分離

「ここ」は「空の影」であって「空の分離」ではありません。「ここ」はまさに今空の影の活動が起こっています。「私」が感じる「見る」「聞く」「味わう」「触れる」「香る」は全部「空の影」つまりあるがままの活動です。その感覚そのままに「空の影」です。つまりこの「味わう」は「私のもの」ではなくそのままに「空の影」です。「友人の味わう」も「私の味わう」という経験二つが二つ「空の影」なのです。つまりそこには分離はないのです。

友人の世界

友人が感じるラーメンの世界はあるのでしょうか?????全く分かりません。。。。一つ言えるのは「友人」という個別の存在はそもそもここには存在しないということ、、、ここに現れでたのは背景とは全く分離していないその体、、その声です。背景とその友人を分ける「物理的な分離」は全くありません。ここが空の影ですから、、、影には分離はないのです。