意識がこの体に入り込むことで「自分」が生まれた

「自分」とは体+意識

自分というものが幻想なのは、、体に意識が入り込むことでできているからです。体に全存在が入り込んで「自分」という感覚、メカニズムが起動しました。これはあくまでメカニズムですから意識が体から抜ければそれで終わり、死ねばそうなります。「自分」というものは体+意識のメカニズムのことです。体がなくては自分ができないし意識がなくても自分はできません。そういう意味で自分というのは体と全意識の複合体ということになります。「自分」という感覚は後付けてできたものですが「居る」「在る」という感覚が絶対にあるのは「意識」ゆえです。

「体+思考+感情」を「自分」とする思考を「全意識」が意識する

自分とは全意識の中の突然変異です。全体の中に独自の個別の意識体が存在するかのように錯覚できるプログラムです。全意識はこの体の中に入り込むことで「自分」体験をするわけですが、では「自分」以外を全意識は意識できないか?と言われればそんなはずはありません。全意識とは全部を意識するからこそ全意識なのです。ではなぜこの「自分」は意識しているのに自分以外は意識できていないかと言えば自分以外は全意識そのものだからです。「自分」だけが全体、全意識から分離しているシステム上なっているのでこの体で五感することを意識できているのです。全意識はこの「自分」のみを異物化し「自分」の中で起きることを意識できるようにしています。全意識は異物化した「自分」で全意識(自分以外)を生きるという自分体験をしています。

「自分」はいつも居心地が悪い

全意識が異物化した「自分」は思考というフィルターを通じて全意識(自分以外)を生きます。思考というフィルターを通じて見ますからそこには価値観が投影されます。人間は目に見える世界に名前をつけてラベルを貼り名前が付いていないものは背景化します。ありのまま(全意識)を見ているのではなく思考によってラベル化された独自の世界を見ているのです。全意識が「自分」を経験しているわけですからこの経験は大変エキサイティングになります、そして自分の構成物質は全意識ですから「自分」は同時に全意識そのものに常に戻りたいというストレスを抱えています。「自分」を楽しんでいる全意識と全意識に返りたい「自分」のせめぎ合いが常に起きています。これが人間の面白さであり苦しさです。

(Visited 12 times, 1 visits today)

コメントを残す

*

CAPTCHA