大脳で便利になり大脳から脱却して至福に至る

大脳とは生活を便利にする道具

大脳はこの体を保持するために発達しました、、、あらゆる物に名前を付けて、、、生活を便利に便利にしたのです。そしてこの体にも名前をつけることでこの体の生存確率を確実に上げたのです、、、人類80億人には名前が付けられていますがこれはこの生物の生存確率を上げるために他なりません。

だが同時に苦しくなった

この体に名前を付けることによってこの体の生存確率は確実に上がったわけではありますが、、、なぜか苦しいも同時に湧き上がるようになってしまいました、、、便宜上付けたこの名前によってこの名前にはあたかも確固とした自我が生存するような勘違いも横行し、、、途端に苦しさが湧くようになったのです。。。便宜上のこの名前に確固とした人格、魂が宿っているというところまで発展してしまったのです、思考上。

本当は居るわけがない

名前さえ付けなければ、、、、そこに個別分離した存在などあるわけがなく、、、、名前をつけることで、、、言葉を覚えることで、、、この分別した存在が居るという想像行為がスタートしたのです。だから苦しい、、本当は居ないのですから、、、、じゃあこの苦しみを終わらせるにはどうすればいい????このメカニズムに気づくしかありません、、、、便宜上名前を付けただけという本質に戻らなくてはならない、、、

名前に使われる人生の終了

便利にするために名前を付けてきたにも関わらず、、、その名前が実在するかのようになるまで信じ込み人は不幸になりました、、、、ただしこの世界で生きていくには名前を捨てるわけにはいきませんから、、名前が便宜上であることを再び認識し直すほかありません。本当は名前が付いた個別分離した存在などないことを悟るほかありません。

五感+脳の感覚で六感

脳はあらゆる生命現象に名前をつけた

脳はあらゆる生命現象に名前を付けました、、これによって我々は、、、生命現象の中に独立区別した物を作り上げ、さらに自分を登場させ生きています。六感の世界で生きているのです。ここに良いも悪いもありません、結果的にこの自分は餌を捕獲しやすくなり生存確率が確実に上がりました。容易に生存することが可能になったのです。ところがこの脳の戦略には副作用があります、、それが苦しいです。気づきの意識(空)がこの自分に気づくことで閉塞感が湧いてくるのです、、

名前を消すことはできない、、、

かといって名前を消してしまうことは出来ません、、仮に名前を消してしまえば生存確率も下がります、、ということで我々ができることはこの脳が作り出したファンタジーの世界に閉じ込められてしまった気づきの意識に、、この世界の構築に気づいてもらう他ありません。気づきの意識は気づきの意識であってこの脳が作り上げた自分ではないということ、、目に見える世界に登場するあらゆる登場人物も名前を付けることでそこに登場しているだけだということ、、元々は気づきの意識(空)とそこに現れる現象そのものしかなかったということ。この自分もその現象の一つに過ぎないということです。

脳すらも気づきの意識が現象化させた

この脳も気づきの意識から現象化されたものです、脳が悪いのではないのです、、ですがこの脳が作り出した世界は苦しい世界であるということだけです、、、なぜ苦しいのかを気づきの意識が気づき、、この苦しみから脱出する他ありません。

この世界は脳内映像だが、その脳も脳内映像

最強の秘密

この世界は脳内映像です、これを否定出来る人は居ません。我々は生きてこれまで脳内に映った映像しか見たことがありません。そおれは事実です。そしてこの脳が在るということを認識するには脳を実際に見るしかないのですがこの脳すらも脳内映像でしか見たことがありません。つまりこの脳が実在している証拠は100%ないのです。

すると我々が信じてきた事実が壊れる

我々は物理空間に住んでいて、、この体という物体を所有している、、これは完全に事実ではなく想像になります。なぜならばこの物理空間を見ているこの脳も脳内映像としてしか見たことがないのです。脳が実在していることをどこまでいっても証明できないのです。人類80億人全員が脳という実物を脳内映像以外で見たことがないのです。脳の存在が不確かになってしまったら脳内映像、、、というネーミングも怪しくなります。

これで分かった、、、

とにかく、、、、今目の前に大きな現象が出現しています、、これだけ、、これだけが事実です。これを脳内映像で見ているというのは想像です、事実ではありません。現象を見ているこの体も現象に過ぎず、それを見ているというのは想像です、事実ではありません。ただ現象がある、、これだけです。この体の中に自分が居るというのは事実ではなく思考です。事実を突きつめていきますと、、ただこれが在る、、にどうしてもなってしまいます。

脳の進化を止めない

時代遅れのお坊さんが悟りを語っても

人間は進化の途上で苦しみを感じるようになりました、これは進化ゆえにもたらした不幸です。ですから「欲を捨てよ」の大合唱で古代人のような生活を提唱しても多くの人には全く届かないのです、進化の途上で苦しんでいるのならばさらなる進化で苦しみを克服するしかないのです。そのためには事実をよりしっかりと把握するしかありません。何が起きているかを追求するしかないのです。

自己保存強化のために

人間の体だけが脳が異常に発達し自己を形成しました、この自己こそが体保持許可を起こしたのです。縄張りの強化です。縄張りは自己保存において最強ですが同時に縄張りを犯す存在に対し過剰に反応してしまうという副作用を起こしました。この副作用で人は苦しみ尽くしているのです。自分の家、自分の家庭、自分の会社、自分の車、自分の評価、自分のプライド、、、この縄張り過剰意識こそが苦しみを生み出します。本来この縄張り(自己)はアイデアであってどこまでいっても思考の域を出ないのです。

そこを俯瞰する

自己保存強化のために生み出された発明品(自分)を否定しても脳の進化に抗うだけです。そうではなくこの事実を俯瞰するしかありません、事実を肯定する事実を絶対肯定し副作用を徐々に減らしていくのが進化です。思考は根元から生み出され続けこれをコントロール術がないこと、自己という思考も根源からの現れでありこれも根源のアートであること、根源からの現れでないものはこの世には存在しないこと、、、縄張り意識は大切だかがそこで苦しむのは滑稽であること、、ここを事実として認識していきます。

脳の分離錯覚機能をお酒が弛緩する

お酒は脳の分離錯覚機能を痺れさせる

お酒を飲むとフレンドリーになったり打ち解けたりできるのは分離錯覚機能を司どる脳の機能を痺れさせるからです。分離錯覚機能を作り出す脳に対してお酒は直接作用することで分離感を和らげます、これは不足感、孤独感、居心地の悪さをそのまま解消することになるのです。だから日本人の半数以上の人が毎晩のようにお酒を飲んでストレス発散をするのです。毎日小さな悟りを行っているような感覚になります。

脳の記憶機能が分離感を助長させる

これはあくまで推測ですが記憶を司どる脳の機能を痺れさせて分離感を和らいでいるようにも感じます。実際には脳の全部位に対しお酒は効いているのではないでしょうか。お酒は飲むと血液に流入し全身に廻ります。当然脳にも巡るわけで記憶がなくなったりもする時があります。ですから記憶の部分を和らげることで自我の感覚を和らげ不足感、孤独感の発生を一時的に抑えているのではないでしょうか。

嫌なことがあった時ほどお酒に走る

嫌なことがあればお酒に走る人が多いのは、、、そのまま記憶を痺れさせているとしか思えません。記憶がぼやけることで自我がぼやけ、それによって分離感覚が収まっていきます。要は人間が分離した存在から全体に戻っているということになります。これによって歓喜、平和、安堵に直接繋がる体験になるのです。覚醒剤などはその名の通りそれがマックスに作用するのではないでしょうか。タバコも然り、コーヒー、お茶、カフェインもその作用が強く働く一つです。

脳の分離錯覚を見抜くと自然と衝動が湧いてくる

この衝動は面白い

私は「神との対話」という本を読んで自分が実は神であった、全体であったことを腹落ちさえました。確かにどう考えても自分が神であることは間違いながない、、、、この事実を腹落ちさせた頃から面白いことが起き続けています。とにかく体の中から衝動が止まらないのです。これを達成したいこれをこれを成し遂げたい、、、これは言葉では限界があるのですがその衝動にしたがって動いていると止まらなくなるのです。いつまでもやっていられる、、、今私の衝動はこのブログを書き続けることです。中から湧いてくるこの衝動をただ形にしています。

衝動を形にするだけで気持ちがいい

この衝動を形にしていきますとひたすらに面白い、楽しいが湧いてきます。そしてこれが形になればさらに面白いでしょうがそれは一瞬の達成感でありそれはその瞬間のみであることも知っています。ですからそれは一瞬のご褒美のみであってそれよりもこの衝動に従っているのが気持ちがいいのです。衝動に従って生きているとそれ自体が楽しいのでそれ以外を求める感覚が薄れていきます。そしてこの衝動に従うにあたっては全部無料です笑

自己実現から自己超越へ

自分が好きなことで世の中の役に立つというのが自己実現ならば、、、自分という存在が無くなりただ世の中のために生きることを自己超越と呼びます。例えば全くの無記名で大金を募金する方などの境地はそれに当たります。そこに自分はもう存在していないのです。なぜそんなことをするのか?多くの方は理解に苦しむとは思いますが実はこの自分という存在がいなことこそが一番の歓喜、平和、安堵なのです。ですがこれは言葉でいくら説明しても意味不明です。言葉を超えた場所にそれはあります。

脳が分離を作り出し不足感が生涯続く

脳のメカニズムは全体が作った分離システムであり大発明

脳のメカニズムは分離を作り出します。実際には完全なる全体など作りれるはずがなくなぜならばこの世界はたった一つのエネルギーで構築されているからです。そうなればこの分離感覚はどこまで行っても錯覚でありにも関わらずしっかりと分離しているように感じることができるこのシステムこそがノーベル賞、国民栄誉賞級の偉業と言っていいでしょう。例えばいきなり誰かから殴られたら全員が怒るでしょう、、、これってもしも自分から殴られたと思ったらそうは行かない、、、地球上の人間全員が他人から殴られたと感じているからこそ怒りの感情が込み上げるのです。

究極の分離感覚は脳の進化の賜物

究極の分離感覚の局地が戦争です、、、他の国の領土、富を人殺ししてでもやるというこの行為は分離感覚なしでは絶対に成り立たないということです。こんな戦争が今でもまだ起きているというこの事実こそが人間の分離感覚がまだまだ残っていることを物語っています。この分離感覚は脳が作り出しているわけですがこの仕組みをまだまだ人間は盲信しているのです。

とはいえこの分離感覚こそを神、宇宙全体は経験したかった

このブログでも何度もお伝えしていますがこの分離感悪は決して悪ではないのです。この分離感覚こそを神は全宇宙は分離体験として経験したがっています。これは戦争を容認しているわけではありません、ですがなぜこんな悲惨なことが今もまだ起こるのかといえば人間とは苦しみを味わうために生み出されてきたという事実があります。宇宙全体においてミスは絶対にありません、そうなればこれまでのあらゆる人類の争いすらもミスではないということになります。ミスではなく分離するということがいかに人間に居心地の悪さがあるか、そしてそこから宇宙全体、神に戻ることでいかにそれが偉大なことかを再発見できます。

脳は分離を作り出すために進化した

人間は脳を勘違いしている

人間は自身の脳の存在理由を勘違いしています。脳は確実に人間という生物に分離錯覚を起こさせるために進化しています。人間体験が全体の遊びならばこの遊びを創造するためには人間を進化させなくてはなりません。それに一番効果を発揮しているのがこの脳です。脳があるからこの体、思考、感情を自分であると錯覚することができます。五感が機能するために触るもの、匂うもの、聞こえるもの、見えるものは全部この自分とは別物であると感じることができます。目に見える様々な宇宙現象も人間にかかれば名前別に認識され完全なる別々バラバラに解釈されてしまいます。要は人間様の通る場所には分離しかないという状況をこの脳が作り出しているでありのです。これが全体の人間体験のカラクリです。

さらに人間は進化しそのメカニズムを暴き始めた

全体による人間体験の真骨頂は、、人間が実は分離錯覚を起こしていただけであり本当は全体しかないことに気づくことです。大々的なドッキリ大成功を起こすためにあります。だからこそ人間は最終的には全員がこのドッキリ仕掛けに気づくことになるでしょう。ですが今はこのドッキリに気付いているのは1%もいないはず。簡単にこのドッキリ作戦が暴かれてしまったらドッキリの格が下がるということです。

脳の分離錯覚機能を理解してしまったら、、

脳の分離錯覚機能を理解してしまったらもう真剣にこの自分という存在だけを特別視することができなくなります。他人も平等に扱おう、他人も自分と同じようにどう価値ではないか、、こんなスローガンは無意味です。そうではなくもう自分だけを自分ごとにできなくなるのです。なぜならばこれは脳が作り出した錯覚だと知ってしまったから。脳はこの自分だけを大切にしろ、他人などはどうでもいい、、常時そのパターンです。ですがそれは脳のメカニズムがそうしていることを今はもう知っています。それができない、、、、

自分が弱いと洗脳を受けたライオンは草を食べ続けて死ぬ

草を腹いっぱいに食べても居心地が良くならない

自身が弱いという洗脳を受けたライオンはシマウマ、象、虫すらも怖いと思い生きていくようになります。仕方なく草をコッソリと食べ続ける生活、草を食べても美味しくはありませんがそこは仕方がない、、徐々に草の育成に成功し大量の草を食べることに成功します。そしてその草を乾燥し寝床を完備、さらに草を燃やして暖を取ることにも成功。草から栄養分を抽出してサプリを完成、栄養価の高い食生活を維持。草を使って虫の繁殖に成功し大成功ライオンに。ですがなぜか居心地の悪さ、胸糞の悪さ、不足感が解消できない。。言葉にできないこの焦燥感は何か?そうです。自身が弱いという洗脳からくる気持ち悪さです。記憶の遠い部分に強かった過去ののことが残っていてそれが得体の知れない居心地の悪さを生み出しているのです。

全体が洗脳を受け、体の中に自分(全体)が居るという錯覚に成功する

この人間ドラマ、自分ドラマは実はライオンの洗脳と全く同じです。大いなる存在、全体が言葉の洗脳を受けこの体の中に居るという錯覚を起こしました。目の前にあるこの体の中に全体があるのだと、、これによって全体は自分はこの体だと勘違いして生きるようになります。体の中に入ってみたら何と脳の記憶力がありかつての勘違い行動が全て記憶されています。これによって全体の勘違い人間ドラマが誕生しました。この体の中に自分(全体)が居るという大いなる勘違いは居心地の悪さ全開です。人間として有名企業に就職し、ハイスペック伴侶を得て、ハイスペック住宅に居住、子供をハイスペック私立学園に入学させても癒えないこの居心地の悪さ、、という流れです。

全体よ、この夢から目覚めよ!

人間のこの人生とは完璧な作り物です。なぜならばそもそもこの体の中に自分は存在せず、この体を主人公にしたこの人生も錯覚だからです。強いライオンが自身を弱いと勘違いするストーリーが偽物のように、全体がこの体の中に閉じ込められているというこの人生ストーリーもまた偽物です。本当はこの視界に広がる全てが自分です。この視界(全部)がこの体の中に主人が居ると勘違いする強烈なジョークがこの人生です。過去も未来も人間の記憶が作り出したモノであり、空間も人間がここを動くことで在るということになりました。本当は全体の中でこの体がシフトしているだけです。

海として生まれてきた者を波であると洗脳するには7年間の歳月がかかる

赤ちゃんは海としてこの世に生まれてくる

赤ちゃんがなぜ生まれてきて大人とコミュニケーションができないのか?それは彼ら彼女らは見た目は別個の存在ですが感覚は海として生まれてきているのです。そのため海が海とコミュニケーションしようとします、そこに言葉を介在する必要がないのは明らかです。海が海としてコミュニケーションするというのはあり得ることではないからです。ところが赤ちゃんは戸惑います、自分にミルクをくれるこの海(母)はコミュニケーションが伝わらないと。そして途中で気づくのです、目の前の海(母)は以心伝心できる相手ではないと。そこからはひたすらに父(別個の波と思い込む海)と母(別個の波と思い込む海)による別個の波であるという洗脳が赤ちゃん(海)に続くわけです。

7年間かけて完全洗脳が完成する

海として生まれてきた赤ちゃんにあなたは海とは別個の独立した波であるという洗脳、勘違いを起こさせていきます。これを人間界んでは教育と呼びます。波の世界の言語、概念、考え方、波として生き延びるためのサバイバル方法に至るまで、、延々とこの教育は続くわけです。赤ちゃんが完全に独立した波であるという実感を覚えるのにかかる歳月は7年ぐらいと言われています、7年間の歳月を使って叩き込まれたこの固定観念はそう簡単に解けるわけがなく故に子供になった赤ちゃんはもう自分の意思ではほぼこの洗脳を解けずに人生を終了させるわけです。それもそのはずいくら苦しみ悩んでもそれを解決しようとする思考が波言語だからです。思考を使えば使うほどに自身は海ではなく波であるという洗脳が強化されるのです。言葉は自身は波であるという大前提に作られています。波が作り出した言葉、思考を使って自身が海であったという記憶が戻るわけがないのです。逆に言えば言葉、思考こそが波を波で居続けるさせの、海であった時の記憶を思い出させないための最強の砦でもあるのです。言葉の主語は基本別個の独立した波であることが多く、言葉の基本構造が波の独自性を強固にするのです。

なぜ独立した波を前提にした理論が破綻しないのか

本来は海であるにも関わらず自身を独立した波であると思い続けるのは実は苦しいことです、なぜならば実際は間違いなく波は海の一部でありしかも独立していないからです。独立していると思い込むことはできても事実は独立していないのです。こんな矛盾を抱え続けて生きているのが人間という勘違い生命体です。こんな勘違いした生命体がルールを決め、法律を決め、道徳を決め、正義を決めてお互いを監視し合って生きているのですからそこに争いが絶えないのは当然のことです。お互いがお互いを勘違いしながら生きていて平和な関係が続くわけがないのです。世の中の悩みの7割近くが人間関係であるのは当然のこと。自身を独立した波であるという大きなる勘違いをした者同士の関係性はいずれ破綻を迎えます。

大いなる勘違いをした状態で日々前を向いて生きていこうとすればあらゆる幸福マニュアルが必要になる

自身を海ではなく独立した波であると勘違いした状態でそれでも生きていかなければならないのがこの人間ゲームです。当然苦しいわけです、なぜこんなに小さいのか、力がないのか、影響力がないのか、人気がないのか、稼げないのか、貧しいのか、、、とあらゆる不足感、孤独感、渇望感、絶望感が襲ってきます、それはそのはず海の広大な感覚、海の喜び、歓喜、海の安心感を知っている(当たり前)存在が自身を波と勘違いすればあらゆる感情が中から湧いてくるのは当然です。しかも生まれてきた時(赤ちゃん)は間違いなく海として生まれてきたのです。喪失感たるや半端ないのです。だからこそ芸能人はバレても不倫をするし、犯罪もするし、お金持ちがなぜか万引きをする、成功者がなぜか他人を羨むという珍現象が生まれるのです。それもこれも初期設定の勘違い、大海原が自身を波だと勘違いしたことからこの不幸は始まります。