感情を感じないように思考が湧き出す

感情を感じたくない

体にはあらゆる感情が隠されています、、これはその時に感じないように体に一旦ため込んだ感情です、、この感情が湧いてきた時に、、、思考でこれを感じないようにする動きが起こります、、、思考がフル回転してこの感情に蓋をするのです、、この動きが活発ですと、、思考に飲み込まれます、、思考していることすら忘れます、、まさに無我が自我に取り込まれた状態になります、、、無我が消滅します、、、

積極的に体の感情を溶かす

このスパイラルを打破するためには、、体に溜まった感情エネルギーを積極的に解消します、、東洋医学ではどこにどのような感情が溜まるかを明記しています、、、各経絡とはその流れです、、体中をマッサージしたり、太極拳、ヨガ、、などをして体を緩めていきますと、、この感情が解放されていきます。すると感情を隠すための思考の動きが止まります。

思考の動きが止まれば、、、

思考の動きを止めることができればそこから思考に取り込まれるというパターンを壊すことができます、、思考に取り込まれずに、、思考を観察する存在を作れます、、一日中瞑想状態に入れます、、一日中無我でいれます、、思考はそれでも湧きますが、、それは感情を隠すためではなく、、明晰さ(無我)の中で機能的に湧くだけです、、、感情を隠すための湧き上がりではありません、、ここは最重要ポイントになります。

自我はなぜプロレスをしたがるか?

自我は存続するために行動をする

自我にとって幸福、不幸かどうかはどうでもよく、、、この存在が永続するのが目的になります、、すると自我は相手を見つけてはプロレスを吹っ掛けて自我を強く意識できる行動を取るのです。喧嘩相手がいる時に自我は圧倒的に自分の存在を意識できるのです、、逆に相手からプロレスを吹っ掛けられても自我は喜びます。自我は自我を強く意識できるためならいつでも紛争を起こすのです。

自我は相手の問題点を見つけ、、、、

自我は相手の無意識の行動の中から問題点を見つけ出し、、そこを執拗に責め立てます。責め立てて反応を引き起こしプロレスに持ち込むのです、、、例えば相手の短所を見つけ出しそこを攻めれば短所ゆえに解決しないことによって長期的なプロレスに持ち込めるのです。これは相手方も同じで自身の短所を責め立てることで長い紛争に持ち込めます。

重要なことは無意識に持ち込むこと

紛争中は思考に飲み込まれ意識が意識的ではいられなくなります、、無意識に無意識に入ります。気づきの意識が思考に飲み込まれ無意識になります、無我ではない状態自我になりやすいのです。喧嘩中は思考に飲み込まれて無我が自我になるのです、、思考を観察する無我が消滅します、、興奮状態の人間は間違いなく思考に飲み込まれます、、これが自我の生存戦略です。

エゴが一番恐れていること

動きを俯瞰されること

エゴは実は存在しません、、ですからエゴの動きに対し無意識であることがエゴ存続の絶対条件になります、、そうなりますとエゴにとって一番の脅威とは、、エゴの動きを俯瞰されてしまうことなのです、、、気づきとはその動きを俯瞰してしまうことです、、、究極のい気づきとは何か?それはエゴ、自我の動きを完璧に俯瞰してしまうことなのです。

エゴはエゴの動きに無意識だから存続している

エゴは実は実態がないのですがそこに気づかれてしまったらもう終わりです、エゴの終焉です。ですからエゴは常に無意識化で動きを起こします、、、そのために思考に取り込み、、思考していることすら気づかない状態を作ります。。。自身がどういった行動を取っているか気づいてもいない状態がエゴ最高の状態なのです。だから「あなたは無意識にこういった行動を取っているよ」という俯瞰をエゴは恐れるのです。エゴの動きを俯瞰する存在とは無我、気づきの意識、ワンネスだからです。

本当は居ないのに、、、

本当は居ないにも関わらず自分が居るという大前提の大ドラマをやっているのがエゴです、、ここを見抜かれてしまったら、、、もう大ドラマに没入できない、、これはエゴにとって一番恐れていること、、エゴの終焉はこのドラマの終焉です、、そこでエゴはエゴに対し無意識の行動を他人から発見されるのを恐れます、、、せっかく無意識で活動できていたのに、、意識的になったらエゴは存在を維持できないからです。本当は居ないのですから。

エゴの動きを説明すると動揺するエゴ

エゴの自動反応を伝えるリスク

相手のエゴの自動反応によって被害を受けた場合、、、その動きを相手に伝え、、、理解を促そうとすると、、逆上する場合があります、、、これはエゴの生存戦略で、、、自身のエゴの動きを理解するということは、、エゴの消滅を意味するからです。。あなたのエゴの動きがこうこうこうで、、私は被害を受けたんだというただの解説こそが、、相手のエゴが最も恐ることなのです。それを相手が理解するということは相手の無我が自我の動きを把握してしまうことになります、、つまり自我の消滅を意味するのです。

あの時あなたのエゴはこのような嘘をついたよ、、

あの時あなたのエゴは、、、こういった嘘をついていたよ、、、この解説を、、、、相手の無我が気づいてしまったら、、、相手のエゴは消滅します、、、気づきとは、、、一度起これば、、、もう騙されなくなる、、エゴの動きを見抜いた無我は、、、エゴの存在の有無を見抜いていきます、、、これはエゴの抹殺に近いのです。

激情するエゴ

エゴの動きを冷静に伝えられるほどエゴにとって苦しいことはありません、、、エゴは激情しその場をぶっ壊しにかかるでしょう、、、逆ギレという言葉がありますが、、あれなど、、、エゴが生存をかけたエゴらしい動きです。なぜ私はこんなことをやってしまったんだ、、、この冷静な気づきは無我、気づきの意識から起こるのです、、、ですからそのような気づきが起きないようにエゴは徹底抗戦するのです。

エゴの動きをただ観察する

人のエゴの動きを見抜けば

人のエゴの動きを理解できれば、、自身の中に存在するエゴの動きも理解できます、、、人間関係とはエゴ関係ですからエゴの研究そのものになります、、、それまでは必死に人間関係を頑張って維持してきたならばここからはエゴの研究だけでいい。なぜならばエゴの研究とは無我の確立でありただそれだけで大いなる一つ、無我、気づきの意識にシフトします。この状態が平和、安堵、静寂そのものです。

エゴ観察の場とする

人間関係はエゴ観察の場所です、、、エゴの動きを理解した上で人間観察をしますと自然とエゴの動きを理解することができるようになります、、エゴの動きを見破るのは無我、気づきの意識ですから、、、いつの間にか深刻さが消えていきます、、相手をこうしよう、ああしようなど一切しなくていい、、ただエゴを観察する無我でああればいいのです、、、この状態が平和、安堵、静寂です。

人間関係を作らなくていい

人間関係とはエゴ関係ですから、、、そこに平和、安堵、静寂は一切存在しません、、ここに人生の目的を求めても無駄なのです、、そうではなく人間を通じて自我、エゴをしっかりと観察できる存在(無我)になっていきます、、関係は作らなくていい、、ただ人間との対応を通じて無我をしっかりと意識していきます、大いなる存在、気づきの意識として、、観察します。ここが静寂、平和そのものの場所です。

自我の研究は無我の再発見

自我を俯瞰できるのは無我

自我の動き、エゴの動きを俯瞰できるのは自我、エゴではありません、、これを俯瞰できるのは無我、気づきの意識です。ですからエックハルトは著書の中で徹底的にエゴの動きを解説しました、それを読む読者は自我の動きに詳しくなっていきます、そして詳しくなるのは無我、気づきの意識です。自我、エゴの動きに敏感になれば、、それは気づきの意識、無我が出現している証拠です。

自我の生存戦略を知る

自我はどうやって生存するのか???この体の動きをコントロールしているというこの感覚と記憶です、、これで自我は存在を維持しようとします、、、この体を通じて経験する全てはこの私がしたものだ、、、その証拠に記憶がしっかりと存在する、、、です。ですが実際には動きの全ては生命の動きであり、、全動きは生命に委ねています、、これを私がやったという生命の動きが起こり、、自分が存続できるのです。

自分が居るという感覚が存続し続けているだけ

自分が居るというのは感覚です、、この感覚が生命現象としてただ起きています、、コーヒーを飲んだのは自分だという感覚、、この感覚が生命現象として起きました。本当は全現象が全生命現象であり、、生命そのものの動きがあるだけです、、、心臓を動かす生命、血管を動かす生命、コーヒーをコーヒーたらしむ生命、花を開く生命、、全生命は同じ生命です。

自我に取り込まれるという自然現象

自我に取り込まれるのも自然現象

自我に取り込まれるという自然現象が人間というこの現象の中で起こりました、、これによってこの体は生き延びるという力を手に入れました、、、食べることができます、朝昼晩と、、、ところが同時にこの自我という自然現象によって苦しいという自然現象が起きるようになったのです。。

食べてはいきたい、、苦しいも解消したい

人類は食べるために、、、苦しいを背負いこむことになりました、、自我という幻想を作り出すことで、、食べていくことはできましたが、、同時に苦しいを生み出してしまいました、、、自我は比較の中で自分の幸福度を測りますから、、、生きている間中競争の中に居続けることになります、、そして絶対に安定しない幸福の中で怯えながら生きることになるのです。

自我が幻想であることに目覚める

食べるために都合が良かったこの自我ですがもうこれが幻想であることを完璧に見抜く時期です、、そうでないと死ぬまで苦しみ続けて生きていくことになります、、、思考に取り込まれることで思考をしているということすら気付いていない状態、、これが自我です。。思考が起きたときに必ずそれに気づき、、思考に取り込まれないようにしていきます、、常に思考を観察する無我を出現させます、、すると自我など実は居ないことが分かってきます。

東京砂漠

東京も自然現象

東京は自然現象です、、この世界に自然現象ではない現象は存在しません、、、サバンナに問題など一切ないように東京砂漠に問題など一切起き得ないのです、、、問題視をする人間は大勢いるでしょう、、、ですが問題ではなく、、、問題視です。問題と問題視は全く違います、、、問題は起きないのです、絶対に、、、サバンナに問題が起きないように、、、東京砂漠にも問題は何一つ起きていない、、、これを問題視する人間は起きます、自然現象として。。

じゃあ何にも問題解決などしなくていいんですか???

勿論です、問題など起きていないのですから、、、、ただし人間は機能として人の役に立つことができるときに嬉しい、楽しい、幸せと感じるように設計されています、、、ですから問題は起きていないのですが、、、役に立つことをするのは良いでしょう、問題解決ではなく、、役に立つという生きがいのために、、

やりたいことをやれば役に立つ

ライオンはお肉が好きだからシマウマを食べます、、、この行為によってシマウマの数がコントロールされ、、葉っぱの大量搾取が制限されます、、、ライオンはただ好きなお肉を食べているだけ、、にも関わらずサバンナに大貢献しています、、、そうです、、人間の欲求とは社会に貢献するようになっているのです、、、ですから本当はただやりたいことをするだけでいい、、にも関わらず人間はこのやり方はダサい、コスパが悪い、常識的にみて、、、、と思考であれよこれよと考えます、、、こうして勝手に苦しんでいるのです、、、ですがこの現象も自然現象です、、、

コスパ良く生きようとすると

思考がフル回転になる

コスパ優先、、ここに拘って生きていきますと、、どうしても思考に飲み込まれやすくなります、、人間としていかに効率良く生きていくかは重要なことですよね???勿論です、、ですがそのことと思考をフル回転させることは違います、、、思考をフル回転しますと多くの場合思考に取り込まれて、、、思考していることすら忘れる状態に陥ります、、これが自我全開、無我消滅状態です。すると何をしていても苦しい、コスパ良く生きているはずなのに苦しい、、となるのです。

思考飲み込まれは、、実はコスパが悪い

コスパを最優先して思考フル回転状態は、、思考に飲み込まれ自我全開状態、無我消滅状態です、、この状態は苦しいのですから、、コスパが悪いのです、、、何もしてもこの苦しさが無くならないのですから、、コスパが高くつくのです。。。ただ思考を観察し、、ただ思考に飲み込まれないようにし、、ただ無我の状態でいるだけで、、、平和、安堵、静寂に包まれます、、、この状態が最大限コスパが良い状態です。絶対的幸福に至るのに何かをする必要がないのです。

幸福になるためには何かをしなくては、、、の罠

幸福になるには、、、最低限こういった住居に住んで、、最低限年収はこのぐらい必要で、、最低限パートナーはこんな感じで、、最低限休みは何日あって、、、とやっていきますと、、、思考フル回転状態に陥ります、、これは思考に取り込まれる状態になります、、自我全開、無我消滅状態、、、苦しい、、、そうではなく、、、常に思考を観察することで無我に入ることを理解します、、本当の幸福とは自我、思考に取り込まれない状態しかないことを悟ります。

そうは言っても問題は山積みですけど、、、

違うんです、、問題は絶対に起きないのです、、、あらゆる現象が起き続け、、これを問題だと捉える習慣が身についているのです、、、、母親が重病で、、、それが起きたのです、、自然現象として、、息子が学校に行ってくれなくて、、、それがただ自然現象として起きました、、、そしてそれを大事件だと捉える自然現象が起きたのです。

これを理解すると問題に捉えることができない、、、

サバンナの自然現象の中で問題は何も起きません、、、ライオンがシマウマを残虐に殺す???ただ食べるという自然現象が起きただけ、、問題ではない、、、バッタが葉っぱを食い散らかす、、自然現象です、、、何が問題なのか???人間は全てを問題視し思考をフル回転することで思考に飲み込まれ自我が出現し苦しんでいます。

気づく

気づくためには

気づくためには、、、気づきの意識でいないといけません、、、ですが人間は常に思考に取り込まれていますから気づくことができません、、、なぜか??気づきの意識が思考に取り込まれ、、気づくことができない気づきの意識になっているからです。これによって今起きていることに気づけない状態になっています、、ニュースを沢山見ることで思考に取り込まれ今起きている事実に気づけないのです。

気づきの意識が気づいていないだけ

我々が抱える苦しみは、、、気づきの意識(無我)が、、、思考に取り込まれ自我になり、、、気づくことができない状態になっていることから生まれます。思考が湧いたらそれを観察する存在(無我)になり、、思考に気づき続けますと、、、無我は気づきの意識ですから、、、全てに気付けるようになります。相手の反応、周囲の反応、今起きている現象に気付けるようになるのです、これが悟りです。

周囲を見渡せば、、、

周囲を注意深くみてみてください、、、多くの人は、、、自分のことで頭がいっぱい、、、頭がいっぱいとは、、、思考がぐるぐると回り続け、、、、思考に飲み込まれています、、、何が???無我、気づきの意識です。気づくことができない自我になり、、、気づけないゆえに苦しみ続けているのです。このトリックを見抜きます、、