自我

話しかけてもらうということ

この体の中に自分が居ることの再確認

話しかけてもらうというのは、、この体の中に自分が居るという絶対的な安心になります、、、だから人は話し相手を求め続けます、、、話をしてくれれば、、その中に自分を再確認できるからです、、、ところが、、その再認識は誤解の永続ですから苦しいのです、、、苦しみの延命措置です、、、

進化したコミュニケーション

本当には何が起きているのか???全部を全動かす力、これこそが我々の本質です、、、この体を作りあげ、会話を作り上げ、相手の話を聞くを作り上げ、相手の体を作り上げている存在こそが自分自身です。自分と自分の会話どころではない、、会話という動きも自分です、、、会話するためのスペースも自分、声が起こる場所も自分、、、全部が自分です。

同じ会話なのに、、、

同じ会話にも関わらず全く気づきが違います、、一方は自我の再認識、、、もう一方は、、全体が全体を起こしているという再認識です、、自我の再認識は苦しみの永続、、全体が全体を起こすという再認識は苦しいの終焉です。自我の再認識には気づきが起きません、無意識こそが自我だからです、、ところが全体が全体を起こすというのはそれに気づく存在が必要なのです、、その場所が静寂、平和です。

進化したコミュニケーション

本当のコミュニケーション

本当のコミュニケーション、進化したコミュニケーションとは、、、真我発見のための、、共同作業です、、自我の存在を見抜き、、自我の観察をお互いにし、、、自我を観察する「無我」になるのです、共同で。あなたの自我の動きはこうだね、、私の自我はこう動いた、、と観察の対象としてのコミュニケーションになります、、、これはお互いにとっての悟りセッションです。

自我を認めるのではなく、、

自我を観察するのは無我です、、、お互いが無我になって其々の自我を観察します、、、この瞬間、、、お互いが無我になります、、、静寂、平和がその瞬間に訪れる、、、自我の無意識な行動の話ではなく、、、その自我を観察する無我同士のおしゃべり、、、無我になるための練習の時間に変わります。

〇〇さんってこうだよね

〇〇さんってこういう癖があるよね、、、その癖を見抜くのは無我です、、、自我の状態は思考に取り込まれていますから無意識の行動が増えます、、、すると、、、苦しい、、、自我の無意識の行動をお互いに俯瞰すればその瞬間に無我に近づきます、、、俯瞰コミュニケーションです、、、お互いが悟りへの誘いになります。

自我のたわいのないお喋り

面白いかどうかではない

自我は生存戦略として自分を認めてくれる人を探し出し、、ただひたすらに相手にしてもらうことを作戦上とります、、、本当は自我は存在していませんから、、自我常に不安で不安で仕方がないのです、、、すると相手とのコミュニケーションは、、自分の話を聞いてもらうこと、、ただこの一点に尽きます、、ということで自我のおしゃべりはたわいのないもになるのです、、、相手のためではなく、、、この自分の存在を認識してもらえるかが最重要なのです、、、目覚めに近づいていきますと、、この自我のおしゃべりが退屈になります、、なぜならばその会話には意味が全くないからです

相手の存在を認めてあげるジレンマ

相手の存在を認めてあげれば当然相手は喜びます、、居ないにも関わらず居ると信じてくれる相手は最重要です、、、ですがこの話こそが相手の自我存続をさらに加速させます、、、安定させます、、ということで気づきが進んでいる方は、、この会話に意味を見出せません、、、くだらない時間だと思います、、

認めてもらいたい、認めてほしい

認めてもらいたい、認めて欲しい、、このやりとりこそが自我の延命共同戦略です、、、会話はこの一点に集約されます、、、、そして多くの場合このやりとりは成功を収め、、、自我は安泰の状態になる、、、ところが家に帰ると、、、苦しい、、、孤独感、、になります、、、、つまり自我を強く意識するということは真実から外れるのです、、結果苦しい、、、この終わらない苦しみに気づくと、、、コミュニケーションが変わります。

自分を理解してくれる人を求めて

自分を分かってもらうために

この自分、体の中の自分は実際は居ませんから、、、自我は本能的に自分を認識してくれる人、認めてくれる人を求め続けます、、、実際には居ないのですから、、非常に苦しい、、だからこそ自分を認めてくれる存在は圧倒的に重要になります、、、自我は常に常に自分を構ってくれる人を求め続けます、、、

この人は私を分かってくれる、、、

最大の自我生存戦略は自分を徹底的に理解してくれる人の存在です、、、この人が居れば、、、自我は一生生存できる、、、だからこそ、、、その相手を大切にします、、、自我は自身の存在を認めてもらうことでホッとします、、、ところが、、、本当の自分は自我ではありませんからそれでも苦しいは解放されない、、、自我は生存できるが苦しいは解消されない、、、これが争いの火種になります。

争いが絶えない

自我は自分を認めてくれる人がどうしても必要、しかし自我を自分だと勘違いしたままでは苦しいが終わらない、、、このジレンマに苦しみ続けます、、、だからこそ悟りが重要になります、、自分はこの体の中ではなく全体、大我であるという再認識が起きない限り、、この苦しみは終わらない、、、この苦しいを相手のせいにして相手を責め立てたりまします。だから争いが終わらない、、、

自我は悟りよりも争いを好む

争いの効能

自我は争いを好んでいます、、争いたくないと口では言いますが実際には争いを求めます、なぜならば争っているという活動そのものが自我を強化できるからです、、つまり争いは自我の延命活動なのです、、、ですがこの争いが辛いということもまた事実ですから、、、これは苦しみを作り出すのです、、、そしてなぜ私は争ってばかりなのだろうという絶望こそが気づきなのです。

毎回争っているなー

どの会社に就職しても、、、なぜか争いが起きる、、、どの組織に所属してもなぜか争いが起きる、、、これは自身のエゴが、、、争いを起こすことで自我を存続させようとしているのです、、、相手の粗を探し出し、、そこを突くことで、、争いに持ち込みます、、もしくは、、相手が困るような行動を無意識に行い、、争いを相手から仕掛けてもらいます、、、こうして争いが勃発します、、、そして苦しい、、、

相手にしてもらうには相手を困らせる

自我は自身の存続のために、、相手を困らせます、、、構ってもらうためには何だってするのです、、相談を通じて構ってもらう、、不満をぶつけて構ってもらう、、批判をして構ってもらう、、あらゆる方法で自我は自身の存在を認識させようとします。これが自我です、、、自分という絶対的な存在が居ないことを分かっているからこそ、、とにかく敵、味方、、関係なく必要とします。。。

自我の防御システムをいかに潜り抜けるか

究極のリアリティは自我には通用しない

私しかここにはいない、、こんなメッセージを自我は拒絶します、、意味不明、これで終わりです、、、そこで自我の拒絶反応、防御反応を起こさせない形での伝達をメッセンジャーには求められるのです、、、ストーリー、物語風にこのメッセージを伝えないと、、自我は基本受け入れない、、今しかない、、ダメです、、こんなメッセージは。時間という感覚は確実に在る、、、ここから入らないと自我は許さない、、

物語に入り込ませる

「あなた」はいつか絶対に幸福になれます、、ここから入らなければ自我は許容しない、、そしていつの間にかこの体の中には自分で実は居ないんだなーという気づきに導きます、、この気づきはどこから起こるのか、、全体、気づきの意識です、、、「あなた」は確実に居て相手も確実に居る、、友人も確実に存在する、、、ですが、、それって夜見る夢と何が違うのか???夜見る夢との決定的な違いはなんでしょうか???ないのです、、こうやって自我の拒絶反応をくぐり抜けます。

先ずは私が居るという感覚を絶対肯定する

自我最大の勘違いが、、「私は居る」という絶対的感覚です、、この「私が居る」があらゆる経験を所有することでこの自我物語は確固たるものになります、、「私が居る」が、、、あらゆる経験を時間の中で所有していくというシステムです。「私はゲームをやっている」という絶対的感覚が、、、この体が穴に落ちた、この体が批判にあった、、この体が称賛にあった、、、を蓄積していくのです。ここにいきなり「私は居ないんですよ」は無理ゲーです、、、だって「私は居る」は100%の感覚だからです、、ここからならば自我は存在を明け渡します。というよりも「私は在る」はこの体の中に居ないを気づくのです、「私は在る」の中で実は全部が起こっていたことに気づきます。

苦しい病を治す

一番治さないといけない病気

自我が目覚めると、、苦しいが湧いてきます、、、これは病気です、、苦しいんですから、、、ですが社会はこの苦しいを肯定します、、否定しない、、上手く付き合っていくものだと、、、なぜか????この自分が原因で苦しんでいることを認めてしまったらこの自分を殺さなくてはならなくなるからです、、ですが死んでしまってまで病気を治す価値はない、、となります。

治ります

でも治せるんです、、この苦しいという病気を、、どうやって、、、自分という存在が実は幻想で偽りで、、これは夢だという気づきが起きればそれで終わります、、究極の真実を腹落ちさせます。私というのは、、この万物を動かしている、、エネルギーそのもの、、この経験を作っているエネルギーそのもの、、全細胞、全原子、全分子を動かす存在なのです、、、これを絶対的に理解できますと自分がシフトします、、究極の騙し絵、、

悟ってからが人生

悟ってからは人生があるんですか???あります、、だってこれまでもあったからです、、悟っている状態がデフォルトで、、その中に自分劇場という幻想が湧き出ていただけなのです、、夢から覚めてからが本当の人生です、、苦しいがデフォルトの人生なんてとっとと辞めて、、静寂平和がデフォルトの人生に変えてしまいます。主語がこの体から、、生命現象全体になります、、、ですがそれでもこの体が動く人生はしっかりと続きます、、主語が入れ替わるだけです。

結果に固執しない

結果に固執するのはいつも自我

こういう結果が出たから今は気分が良いんです、、、これは既に自我の策略の中に居ます、、、結果がどうだこうだで気分が変わるのは、、結果に固執する存在が居るからです、、これが自我です。なぜ自我は結果に固執するのか???今が苦しいからです、、今が苦しいからこの現状の中で少しでも幸福を手に入れようと固執するのです、、、ですが「なぜ苦しいのか?」を解決しなければいつまで経っても何も起きません、苦しいままです。

苦しい、、苦しいを忘れるの繰り返し

自我は基本苦しいので、、、結果を出して一瞬の苦しさ解消を真剣に目指します、、今が苦しいのですからこれは当然です、、ですがこれは病気を一時癒す薬を求め続けることと同じです、、、病気を治さない限り一生対処療法で終わります、、、、病気を治すには悟るしかありません。

自我こそが病気

常に苦しいという状態を病気であるとするならば、、、自我こそが、、この病気の作り手です、、この病気を治すには自我の存在を発見し、、自我が実は存在しないことに気づくしかない、、私が居るという感覚が全くなくても何も関係なく人生が進むことを肌感覚で理解するしかありません。自我と無我の綱引きに勝たなくてはなりません。この戦いが難しいのは、、、周囲はみんな自我ベースで生きています、、完全な孤独な戦いです、、ここが苦しい、、でもそこを乗り越えれば簡単です。

右も左を地獄

自我を観察しなければ

自我というのが実は錯覚、勘違いであることを見抜けるようになるまでは右も地獄左も地獄です、、成功も地獄、失敗も地獄です、、、この地獄こそが実は自我の発見へのチャンスになります。成功した自我は次はこの成功がいつか突然無くなることを知っています、、、ですから不安で不安で仕方がない、、そして成功が崩れた時に、、人間関係から全てを無くすことも分かっている、、、成功は実は地獄なのです

安定も地獄

不安で不安で仕方がない自我は、、安定に執着し、、、堅実な旦那さんを手に入れます、、ですがこの安定が次の地獄を作ります、、、安定してしまったらもう何も行動できないのです、、自我は、、得にならないような行動が取れないため、、、もう仕事を一生懸命に頑張れない、、結果退屈な毎日が始まります。

幸福はそこにはない

幸福の場所は自我が居ない瞬間に現れます、、、何かを成し遂げたその瞬間、、、何かに集中しきっているその瞬間、、思考が現れ、行動が現れ、、感情が現れた時に、、それを観察している瞬間、、この場所が、、無我、気づきの意識、静寂、平和です。幸福とは、、自我不在の瞬間に現れるものなのです。。ですから自我が頑張って幸福を探している期間はただ苦しいのです。

自我を優しく見守る無我になる

自我の行動を観察する無我

自我はいつでもバカな行動を取り続けます、、、損にも得にもならないような行動を取り続けます、、、見てくれのために大借金をしてバッグを買う、、見栄のために高級マンションを買う、、、モテるために何百万円かけて整形をする、、、、これさえ手に入れれば幸福になるのでは????のために自我はエンドレスに動くのです。その行動をじっと観察する無我で居ます、、、全人類の自我の行動を観察する無我で居るようにします。この場所が平和、静寂、絶対幸福の場所です。

周囲では常に争いは絶えないが、、、

周囲では常に争いが絶えない、、、全く関係ありません、、、、自我の抗争を観察する無我でいます、、この場所が静寂の場所、、、そこに自分が出て行って、、、こうだ、、ああだは、、しなくていい、、してもしなくても無我の場所にいる以外に静寂はない、、、これが事実です。TVを見れば芸能人の不倫だ、スキャンダルだ、、が常に放送されていますが、、、これを自我の動きの観察にします、、、無我になって観察します、、、この場所が平和の場所です。

ところ変わって、、、

ところ変わって、、この体にも色々な問題らしきことが起きます、、、、病気になる、、お金が足りなくなる、、仕事が上手くいかない、、、これをただ観察します、、、ただそれが起きただけ、、そして何か行動を起こしたら失敗した、、、ですがそれもただ起きただけ、、、無我になって観察します、、、そこが平和、静寂、明晰の場所です、、、明晰がこの体を通じて行動を起こします、、これで問題が多くなるわけがないのです。