究極のリアリティは自我には通用しない
私しかここにはいない、、こんなメッセージを自我は拒絶します、、意味不明、これで終わりです、、、そこで自我の拒絶反応、防御反応を起こさせない形での伝達をメッセンジャーには求められるのです、、、ストーリー、物語風にこのメッセージを伝えないと、、自我は基本受け入れない、、今しかない、、ダメです、、こんなメッセージは。時間という感覚は確実に在る、、、ここから入らないと自我は許さない、、
物語に入り込ませる
「あなた」はいつか絶対に幸福になれます、、ここから入らなければ自我は許容しない、、そしていつの間にかこの体の中には自分で実は居ないんだなーという気づきに導きます、、この気づきはどこから起こるのか、、全体、気づきの意識です、、、「あなた」は確実に居て相手も確実に居る、、友人も確実に存在する、、、ですが、、それって夜見る夢と何が違うのか???夜見る夢との決定的な違いはなんでしょうか???ないのです、、こうやって自我の拒絶反応をくぐり抜けます。
先ずは私が居るという感覚を絶対肯定する
自我最大の勘違いが、、「私は居る」という絶対的感覚です、、この「私が居る」があらゆる経験を所有することでこの自我物語は確固たるものになります、、「私が居る」が、、、あらゆる経験を時間の中で所有していくというシステムです。「私はゲームをやっている」という絶対的感覚が、、、この体が穴に落ちた、この体が批判にあった、、この体が称賛にあった、、、を蓄積していくのです。ここにいきなり「私は居ないんですよ」は無理ゲーです、、、だって「私は居る」は100%の感覚だからです、、ここからならば自我は存在を明け渡します。というよりも「私は在る」はこの体の中に居ないを気づくのです、「私は在る」の中で実は全部が起こっていたことに気づきます。