全体はなぜ自分を作ったか?

自分とは分離錯覚ストーリー製作機

全体だけが実際にはありそれ以外は何も存在しません。全体は全体でありただそれだけです。全体はある時自分という独立した存在(錯覚)を作り出しました。思考というもので全体の中に独立した分離した存在があるということにしました、錯覚で。これによって全体は突然体の中に自分がいるというゲームをスタートしたのです。独立した個人が全体の中を暴れ回るゲームを作り出したのです。全体から分離した個人は常に喪失感を感じその喪失感をいかに埋めるかに右往左往します。この経験が全体にとって面白くて仕方ありません。

全体が突然自分ストーリーの舞台になる

全体から分離した自分にとってこの全体は分離ストーリーの舞台です。自分がそこあそこにいく時の舞台そのものです。自分という全体から分離した(錯覚)存在にとって全体は自分が暴れ回るステージです。全体は分離した自分が遊ぶための道具になります。ただし自分は同時に居心地の悪さを常に抱えます。なぜならば自分はあくまで錯覚で主体は全体のままだからです、全体が個人という極小の存在になるのは居心地が悪いわけです。この居心地の悪さの根本原因を分からず彷徨い続けるのが自分という錯覚存在です。

だが自分という錯覚にはあらゆる救済措置がある

TVもネットフリックスも、YOUTUVEもSNSも全部自分にとって楽しいのは没頭できるからです。没頭とは頭が没すると書きますがまさにここに信実が隠されています。頭とは思考や記憶のことであり自我が抜け落ちます。何かに没頭する時そこから自分がいなくなります、つまり全体に戻るということです。自分という錯覚が解かれ全体そのものになります。自分はこのような救済方法を無意識に知っていて多くの時間をゲームやギャンブル、パチンコや恋愛などに没頭します。

それが分かったところでどうするか?

自分というのは錯覚ですからこの錯覚が抜ければ終わります。上記の救済措置を理解したところででは今後の人生をどうしたらいいか?このように自分は考えますがこれこそが自分のトリック、錯覚を解く以外にこの自分から覚める方法はありません。なぜ自分は苦しいのか、なぜ自分は時々楽しいのか、なぜ何かを達成するときは一瞬歓喜なのか、、、これらが腹落ちしてくると自分の錯覚が緩んできます。

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