話しかけてもらうということ

この体の中に自分が居ることの再確認

話しかけてもらうというのは、、この体の中に自分が居るという絶対的な安心になります、、、だから人は話し相手を求め続けます、、、話をしてくれれば、、その中に自分を再確認できるからです、、、ところが、、その再認識は誤解の永続ですから苦しいのです、、、苦しみの延命措置です、、、

進化したコミュニケーション

本当には何が起きているのか???全部を全動かす力、これこそが我々の本質です、、、この体を作りあげ、会話を作り上げ、相手の話を聞くを作り上げ、相手の体を作り上げている存在こそが自分自身です。自分と自分の会話どころではない、、会話という動きも自分です、、、会話するためのスペースも自分、声が起こる場所も自分、、、全部が自分です。

同じ会話なのに、、、

同じ会話にも関わらず全く気づきが違います、、一方は自我の再認識、、、もう一方は、、全体が全体を起こしているという再認識です、、自我の再認識は苦しみの永続、、全体が全体を起こすという再認識は苦しいの終焉です。自我の再認識には気づきが起きません、無意識こそが自我だからです、、ところが全体が全体を起こすというのはそれに気づく存在が必要なのです、、その場所が静寂、平和です。

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