自我のたわいのないお喋り

面白いかどうかではない

自我は生存戦略として自分を認めてくれる人を探し出し、、ただひたすらに相手にしてもらうことを作戦上とります、、、本当は自我は存在していませんから、、自我常に不安で不安で仕方がないのです、、、すると相手とのコミュニケーションは、、自分の話を聞いてもらうこと、、ただこの一点に尽きます、、ということで自我のおしゃべりはたわいのないもになるのです、、、相手のためではなく、、、この自分の存在を認識してもらえるかが最重要なのです、、、目覚めに近づいていきますと、、この自我のおしゃべりが退屈になります、、なぜならばその会話には意味が全くないからです

相手の存在を認めてあげるジレンマ

相手の存在を認めてあげれば当然相手は喜びます、、居ないにも関わらず居ると信じてくれる相手は最重要です、、、ですがこの話こそが相手の自我存続をさらに加速させます、、、安定させます、、ということで気づきが進んでいる方は、、この会話に意味を見出せません、、、くだらない時間だと思います、、

認めてもらいたい、認めてほしい

認めてもらいたい、認めて欲しい、、このやりとりこそが自我の延命共同戦略です、、、会話はこの一点に集約されます、、、、そして多くの場合このやりとりは成功を収め、、、自我は安泰の状態になる、、、ところが家に帰ると、、、苦しい、、、孤独感、、になります、、、、つまり自我を強く意識するということは真実から外れるのです、、結果苦しい、、、この終わらない苦しみに気づくと、、、コミュニケーションが変わります。

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