優劣が消える

どちらが優れているかは自由意志があってこそ

人は無意識に人と人との間に優劣をつけます、あの人は私よりも上だ、あの人は私よりも優れている、、勝手な物差しで人を天秤にかけ優劣をつけていきます。この優劣が生まれるのは、、人には自由意志があり自分が起こす行動には自分が責任を取るという大前提があります。ですが実際には自由意思はありませんから人に優劣をつけることはできないのです。すると自我は困ります、優劣をつけてくれないと頑張れないではないか、、と。優劣がつくから一生懸命努力してきたのに優劣がつかないならば頑張ってもしょうがないと。

それでいい

そうです、優劣をつけるために頑張るのは無駄なのです。そしてそのことを実は本質レベルでは誰でも分かっています。だからこそこのカラクリから目覚めるのが怖いのです、自我は。優劣の世界において自由意思で頑張る必要がある、そのためには自由意志を扱う自我の存在が決めてになると、その流れです。しかしながら真実では自由意志は存在しません、この世界には。だから競争による優劣を感じるのは無駄なのです。

いつも比較している

人間は常に比較して生きています、表には出さなくても間違いなく人間は常に比較して生きているのです。だから人は努力し頑張る、、ですが自由意思も間違いなく存在せず、それを操る自我も存在しない、、そのことは本質では分かっている、、だから疲れるのです。つまりもう競争の勝ち負けで、比較の勝ち負けで優劣を感じなくていいのです。優劣のために頑張る競争から抜けてしまっていいのです。自由意志が存在しない以上、勝った自由意志は存在せず負けた自由意志も存在しないのです。世界は常に自動反応でただ思考、言動が起こっているだけです。

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