どっちで聞く????

エアコンの音、、、エアコンから出るときの空気の音です、、、あの音ってエアコンの場所でも聴けるし、、耳でも聴けます。。。耳に意識を起こすと、、耳で聞くことができます。エアコンの場所で音を聞くことができると理解するとそこでも聴ける。。。人間は学校で、、この体が音を聞いていると学びました。結果的に耳に意識がいき、、そこで聞くことができるようになったのです。その学びがなければ、、音はそのまま音の発生源で聞くことができます。

視界

視界は視界そのものが視界を見ています。視界とはその場所で認識された絵です。絵は絵そのものとしてそこで認識できます。そう意識します。人間は目で視界を認識していると「学び」ました。結果そのように見ることもできます。視界を視界そのものとして認識するか、目が認識しているとして認識もできます。

意識とは現象化

耳に意識を向ければ耳が現象化され、、その耳で音楽を聞くが現象化されます。本当に良い音楽とは、、耳が聴いているという概念が抜け落ちるが故に、、音を音として認識できるようになるのです。絵を絵そのままに見ることもできますが、、目を通じて目を意識してもみることはできます、、ですが絵を目を通じて見れば絵そのものではないのです。

あるがままに見て聞く

目で耳で見て聴いているという概念に意識を向ければ、、目が現れ耳が現れ、、そこで見て聞くことになります。本当はその場所で全ては認識されているという真実に目覚めますと、、あるがままに現象を感じることができるようになります。芸術を芸術としてアートをアートとして、、感じるのです。その時世界は色あせた風景ではなく生そのものになるのです。

俯瞰と自我の粘り

無我とは俯瞰

自分をいかに活躍させるか、、そのために沢山勉強して沢山学んで、、、俯瞰して俯瞰して無我に近づいていく、大いなる存在に近づいていく、気づきの意識に近づいていく。。。だから人のことを客観的に見えるし、、観察力もつく、、、つまり悟っていくのです。ところが同時に自我は、、その観察する力を「俺」がやったと引き戻す、この観察は俺のものだ、、と引き戻す。。綱引きをします、、自我が暴れます、、、そっちに行っても俺はいるぞ!!!!です。俺をどうしてくれる????です。

俯瞰俯瞰俯瞰

俯瞰すればするほどに、、小さくなってしまった自我は、、、離れてしまった自我は、、その能力を俺のものにしようと暴れます。全能力は俺なだから、、、この能力を持った俺は、、もっと評価されるべき!!!!と激しく訴えます、、これしか自我が生き延びる方法はないからです。だから自我も死ぬ気です、必死です。。。半端ない大暴れです。俯瞰して自我を小さくできたからこそ、、その小さな自我は半端なく暴れるのです。おい!!!俯瞰してっけど、、その俯瞰って絶対に俺がやってんだからな。。。。です。

最後の落とし前

ということで最後の落とし前です、、、、、最後の決戦です。。。「お前は絶対にやってない」を証明しましょう、お前は俯瞰どころか、、、何もしていないのだと。認識は、、、、その場で起こります。現象はその場で認識されます。気づきはその場でしか起こり得ないのです。俯瞰とは認識です、、その認識はその場所で起こるのです。神が神として全現象を認識しその認識をこの体の中の意識がやっている、、という誤解を作り上げたのです。

体は何もしていないのか????

体も光を音を熱を言葉を認識できます、、認識はできるのです、、、ですがその認識は、、、この体ではなくこの体の中の空が起こします。。ここは説明が難しくなります。この体は光、音、熱とは同次元にあります、よって同次元の存在が同次元を認識することができません。ゆえに本質的には我々が思っているような気づきではないのです。本当はこの体の中の空が認識を起こすのです。

そうだ京都に行こう

当たり前?????

では種明かしをします。「そうだ京都に行こう」という発想が突然起こり、京都にいきます。先ずは着替えをし、家を出て、、バスに乗って品川駅に到着、そこからひかり新幹線のチケットを購入し京都駅に着。これが一般の概念です。。。。全くもってこれは真実とは異なります。全然違うんです、真実は。「そうだ京都に行こう」という意識が、、次々と現象を作っていったんです。

?????

もしもあなたが途中で「京都に行こう」という意識をなくしたらどうなるか??????京都には絶対に訪れれないんです。バスに乗っている途中に「あれ????俺なんでバスに乗ってんだ???」になれば終わりです。行く途中ずっと「京都に行こう」という意識を持っていたらからそれまでの景色を作り上げ続けたのです。この意識が全工程を作ったのです。全工程を作ったのは「意識」です。その意識は今もあなたが持っている「意識」のことです。

地球一周

地球一周しようという意識が、、、全地球を登場させます、、意識が地球を誕生させたんです。地球が最初からあるんじゃないんです、意識が地球を作り上げるのです。地球が最初にあってそれを「私」が見たんじゃないんです。最初は何もなく、、意識が地球を作ったんです。だから地球一周しようという意識が途中でなくなると、、地球はそこで止まります。

この私

この私には意識がありますよね、、この意識が全現象を作っています、、全く同じこの意識が、、全現象を今も作っています。右に行こう、左に行こう、渋谷に行こう、新宿に行こう、、この意識がそれらを作るんです。だらか私はどう考えても傍観者ではなく創造主なんです。この傍観者「私」もこの意識によって創造された「創造物」です。

傍観者「私」

勿論、この傍観者「私」は居ていいんです、、、居ないと社会生活が難しくなるんで。日常会話が成り立ちませんから、、、でも、、、本当は創造主「意識」であることを覚えてください、忘れないでください。傍観者「私」も意識につくられた社会生活用「方便」であることを忘れないでください。

詐欺師の生活

勝手に自分を虐待しといて

我々は今も過去もこれからも、、、ずっと創造主です。いままでも完全に創造してきたし、これからもしていきます。一時も創造主でなかったときなどないんです。にも関わらず傍観者「私」に成り下がった、、ある人突然傍観者「私」が確立された。創造主が今も創造していながら傍観者「私」が生まれたんです。この傍観者私の「意識」は創造主です。意味不明ですよね。。傍観者「私」が、、、右を向けば、、右の景色が創造され、、、左を見れば「左の景色」が今創造されます。にも関わらず「私」はこれを見たと表現します。

傍観者「私」の自己卑下

傍観者私は、、創造しておいて、、それを見た、、、と言います。。。こうして傍観者「私」は惨めで惨めな冴えない人生を送るのです。本当に傍観者は惨めなので、、友人よりもカッコ良い彼氏を作りたがるし、、自慢して相手を蹴落とそうとするし、自己卑下に入り、、人と会いたくない、、と言ったりします。これはかなり末期状態です。今も部屋の中で部屋を創造しまくっているにも関わらず、、、今日一日中何もしてない、、と嘆くんです。

傍観者「私」の勝負

傍観者私は、、自信が全くないので、、、会社で人より少しでも出世しようと頑張ります。自信がないから、、他人に評価されることで少しでも価値を高めたいのです。本当は今も創造主で、、今も全景色を作り、全社員、全会社を作る「意識」にも関わらず、、、私はこれを見たと表現します。だから全くもって惨めで、、他人からの評価でなんとか自信を維持しようと努めるのです。

傍観者の地位や名誉

本当は今も創造主なのに、、傍観者の地位や名誉、プライド、、、どうでもいいんです、そんなことは。釣りバカ日誌の浜ちゃんの悪口を、、西田敏行が聞く「浜ちゃんって本当に不真面目で私大嫌いんだよね!!!あんなぐうたら!!!」頭に来ますか?????怒ります?????です。だって私「意識」は今も創造主であって、、傍観者ではないんです。傍観者とは勘違いが起こった状態のことです。

詐欺師同盟

イメージ

スターバックスで友人とコーヒーを飲む。。。。友人との会話、、、「昨日彼氏が寝込んじゃって」「へー大変だったね!」終わりのないお喋り、、、これ何をしているかわかりますか??????この二人は全意識をお互いの音に向けているのです、、この音のみに意識を向け、音を紡ぎ、イメージ(現象)を生み出すを楽しんでいるのです。音からイメージを創造する行為を意識を使ってやっています。二人の「意識」はイメージを現象化しているのです。

周囲

話疲れた二人は、、静かになり、、次に音に意識を向けます、、すると突然音楽が流れ始めました。それまでも音楽は流れていました、でも意識を向けていなかったから、、流れていなかったんです。ですが音に意識を向けることで、、音楽に変わったんです、メロディーに変わったんです。意識が音楽(現象)を作ったんです。

後ろの席

二人の後ろの席で「昨日痴漢にあっちゃってさー、まじむかつく」が聞こえます、そこに意識が生まれます。そこに意識が向きます、、、「まじで????どんなおっさん????」「こんなメガネで、こんなハゲで、マジでキモい」後ろの会話が生まれたんです、現象化したんです。それまでもあったんじゃないんです、それまでは小さい小さい雑音だったんです、、そこに意識が向くことで、、後ろの会話という現象が起こったんです。

分かってない

この事実を人間業界関係者は誰も分かっていません、誰も。そしてこの「私様」がただこの現象の傍観者としてそこに居るとうことにしています。創造主が傍観者に成り下がったんです、、、辛い辛すぎる、酷い惨すぎる。そりゃ、、、犯罪は増えるし、自殺者も増えるし、自傷行為も、詐欺も、痴漢も、、、、世にはあらゆる悪い惨事が起こるんです。当たり前なんです。

詐欺師の言い分

私とは完全に詐欺師です。神(意識)が全現象を生み出しているにも関わらず、、現象を私は感じたと表現します。上に意識を向けると上の景色が今現象化されます、、これを私は上の景色を見た、、、と表現します。右に意識を向けます、右の景色が今現象化されます、、これを私は右の景色を見たと表現します。BGMに意識を向けます、、リズムが今起こり、ハーモニーが生まれ、、心地よさが生まれました。。。私はこれを音楽を聞いたと表現します。

全現象を作っておいて

全現象を意識が今作っておいて、、それを私が感じたと次々に置き換えていく存在それが「私」です。この私がこの広い世界をサバイブしている、、、、というのが詐欺師「私」のネバーエンディングストーリーです。このストーリーが苦しいのは全部嘘だからです。嘘を嘘と見抜くのは誰?????「意識」です。「違う」という感情がひたすら生まれます、「うっそーん」という感情がひたすら生まれます。「うっそーん」を覆い隠し続け我々は大真面目に生きています。だから苦しいんです、だからしんどいんです、、だから死にたくもなっちゃいます。。。

夢から覚める

夢から覚めるとは、、この嘘を嘘と見抜き、見破り、、、、真実に戻ることを言います。嘘を嘘と見抜いて、、やっぱり私をやってきます!!!!ってありえないんです。嘘は嘘と知らないからやれるのであって、、嘘って見抜いてまた「私」はやれません。

意識が現象を作り現象が意識を作る

これだけ

たったこれだけを理解すれば全部のドミノが倒れます。右に意識を向けてください、、右に現象(景色)が生まれました。左に意識を向けます、左に現象(景色)が生まれます。上に意識を向けてください、上に景色(現象)が生まれます。お尻に意識を向けてください、椅子に当たるお尻(現象)を感じます。足に意識を向けてください、地面に触れる足(現象)を感じます。舌に意識を向けてください、舌が現れましたね。

言葉

次の言葉に意識を向けてください「わたしはきのうはんばーくをたべました」この18の音からまさかのイメージ(現象)を作りあげたのです。外に意識を向けてください、、小さく鳴る室外機の音が今現れたのです。冷蔵庫に意識を向けてください、、冷蔵庫から鳴る音が生まれます。

我々

我々は意識という神です、神なんです、、、神だからそこに意識を向けると現象が生まれるんです。????当たり前?????違うんです、、こんな凄いことをしているにも関わらず嘘を教わってきたんです。もともと冷蔵庫の音も、室外機の音も、、舌も、足も、、全部あった???????と学校で嘘を教わったんです。目を覚ましてください。。。。寝ぼけ眼を開けてください。嘘を信じるのを辞めてください。

ゴーン

突然外でゴーン、、、と音が鳴る、、、音が現象化されることでそれに気づく「意識」が生まれました。突然後ろから「ガツン」と叩かれる、、ガツンが現象化されることでそれに気づく「意識」が生まれたんです。「おはよう」後ろから「お早う」が現象化されそれに気づく「意識」が生まれます。。現象が意識を生み出し、意識が現象をうみます。これだけ、、、これだけが起こっています。

騙された!!!チクショー

誰も悪くはないが

誰も悪くはないんです、でも本当に悔しい。なぜ、、、こんな勘違いをさせられて我々は生きてきんでしょうか???誰がこれで得をするのか????体でしょうか???もしも体がこれで得をするならば、、、自我を解放した後に再び自我を採用しようという衝動が起きてもいい。。でも起きない。つまりこれって体の病原菌だったんじゃないか、、、です。

自我という病原菌

実は自我って病原菌だったんじゃないか?????私は正直そう思ってしまいます。だって何が得をしているのか?????自我という生命体だけが得をしているならばこれは寄生虫レベルの悪行です。でもそうとしか思えない、、本当は寄生虫なんじゃないか。。。

寄生虫駆除

我々は自我という寄生虫によって寄生され生きてきました。その結果生きても生きても辛い、どこまで走っても苦しい、どこまで頑張っても苦しいラットレースに縛られ、、、辛い辛い思いをしてきたんです。もう辞めにしませんか?????辛い人生は。寄生虫に生を乗っ取られ続けるのはもう終わりでいいのです。

意識の所在地

体の中?????

我々は真剣にこの「意識」の所在地を体に中であると信じてきました、というよりも信じさせられてきました。だから私は太郎です、、という時、そこに全くの疑いの余地がなかったのです。だって意識は今もありありとあってそれがないことなど一回もない、、、その意識がこの自分であるって全くもって変じゃないのです。ところが、、、そうは問屋が卸さない、、、全然幸福じゃないのです、この人生は。

つまり

この体の中に「意識」があるという身体自分意識論は、不幸の概念です。このことを早く気づく必要があります。この体の中の意識を自分と命名するのは、、辞めたほうがいい。。。。です。だってこのやり方では幸福にはなれないのだから。意識はこの体の中にあるのではなくて、、全部です、、現象と対になっての全部です。そこに現象が現れる時意識も現れ、、意識が起これば現象も起こるのです。

見渡す世界

今景色が見えますよね、、全部景色は意識化されています、。だから見えているのです。この体の中だけに意識があるんじゃないんです。見える景色がそうあれるのは意識がそのままそこにあるからです、それに気づくという意識がそのままあるのです。現象はその瞬間意識化されます、それが空即是色です。だから我々は常に四季の中に居るし、、現象はそのまま意識です。意識が介在しない現象はなく、、意識はそのまま現象化されます。この真実に気づきますと、、この私の概念が終わるのです。

思考感情との同一化の前に

大前提

両親からの呼びかけ反応によって自我が形成されていくわけですが、、、、そこには両親の「意志」が必要になります。両親の意思によって、、、この名前を覚えさせると言う行為が何千回以上続くのです。これに子供の意識が反応を見せます、、意識が「声」を認識し始めるのです。そして声の内容を覚え、、、意識=名前という感覚を作り上げていくのです。この作業を意識が行います。これを自我と呼びます。

音が鳴れば

落ちが鳴れば、音は現象ですから、、そのまま「意識」が生まれます。つまり音を拾うのです。音がその場所で認識されます。すると「自我」が『この体の中の「意識」が音を聞いた』と再認識します。これが誤解です。現象の誤認識が毎回起こるのです。この誤認識こそが「違和感」を生み出し、、苦しみになります。幼稚園児は、、音がなっても自分が聞いたという認識が薄いのです、、、音は音でしかないのです。ところが大人はすべての現象を誤認識します、、だから常に「違和感」を同時発生しているのです。

ストーリーとは

ストーリーとは爆竹の上を歩くような行為です、、、私がこの道を歩めば爆竹がなります、、そうです、、違和感という爆竹が鳴り続ける状態です。だから人生とは苦であると言われるのです。この道はどこまで行っても爆竹の上だ、、、その気づきが起こりますと、、、「悟り」この道を降りる動きが起こるのです。だから早く気づくしかない。