意識の所在地

体の中?????

我々は真剣にこの「意識」の所在地を体に中であると信じてきました、というよりも信じさせられてきました。だから私は太郎です、、という時、そこに全くの疑いの余地がなかったのです。だって意識は今もありありとあってそれがないことなど一回もない、、、その意識がこの自分であるって全くもって変じゃないのです。ところが、、、そうは問屋が卸さない、、、全然幸福じゃないのです、この人生は。

つまり

この体の中に「意識」があるという身体自分意識論は、不幸の概念です。このことを早く気づく必要があります。この体の中の意識を自分と命名するのは、、辞めたほうがいい。。。。です。だってこのやり方では幸福にはなれないのだから。意識はこの体の中にあるのではなくて、、全部です、、現象と対になっての全部です。そこに現象が現れる時意識も現れ、、意識が起これば現象も起こるのです。

見渡す世界

今景色が見えますよね、、全部景色は意識化されています、。だから見えているのです。この体の中だけに意識があるんじゃないんです。見える景色がそうあれるのは意識がそのままそこにあるからです、それに気づくという意識がそのままあるのです。現象はその瞬間意識化されます、それが空即是色です。だから我々は常に四季の中に居るし、、現象はそのまま意識です。意識が介在しない現象はなく、、意識はそのまま現象化されます。この真実に気づきますと、、この私の概念が終わるのです。