素晴らしい人生?

人生がなかった!?

私の人生は良い人生だった、、誰でもそう感じて寿命を迎えたいものです、ですが実際には人生ってないんです。人生が存在するためには人生を歩む自我が必要になるんですがそれは実際にはありません、空想、妄想、幻想としては100%存在します。思考としては100パーセント存在するのが自我です。ですが真実においてはないのです、そんなエネルギーは存在しないんです、なぜならば世界はたった一つのエネルギーしかないからです。

コーヒーカップも、時計も、自我も存在しない

コーヒカップという独立分離した存在は本当はないことを皆知ってますよね、、だって元々は陶器であり陶器の原料は土です、そして土の原料は火山灰だったりします。ですから無いんです、本当はそんなもの。時計も金属の集合体、金属は元々岩の中の材料でしかない、、だから時計なんてものは存在しません。つまりこの世界に独立した何かなどないんです。自我とはこの体の中にあるとされる想像物です、ないんです本当は。

だから人生はない

コーヒカップの人生、、、これはディズニー映画の話です。時計の人生、、これもアニメーションの話です。この体の人生、これもアニメーションの話なのです。コーヒカップの中に間違いなく思考を操る存在が居るはんずだ、、、となってもコーヒーカップ自体が本当は土の塊でしかないのでそれはファンタジーです。人間の体という本来は全く独立していない存在の中に思考が湧き出しこの中に自由意志が居るはずだというファンタジーを作り出したのです。

人生がないとして

人生がないなんてなんて空いんだ、、だとしたら何のために生きるのか????違うんです、、人生がないことが分かってしまったらこのような質問は出るはずがないのです。究極の至福からこのような質問は出てこないのです。空しさを作り出している自我が、、この質問を投げることで生存を図っているのです。我々は何も考えず真実に触れていけばいいのです、するとどこかで真実が思考のファンタジーを再吸収します。

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