至福に至るには「私」だ

この私が至福から追い出されただけ

どうやらこの世界には至福が常にあってそれはいまここにあるらしい、時間もなく空間もなくたったひとつのエネルギー至福がいまここにあるのならばこの「私」が絶対に見つけ出してやる!!!自我はこの作戦で至福に戻るのを妨害します。自分という存在こそが至福から幻想の世界に飛びたした張本人にも関わらずその自分がこの幻想の世界でそれを見つけ出してやると意気込むのです。

私があるがままに再吸収される

この私が消滅された時にあるがままは現れます、いつでも、、私という存在があるがままの世界から幻想の世界に入り込んでいるのです。勿論「私」もあるがままの表現の一つですがその「私」がいる世界は幻想のストーリーの世界(あるがままの表現)ここは苦しいのです。この世界に居る限り至福には至れないのです。「私」が至福を見つける時にはまだ「私」が存在します、、これでは絶対に至福に至れないのです。

私を無くすことなどできるのか????

私を無くすことなどできるのか????先ず大前提でこの世界には自由意志は一切存在していませんから意図を持って無くすということは不可能です。ですがあるがままの表現といて「私」があるがままに再吸収されることはあるでしょう、その時がくればそうなります。もしかしたらそうなるかもしれない、少なくとのこの「私」が自由意志を持って再吸収されよう!はないのです、、見かけ以外には。

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