神がなぜ寂しいのか????

寂しい神って

神が寂しい?????聞いたことがありません、ならば今寂しいのはなぜか????なぜ今寂しいのか???私は神です、、この神がなぜ寂しいのか?????神が「私」を信じたからです。この体の中の意識を「私」と認識すると寂しいが湧きます。この体の中の意識は「私」ではなくそれは人間社会での方便です。これはこの体の中の意識につけられた名前です。

意識の拡大

意識を拡大させてみましょう。この体の中の意識をぐわっと全体に拡大します。今体の中に閉じ込められていた「意識」が全体に拡大されました。では確認しましょう。目の前の照明に「意識」を向けます、、はい照明が現象化しました。「意識」がその場所で現象化したんです。はい目の前のスリッパに意識を向けてください。スリッパが現れました。意識がスリッパに変異したんです。目の前の赤い椅子に意識を向けてみましょう、、はい椅子が現象化しました。

意識の現象化を楽しむ

友人との会話、、、意識が友人に向かなければ会話は成立しないんです。意識が外に向く時、、、友人の会話はただの音です、、、現象化しない。ところが友人に意識が向くと、、、はい会話が現象化しました。会話とはその登場人物への意識が可能にするのです。ビールを味わう時は、、ビールに意識がいきます、、意識がビールに行くことで味が現象化します。考え事をしている時、、いつの間にかビールがない、、が起こるんです。

スーパー

スーパーマケットに行こうという意識が全く浮かばない日は「スーパーマーケット」は現象化しないんです。スーパーに行こうという意識が生まれるとこの世界にスーパーが登場します。意識が現象を作り、、現象が意識を生みます。この真実に触れていきますと、、、寂しいが消えていきます。自分という存在が消えていきます。

至福という背景

動きだけがある

至福という背景に「悟りたい」という動きだけがあります。至福という背景に「いつか悟りたいんです」という動きが起こるんです。至福という背景に「どうやったら悟れますか」という動きが起こります。今もここは完全に至福です。そこにその動きだけが起こっています。「悟り方を教えてください」という動きが今目の前で起こりました。ですがその動きは完全完璧に至福から現れたんです。

俺はどうしたら

至福という背景から、、「俺はどうしたら悟れるのか」という動きが起きました。その動きを注意深く観察してください。至福という背景から明日悟れるだろうか???という動きが起こるんです。。。その時に背景から個人に移ってはいけない、、、背景です、、至福という背景なんです。今も既に。

自我という収縮したエネルギー

自我という収縮したエネルギーを感じてください、、感じるのは背景としてこれを感じるのです。自我を徹底的に感じてください、背景として。背景として思い切り自我を感じるんです。自我を感じる背景は至福です。背景が自我を感じる時一切の至福の崩れがありません。自我がガッツリと絞り込んできても背景の自覚を崩してはいけない。自我は常に背景から分離しようと企てましが、、自我がガッツリ捻れるからこそ背景を強く意識するのです。

もう負けない

自我の強力な捻れを背景として維持します。至福をここで崩しては行けない。背景の中の登場人物は、、背景から自我へのシフトを促すでしょう。ですがここで自我になってはいけない。。背景のままです。背景のまま自我を観察します。

悟りの場所

悟りの場所はどこにあるのでしょうか???

ここです、、ここ以外にはありえない、、、だからここに全部あります。自我はそれを嫌がります、自我は先のどこかに、、「私は幸せになれる状況」があると信じ込ませます。これとあれが手に入り、子供はこんな感じに育ち、、、老後はこうで、、、です。「私」が主語のハッピーの感情を「描く」のです。そして真剣にそうなったらハッピーになると信じています。

いまここでなぜ至福じゃないのか????

逆算なんです、、いまここは至福です、、、ですがいまここが至福じゃないわけです、、なぜ?????いまここで至福じゃない理由はどこにあるのか????逆算します。「私」がいるからですね、いまここから私が飛べば、、ここは至福なんです。エゴとペインボディ動きを完全に見切ります、、私を認識しているのは誰だ????ペインボディの動きを認識しているのは誰だ????

目の前

目の前の旦那を認識しているのは誰だ?????誰が認識している????この視界は誰が認識している????認識とは、、その場で起こるのです。その場所がそのものを認識します。その場所の現象がこちらに話しかけてくることで「私」が生み出されますが、、その「私」を認識するのもまた背景です。背景が相手の言葉を認識し背景がこの言葉を認識します。背景と背景の会話が起こります。そこに意味はあるのでしょうか???ないです。

意味があると思っている

会話に意味があると思っているのは、、この先に至福があると信じているからです。ですが既に至福の中でただ背景同士の会話が起こるのです。その理解が起きますと、、突然至福が起こるのです。相手は言うでしょう???どうしたら私は幸せになれますか????ですがその発言が至福から飛び出たのです、これを見抜きます。エゴの動き、ペインボディの動きははやりあります、これからも。ですがそれすらも至福から起こっていることに気づくのです。

悟らせないペインボディ

こっちに行くと悟っちゃう

体は全部分かっています、、どこに行けば悟るかを、、どうすれば悟るかを。それをペインボディが食い止めます、、なぜかそっちに行かせてくれない、、なぜか?????悟らせないための動きをペインボディが代わりにやるのです。これさえ行動できれば、、、、絶対にやらせてくれないんです。いいんです、、全く問題ありません。その絶対に行動させてくれない動きがペインボディと悟る、、、これ以上にペインボディを弱らせる方法はないんです。

邪魔の全て

本当はこうしたいんだけどなんで出来ないんだろう?????全部ペインボディがエゴ維持のためにやります。勝手にやるんです、勝手に。だからどうしようもない、、どうしようもないことを悟るんです。ペインボディは勝手にやるのだからそこを悩んでもしょうがない。悟らせないように勝手にペインボディがやったというこの事実を受け入れます。

そこには行かせない

悟る方向に行こうとすれば、、そこには行かせないというペインボディの動きが起こります。今まではこれが水面下で行われ、、どうしようもなかった。。ですが今は違う、、、、ペインボディの動きに気づくが生まれる。やりにくい、、あまりにやりにくい。。。。こうやってペインボディを徐々に弱らせていきます。そしてこのペインボディのエネルギーをポジティブな方向にシフトさせます。悟りへの可燃剤に使うのです。

雑念の数だけ

意識が湧く

雑念がなぜ苦しいのか????それは雑念の数だけそれに気づく「意識」が生まれるからです。昨日一万の雑念が生まれたんです、、つまり一万回「意識」が生まれたんです。この意識が頭に集まったままですと、、、自我が消えないということになります。ですがこの仕組みを理解しますと、、、そのことによる思考が減ります、、、なんで自我が消えないんだろう????という副次的な思考が減ります。

雑念湧いた、意識も湧いた

雑念が湧けば意識も湧きます、、意識があるから自我が湧く、、自我が湧けば意識が湧く、、、これを見抜くのです。雑念が湧いたから意識が湧いたんだ、、、なぜ雑念が意識を生み出すかと言えば、、、現象=意識だからです。雑念=現象=意識です。ここに気づけばいいのです。するとそのことで悩むがないんです。

意識には悪いも良いもない

意識とは神のことです。神に悪いも良いもないんです。ですから雑念が湧くこと自体が悪いわけではない。しかしながら雑念の内容が意識されると、、雑念がイメージ化(現象)し、、、それがまた意識されます。このイメージの内容が苦しいという感情を生み出すのです。するとその感情を打ち消そうと思考が湧きその内容によって苦しいが湧き続けます。

東京は何が作った

意識

東京という大都市は一体誰が建てたんでしょうか????「意識」です。東京を作り上げるという「意識」が最初にあってそれがこの街を作り上げたのです。目の前のコーヒーカップを持つ、、これには意識が必要です。そしてそのコーヒーカップに気づくにも意識が必要です。何度も説明しますが、意識が現象を生み出し、、、現象が気づくという意識を生みます。

意識しかない

外を見渡してください、、何かが見えますよね、、ビル群でしょうか????その現象の全てに気づきました????現象の数だけ意識が生まれたんです。今何が見えましたか?????高いビルが三棟、山が一つ、川が一つ、、、です。その気づきの数が意識です。意識が現象化し、、現象が意識を作るんです。ですから意識はこの体の中にも外にもあるんです。

自我が強い

自我が強いとはこの頭の中に自我を起こす習慣が強いのです。自我が出現すると「意識」が生まれます。だから自我を感じます。自我が出現する回数が増えると、、意識が生まれます。自我を前提にした、、、思考の全てが、、この頭に「意識」が起こります。だから自我と意識の強力なタッグが芽生えるのです。だからこそ自我が嘘?????なわけないだろ、、これだけ意識が鮮明に起こっているんだから。。になります。

学生時代

無我

学生時代に無我夢中になって何かを達成した人は気づきます。。あれ????この状態が一番きもちいぞ、、、です。そしてどうやらこれって結果も出るよね。。。!!!です。この状態を知ってしまうと、、これを邪魔されることが大嫌いになります。友人とのお喋り、付き合い、駆け引き、取引、、、全般的な人間関係です。ですがですがそのまま自我を忘れ切ってしまうと、、自我が消滅してしまいます。そこで自我は、、この功績を独り占めしようとする動きを起こすのです。こんな能力ある俺が評価されないのは納得できん!!!!です。

本当は

本当は自我から離れたから至福だったんです、、、にも関わらずこの功績を自我が利用し、、むこうに人参をぶら下げて、、、さあ評価を受けに行こう、、、と使うのです。こんな凄い俺が評価を受けてないなんておかしいだろ!!!です。こうして自我に無我(神)が使われるというおかしな現象が起こるのです。とはいえ自我とは最初からそういう存在です。

おかしい、おかしい

おかしいなーおかしいなーなかなか評価を受けれないぞ!!!こうなれば自我ストーリーの最高レベル、、しっかり無我は自我に使われストーリーを維持します。思考の全ては評価をうけれない「私」となるんです。この私をこの私をどうにかして、、、、です。

そうじゃない

そうじゃないんです、、、無我になることの素晴らしさを知ったこと自体が最高に重要なことです。だからここで自我に目覚めるんじゃなく、、無我を極めるのです。自我と関わってない素晴らしさを既に知っているのですから、、そのまま無我を極めます。自我の提案には乗らず、、無我を極めるのです。

最後のピン

倒せるか

気づきとはピンを倒すことです。ボーリングのピンですから、、倒せばそれで終わりです。ですが倒れにくいピンっあってそれがなかなか倒れない。倒させない動きがエゴ、自我です。エゴ、自我は自身の存続をかけてあらゆるやり方でこれを妨害します。体を柔軟にしようと頑張ってもなかなか柔らかくならない場所ってあるんです、、それが最後のピンです。

執着

執着というのは自我の巧妙なトリックで、、これを手に入れさえすればあなたは幸福になるよ!!!!という罠です。お前これ欲しいだろ、これが手に入ったら半端ないよ!!!!これが執着です。これによって私は脇目もふらず走るのです。。。あと少し、もう少し、、と走ります。もしくはこうなちゃったら不幸になるよ、、これはまずいよ人生が、、、です。どちらもそういった人参をぶら下げて、、、、走るように導きます。

本当は

全部全部全部現象が起こって認識がそのまま起こるんです。現象=認識です。もしくは認識=現象です。これだけです。体の五感も認識を起こせるので、、世界で認識を持っているのはこの体だけなんだ、、、という誤解が生まれたんです。こうやって私たちは誤解する夢遊病者のように生きてきたんです。

信じないでくれ

もうあなたの中に湧き上がる間違った思考を信じないでください。頭の声はおそらく間違った勘違いを前提にした声です。この世界をこの小さな体の私が五感を使って認識し生き抜くんだという誤解を前提にした声を相手にしなくて大丈夫です。

武道の達人

自然無為

武道の達人は相手の動きを、、、この目で見ていないんです、、、、相手の動きそのものが動くと意識化されます。動きは意識化されるんです。意識が動きをそのまま意識します。もう達人は、、体ではなく、、意識として相手の動きを感じるのです。目ではないんです、、目では不可能です、遅すぎるんです。背景が、、相手の動きを感じ、、背景が認識します。

ボクサー

ボクサーの動き同じ、、、目でパンチを見切るのは不可能です。あれは背景が動きを認識し、、避けます、避けます。こちらの動きを、、「相手の目」が認識してくれればこちらのパンチは当たります。つまりプロとは自分という存在を完全に落とし、、背景として仕事をしているのです。無我になとってとは背景として現象を認識するということです。

背景V背景

ボクシング世界チャンピョンの戦いは背景V背景の試合です。動気が起こった時点で認識が起こり、、それに合わせてこちらの動きが起こります、背景から。相手の動きの全ての動き(現象)に認識がそのまま起こるのです。目でパンチを読む、頭で考える、、、全部後手後手になるでしょう。

救世主NEO

意味

映画マトリックスで、、NEOが救世主かもしれない、、と言われたのには意味があります。人類を牛耳ってきたエゴを駆逐できるかもしれない最後の男、、それがNEOです。人類はいつのまにかエゴという寄生虫に犯され、、苦しみ続けてきたのです。かつては釈迦、イエスキリストがその救世主でした。なぜ彼らの名前を聞くと、不思議な気持ちになるのか???それは本質の本質がそのことを明確に分かっているからです。本質の本質から救いを求める声が起こっているのです。

助けて

エゴは無意識化の体に入り込み、、いつの間にか人類を牛耳ったのです。そして自然増殖を繰り返し、、ここまで人類を苦しませてきました。この流れ、この歴史をもう終わりにしませんか??というのがマトリックスの映画が提案するところです。この打開策が「意識」です。意識は我々をこの体の中に閉じ込め、、意識がこれを解放させます。全ては意識です。

意識

意識がない時は絶対にありません、意識は100%常にあるのです。この意識を使ってどう生きるか???ここに全てがあるんです、ここにこれまで通り人として生きるのかこれからは生をいきるかの決め手があるのです。人生の人と生、、、これは全く異なるのです。人としての人生、、生そのもの、、、この大きな差です。

何度も

何度もここでお伝えします、、意識を使って洗脳が起こったのです、意識です。この意識に対して、、名前を呼び続けた結果、、私のこの意識は、、鈴木太郎である、、、という「意識」が起こったのです。これによってこの思考を「意識」する動きが起こります。名前を呼ばれると、、意識が反応し、、私は鈴木太郎だ、、が起こるんです。ですがこの「私は鈴木太郎だ」は、、世界の現象の全てをこの体のみで認識する存在だという後付けが起こり、、、本当に小さな存在に成り下がります。

実は

まんまと騙されるには理由があるんです、それは、、この体の感覚は間違いなく確かなので、、、この五感が全てを感じているというこの事実が、、全部をひっくり返すのです。本当は音光熱現象、、全ては、、その場所でも認識できるのです。音は音が起こった場所で認識されます、光は光が起こった場所で認識されます。にも関わらずこの体だけが認識を起こすと教えられてそう信じて生きてきました。

ひっくり返る

一瞥体験者はこう言います。。ひっくり返ったんです。。。。と、、、180度ひっくり返ったんですと。そうなんです。。。。ひっくりかえったのはそれまでが真逆の状態だったんです。体が別世界を実感して生きてきたのが、、、別世界が別世界自体を認識するという真実を思い出したのです。鳥、猫、雨、全視界の登場人物は視界そのものが認識するのです。この体が何もしなくても全部そのままに実感が起こるんです。

取り戻せ

現象は全て意識化されます、、現象そのものが意識化させるのです。視界が意識を作るのです。逆なんです、すべてが。目の前の鳥が意識を作るんです、、、鳥の声が意識を作ります。。。そしてそこに意識を向けると鳥が現象化します。。意識と現象は常にセットであり、、そこにはこの体は完全ノータッチです。体は体を意識すると現れます。体を意識して、、音、声、光を感じることもできます、、そう意識すれば。。。