至福という背景

動きだけがある

至福という背景に「悟りたい」という動きだけがあります。至福という背景に「いつか悟りたいんです」という動きが起こるんです。至福という背景に「どうやったら悟れますか」という動きが起こります。今もここは完全に至福です。そこにその動きだけが起こっています。「悟り方を教えてください」という動きが今目の前で起こりました。ですがその動きは完全完璧に至福から現れたんです。

俺はどうしたら

至福という背景から、、「俺はどうしたら悟れるのか」という動きが起きました。その動きを注意深く観察してください。至福という背景から明日悟れるだろうか???という動きが起こるんです。。。その時に背景から個人に移ってはいけない、、、背景です、、至福という背景なんです。今も既に。

自我という収縮したエネルギー

自我という収縮したエネルギーを感じてください、、感じるのは背景としてこれを感じるのです。自我を徹底的に感じてください、背景として。背景として思い切り自我を感じるんです。自我を感じる背景は至福です。背景が自我を感じる時一切の至福の崩れがありません。自我がガッツリと絞り込んできても背景の自覚を崩してはいけない。自我は常に背景から分離しようと企てましが、、自我がガッツリ捻れるからこそ背景を強く意識するのです。

もう負けない

自我の強力な捻れを背景として維持します。至福をここで崩しては行けない。背景の中の登場人物は、、背景から自我へのシフトを促すでしょう。ですがここで自我になってはいけない。。背景のままです。背景のまま自我を観察します。

(Visited 4 times, 1 visits today)