名前をつけることで全体から分離させていく

先ずはこの自分に名前をつけて全体から分離させた

名前を付けるということを多くの方は何も考えずに行っています。全体、全宇宙の現象は本来分離は一切していなく個別の存在などありません。ですがその宇宙全体に対し人間は名前を付けていくことでこれを整理整頓させていきました。地面から上に出ている部分を植物と表現したり、その植物の緑の部分を葉っぱと表現したり、そこからできる丸い物質を果実と表現したりします。これらの命名は宇宙全体からその部分を分離させていく作業です。これにより我々は観ている宇宙全体を完全に分離した世界として眺めています。「私」が観る世界にはあらゆる分離した存在がたくさん存在するようになっていくのです。これは生きていく上では便利ですが同時に全体の宇宙を分断して切り裂き、生命力を失わせている作業なのです、「自分」が観る世界の。名前をたくさん覚えれば覚えるほどにこの世界は活気を失っていくのです、あくまで表面上。

名前を覚えれば覚えるほどにこの世界は活気を失っていく

全宇宙の中に「私」という個別の存在が誕生したことによってこの「私」はさらに宇宙生命現象に名前を付け始め見える世界を分断し、整理し、それを覚えるという行為をしていきます。これは一つなる生命現象を刃物で切り裂いていく行為であり見える世界は活気を失っていく結果になります、表面上。ですがこの「私」はそんなことはお構いなしにこの「私」を生き延びさせていくために名前の暗記に時間をかけていきます。名前を覚えれば覚えるほどにこの「私」を生存させて生きやすくなるからです。ですがそれと同時に生きる世界から活気がなくなっていくというおまけがつきます。

活気を失った世界を生きるのは苦しい

「私」という分離したこの存在(体、感情、思考)をサバイブさせていくには確かに最低限の名前を覚えていく必要はあります。ですがそれは同時に私を活気のない生気のない世界に放つことにもなります。要は生きていくことは出来るが居心地の悪い世界になっていくのです。「私」という存在をサバイブさせることができるようになったならば次はこの分離の罠を見破っていく方向にベクトルを向けてはどうでしょうか?名前をさらに覚えていくという感覚ではなく、名前を溶かしていく感覚です。全体を俯瞰して見ることで葉っぱと木は一つの生命他であった、人間も他の動物もたった一つのエネルギーで実はできている、、、人間というのは実は個別の存在ではなくそれは思い込みである、、、このように裁断されて粉々になってしまった宇宙生命現象を再結合させていきます。抽象度を上げていき上から眺めていく視点を取り戻していきます。活気、生気を失った世界に生気が戻ってきます。