負の感情が湧くからこそ、、、

自分が完全独立しているならば全感情は解決されているはず

これだけテクノロジーが発達し、これだけ便利な生活が完成し、これだけITが革命的進歩を遂げたならば、、、人間の感情など完璧に解明され負の感情を味わうことない生活が保証されていても全くおかしくない。。。。ではなぜそれができないのか?今もなぜ変わらず人間は苦しみ続けているのか?という話です。どう考えても辻褄が合わない話です。人間、自分という存在が確立した何かであるならばテクノロジーが人間の不幸を全滅させてもおかしくない、、、でもそうならない、、、そしてそれを誰も疑問に思わないというのがまた不思議。

ネガティブな感情が湧かないサプリはこれからもできない

これだけ科学技術が進んだならば人間の不幸を解消するサプリができてもおかしくない。。ですが実際は全くそうなりません、、、何を食べてもどんな良い生活をしても贅沢三昧をしても人間というこの存在からネガティブな感情を沸かせないアイテムが登場することはないでしょう。なぜか?それはこの私は人間であるというこの大前提こそが偽りだからです、この私が居るということ自体が思考が仕掛けた罠だからです、、、この罠を見破らない限り人間は至福に至ことはありません。この体を自分であると捉え続ける限り負の感情が湧き続けるというこのメカニズムを理解する以外に人間は不幸から脱却できないのです。

負の感情が湧いたらまだ偽りの自分が存在する

負の感情とは偽りの自分が存在するかどうかのバロメーターです。偽りの自分が存在し続ける限りこの負の感情は湧き続けます。外部的要因など一切関係なく偽りの自分が存在すれば負の感情は湧き続ける、、、ではそうするか?負の感情を観察する観察者になるのです。負の感情を解決する思考者ではなく負の感情を観察する観察者に徹する、、、思考してこれを解決しようとすれば思考者が強化されます。観察してこれを観察し続ければ観察者が強化されます。観察者とは大いなる存在です。観察者とはワンネス、神です。

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