悟りの場所はどこにあるのでしょうか???
ここです、、ここ以外にはありえない、、、だからここに全部あります。自我はそれを嫌がります、自我は先のどこかに、、「私は幸せになれる状況」があると信じ込ませます。これとあれが手に入り、子供はこんな感じに育ち、、、老後はこうで、、、です。「私」が主語のハッピーの感情を「描く」のです。そして真剣にそうなったらハッピーになると信じています。
いまここでなぜ至福じゃないのか????
逆算なんです、、いまここは至福です、、、ですがいまここが至福じゃないわけです、、なぜ?????いまここで至福じゃない理由はどこにあるのか????逆算します。「私」がいるからですね、いまここから私が飛べば、、ここは至福なんです。エゴとペインボディ動きを完全に見切ります、、私を認識しているのは誰だ????ペインボディの動きを認識しているのは誰だ????
目の前
目の前の旦那を認識しているのは誰だ?????誰が認識している????この視界は誰が認識している????認識とは、、その場で起こるのです。その場所がそのものを認識します。その場所の現象がこちらに話しかけてくることで「私」が生み出されますが、、その「私」を認識するのもまた背景です。背景が相手の言葉を認識し背景がこの言葉を認識します。背景と背景の会話が起こります。そこに意味はあるのでしょうか???ないです。
意味があると思っている
会話に意味があると思っているのは、、この先に至福があると信じているからです。ですが既に至福の中でただ背景同士の会話が起こるのです。その理解が起きますと、、突然至福が起こるのです。相手は言うでしょう???どうしたら私は幸せになれますか????ですがその発言が至福から飛び出たのです、これを見抜きます。エゴの動き、ペインボディの動きははやりあります、これからも。ですがそれすらも至福から起こっていることに気づくのです。