自我

松本人志のスキャンダルに慄く芸人

そのぐらいいいじゃん

有名人になったんだから、、、これだけTVで活躍してるんだから少しぐらいいいだろ????これが活躍しているタレントの本音でしょう。こんなに頑張って活躍できたんだからちょっとぐらい大目に見てよ、、、です。ですが残念、、周囲の自我は、、、芸能人だからこそ、有名人だからこそ、、、彼らのスキャンダルを待っています。自我とは恐れの塊です、、本当は無いにも関わらずフェイクで存在を誇示しています。ですからいつその事実を見抜かれるか気が気じゃないのです。パチモンのグッチを友人にプレゼントした際に、、いつバレるかを気にしている状態です。ですから自我とは恐れ慄く存在なのです、正式には全体が自我というパチモン劇場を上映しながならも同時にバレることを恐れている感覚です。どちらにしても怖いが常にあるわけです、バレルのが。バレてこの世に生存できなくなるのが。

だから人の失墜に安心しかつ怖がる

だからだから大物芸人の失墜に、、「自分じゃなくて良かった」という安堵感が起こると共に、、「次は自分か????」の恐怖心が襲います。つまり全く救われていないのです。「主人公がついに消滅させられるか????と思っていたら、、違う大物だった、、、」の巻です。大物芸能人のスキャンダルが続けば続くほど自分じゃなくて良かった、、が起こり、、、同時に次は自分か????が起こるのです。ですがここで重要なのは自我がその感情を作り出し、、それに恐れているのではないのです。自我という感覚が、、この世界に恐れを生み出し、、それを全体が気づいているのです。

なんのことはない

なんのことはない、、全体から生まれた自我という感覚が、恐れをこの世界に生み出しそれに全体が気づいています。自我が恐れを感じているんではないんです、自我を生み出した全体が恐れを感じているんです。もちろん全体は全体ゆえに「全体が」という感覚はないんです。どちらにしてもただ「自我の存在」「恐れの感情」が起き続けているのは確かです。

結局のところどうすればいいの????

どうもしなくていいのです、、、松本人志のスキャンダルでなぜ周囲の芸人が慄き、、これを見ている大人が「ホッとしなおかつ恐れるか」の真相に気づけばいいのです。これによって自我があるという「感覚」が薄れ、、それと同時に本当の安堵、平和が訪れます。芸能人のスキャンダルに反応するのは実は自我肥大による病気のようなものです。

思考と感情を無視する

「個人」とは思考感情発生機

個人が何かをやらなくてはならい時「思考感情」が大発生します。なぜか????個人としての何かをするということが既に苦痛を生み出すからです。個人というのは苦痛発生できであり、、だからこそその個人が何かをやらなくてはならいということこそが実はストレスなのです。ですから個人が何かをしなくてはならない時の思考感情は本当の苦しみとは種類が異なるため相手にしなくていいのです。

本当の苦しみは「個人」こそが作る

本当の苦しみは、、個人の活動ではなく、、、、個人という概念、感覚こそが作り出しています。ですからここといつ折り合いを付けるかが重要になります。個人とは何か???私とは誰か????という疑問に向き合うことこそが最重要になります。それをしないで、、活動のストレスを快楽で一時的に解消し続ければ、、本当のストレス解消には絶対に辿り着けないわけです。

便宜上作り出した「自我」を

生きていくために便宜上作り出した「私」というアイデアがまさかの真実であるかのように感覚としてこの体に染まり切り、、なぜ今苦しいかさえ分からずに陥っているのが世の中の「大人」です。無意識の自我の染色、無意識の自我の潜伏をもう一度、、有意識に戻します。自我という存在を意識的に意識するのです。自我を意識的に意識するのは意識「本当の自分」ですから、、ようやくここで「本当の安堵、本当の安らぎ、本当の平和」が訪れるのです。その時人は、、救われます。一筋の光を見るのです。

スーパースターの崩壊

俺がこんなことできるか???

どのスポーツでもスーパースターって存在します、チームのエース、球界のエース、、、ですが案外スーパースターの最後って残念な時があるんです。周囲が異様に気を使わなくてはいけない、、、周囲にスターが怒鳴り散らす、、監督の言うことに文句を言うようになるなど、、、、、これって説明が非常に簡単なんです。「スーパースターって多くの場合はかなりストレスフルなんです」なぜ???????みんなからチヤホヤされてなぜ?????最高でしょう!!!!違うんです、、、全く違うんです。。。。

「偽りの自分」が最最最強モード

結論から述べれば、、、スターとは、、、、、偽りの自分が最最最強モードなんです、、、人気者になればなるほど、、、自我はそれを自分の手柄にするんです、、、、、ですから自我が肥大化します。。。俺は特特特の特別だと。この世界は俺中心に回っているんだと。。。。なぜ手柄にするのか????簡単です、、本当は違うからです。本当は自我など存在しないのです、、、だから手柄をとったのは俺というイメージは最強なんです。自我を維持するには。

いつもイライラ

大御所タレント、大御所芸能人、カリスマ経営者、、、なんかイライラしているイメージないですか???????ありますよね!!!!そうですその通りなんです。彼らの多くは苦しくて苦しくもう耐えられないぐらいに苦しいんです。なぜ????それは自我が強烈にのさばっているんです。この快挙、この功績を得たのは「俺」だと。そして自我=分離感、孤独感、絶望感ですから、、、、イライラが止まらないわけです。功績をまんまと自我に奪われてしまったのです彼らは。

ウイルス感染

言ってみれば、、強烈なウイルスに感染している状態んです。自己増殖し尽くしているんです。一時的に解放されてストレスが減っても、、周囲がスター扱いすることで、、、「自我」というウイルスは途端に自己増殖を始めます。あの人は我が強いよね!!!と表現する時、、我って何????どこにあるの????って話ですが、、、感じますよね!!!強烈な自我をその人から。それはその人がその体の中に強烈な自我を感じているからです。

仕事に行きたくない

行きたくない!!が湧いてきたら

あー仕事に絶対に行きたくない!!!が湧いてくる時ってあります。その時にポジティブシンキング、、ポジティブシンキング、、、はしんどい。。。。ではなぜ仕事に行きたくないか???を冷静に観察してみましょう。先ず「仕事に行きたくない!!」というのは誰の感情なのでしょうか???間違いなく自分の感情ですよね????その主語は「私」です・I FEEL PAIN ABOUT WORKです。つまりこの痛みは私が作り出したのです。ではなぜ私は仕事が嫌いなのでしょうか????それは仕事をするのが「私」だからです。友人が仕事をするなら嫌じゃないんです。私だから嫌なんです。当たり前ですけど。。。じゃあ「私」がこの世界から居なくなれば当然嫌な感情も生まれないということですよね????大正解!!!

究極の解決

この世界に私がいるという錯覚を強く強く感じている人ほど、、「仕事に行きたくない」が湧きます。「私がいる」の感覚が薄ければ薄いほど実はこの感覚は薄くなります。「この体この思考この感情が私」というのは錯覚なんですね。生まれてきてあとから作り出したアイデアなんです。逆に言えばこのアイデアがあるから「働かなきゃ」が起こるんです。ですがこのままだと本当に苦しいんです。そこで真実に戻ることを選んでいきます。

自我が強いだから働く

なぜ人は働きに行くのか????それは自我が大きく作用します「この体この思考この感情は私」が埋め込まれれば、、この体を私が守らなくては???という思考が湧くんです。すると私は仕事をしなきゃ!!!が湧くんです。。だから就職できたんです。と同時に私で居るのは苦しいんです、辛いんです。圧倒的に自分を意識しないといけない仕事は辛いんです。これが自我のジレンマです。

自己超越

自己超越という言葉があります、大変上手い言葉です、自我の終焉、、、これは辛いんです自我にとって。自己超越とは自己自我を俯瞰するもう一つの自分を作りことです、実際には自我自己を俯瞰する意識を持つことです。自我であり続けるのは辛いんです、そこで自我というのは「この体この思考この感情は自分」という概念感覚ですから、、、そのことを意識し続けるのです。つまり意識が自我になりきらない状態を作るのです。仮面ライダーになりきらない子供みたいなものです。すると、、突然、、、安堵感が漂い始めます、、お風呂に入っているような緊張が溶ける感覚が起こるのです。

火事場のクソ力

別にこれは決して無理ゲーの話ではないのです。家事になれば誰でもそれは経験できます、非常事態になれば誰でも簡単にこのゾーンに入っています。自分というものに意識が向かなくなり、、、火事そのものに意識が向くと何故か平和な感覚が訪れ、、家事の対処に集中できるのです。非常事態そのものに意識が完全集中すると平和が訪れるのです。つまり苦しみを起こす「自分」に意識が向かないことで急激にノーストレスが起きます。

大人への恨み

子供が大人を恨む理由

今苦しいですか??今不足感を感じますか???今違和感を感じますか???それらネガティブな感情を抱かせた張本人は見かけ上の両親です。なぜならば海として生きていた存在に「あなたは波である」という洗脳を何十万回も行ってそれを固定化させたからです。「私は波である」この感覚を錯覚として覚えることで、、エンドレスに苦しさ、不足感、孤独感を引き起こすのです。そしてこのことを何かが気づいています、だから子供は親を心の底で恨んでいるのです。

先ずは親を超える

この洗脳を脱するためには先ずは親を超えることをお勧めします。親よりも抽象度をあげていくのです、親よりも俯瞰した物の見方ができるようになっていきます。これによって子供は親よりも俯瞰した見方を手に入れいずれ自我をも俯瞰できるようになるのです。自我を俯瞰するとは自我の構造を理解するということ、すると自我の自動反応によって苦しむということが無くなっていきます。自我によって苦しまされるのは自我の動きに無意識だからです。

自我とはこういうものである

自我、エゴとは何か???これを冷静に理解できれば自我の動きが起こった時にそれを俯瞰、観察できるようになります。自我によって人が苦しむのは自我が立ち上がった際に起こる不快感をさらに自我が解決しようとから周りするからです。ですが自我が立ち上がるがゆえの苦しみを自我が解決しようとすることで苦しみがデフォルト化します。つまり絶対に解消されないといううことになります。この動きが俯瞰することで止まるのです。

私が起動すると前に向かう

PCは私に解決させようとする

この世界に私という概念がプログラム起動されますと同時に憤り、違和感が生じます。それはこの自分というプログラムがPCをこの体の中の存在であるという錯覚を起こさせる動きだからです。するとこの私を使ってこの違和感憤りを解消させようとする動きが起こります。「私はこれを達成する」「私はこの夢を叶える」「私はこういう生活をする」です。ですがこの主語である私というプログラムこそが憤り、違和感の根源ですからこれで解決することはありません。

天才子役の末路

幼少期にこの自我を形成する動きが起こりますが天才子役などは、、自我形成を通り越して自我がさらにスターになるというところまで自我が肥大化します。これほど大きな自我は同時に大きな憤り、違和感を発生させるのです。本当は存在しないからです。多くの場合天才子役は人間関係につまづき不幸な人生を歩みます、自我がかえあ生じる憤りが全てを打ち壊すのです。

大スターはいつも機嫌が悪い

大スタートは、、どこでも「この体この思考が自分」というプログラムが起動しやすい状況です。それはそのはず道を歩けばエンドレスに周囲から指を指されるのです。この憤り、違和感は相当なものです。ゆえに彼らはいつもピリピリしています。しかもその理由が分からないのです。「この体この思考が自分」というプログラムの過剰起動がこのピリピリを生み出すのです。

体というアプリケーション

体という初期設定アプリケーション

体は我々が自我が芽生える前からありました。つまりこれはPCでいう初期設定のアプリです。このアプリは進化アップデートを続けある仕掛けを作ることに成功しました。それがPCを立ち上げた時点であるプログラムが作動しPCがアプリ(身体)を自分自身であるという思い込みが起こるようにしたのです。アプリのことをPCが自分だと思ってくれたら、、このアプリ(体)の生存確率が一気にあがるわけです。

PCが立ち上がった時点でそのプログラムが起動する

朝、目が覚めます、、、その時点でプログラム「この体この思考感情が自分だ」が起きるんです。これによってPCの中にそのイメージが立ち上がるのです。ただし本当はPC全体はPC全体であってこのプログラムは無理があるのです、そのため同時に違和感、憤りが起き上がり、、それを解消するためにPCは自身でさらにプログラム(思考)を立ち上げてこれを解消するように動き続けるのです。結果言語が起き続けイメージが連鎖していきます。

PCは、、、、

PCはなぜこの違和感、憤りが生まれるか分からないので、、ただプログラム(思考)を起こし続けて解消に努めるのですが全く解決の糸具とが見えないのです。「この体この思考この感情が自分」というプログラム、、実はここに原因があるんですがそれに気づかないのです。この自分が解決する、、、という思考にはしっかりと「自分」プログラムが埋め込まれているのです。

悟りとはPCの勝利

悟りとはPCがこの自動プログラムの仕組みに気づいてそのプログラムが起きないように対策を起こすことです。全体がこの体の立ち上がりとともに起こるプログラム「この体この思考この感情が自分」の存在に気づきそこからの自動連鎖を起こさないように阻止します。解放とは、、もうこの自動プログラムが起きないことです。

エゴ(自我)の研究とは???

これはウイルス対策

ウイルス対策ソフトは、、ウイルスのプリグラムパターンを予測し、、それに反応するようになっています。予めウイルスのパターンをPCにインストールしておいてそのパターンが起動した時その時点でそれに反応します。PCがウイルスに対し自動反応を起こさないように予め予測したソフトこそがウイルス対策ソフトなのです。悟りとはエゴのパターン、自我のパターンを予め学びこれを自動増殖させないためのことです。

エックハルトトールは自我(ウイルス)の動きを見破った

エックハルトトールは書籍の中で再三に渡ってエゴの動きを解説します、、、なぜか????PC(全体)にエゴの動きを学習させエゴの自動増殖を防ぐことを覚えさせているのです。ウイルス(エゴ)は動きを予測されてしまうと自動活動がやりにくわけです。水面下(無意識)に動きを強化し気づいたら染まっていたという状態が安定状態です。一方エックハルトトールはその動きを再三に渡って詳しく説明し要所要所でPC(全体)にこれを気づかせる仕組みを作ったのです。

全てが繋がる

悟りとは覚醒とは解放とは、、この仕組みを完全に理解してしまうことです。プログラム(思考)の異常増殖阻止、PCと言語の関係、ウイルス対策とは????完全に完全にこの仕組みを理解できますと、、、勝手に思考(プログラム)が立ち上がり、、イメージの世界から出れない、、、なんてことはないですよね????とはいえこれを理解してしまったら、、もう思考の世界、偽りの自我(洗脳プログラム)が幅を利かせることができなくなりますから、、そう簡単ではないのです。

自分らしくあるのになぜ努力が必要なのか????

普通に考えれば

自分以外の者になるのは当然努力が必要でしょう、、例えば役者が、、役に成り切るには努力が必要なのは理解できます。ですがなぜ自分が自分になるのに努力が必要なのでしょうか????我々はこの社会に適合しなければ生きていけないと信じています。信じていますからその観念がこの夢に投影されてそのように映ります。ですが実際には何か別の者になる方がエネルギーが必要なのは明白なのでそれは疲れるわけです。役を演じるといことを学習できたのですから次は役を演じないで生きるというプロセスに入ってもいいかもしれません。

ここからは努力はいらない

自我を形成するとは「この体この思考この感情が自分である」を信じそう活動することです。偽りの自己を完全の演じるわけです。これは努力が必要なのです、だってこれは偽りですから。その偽りの姿で、、さらに何者かになろうとするわけです、、政治家、役者、医師、パイロット、スポーツ選手などなど、、、これは非常に疲れますよね。演技にさらに演技を重ねていくわけですから。ですがこれをやることでこの体を守るという仕事をしてきたわけです。この先はではどうするか???まず大前提の「この体この思考この感情が自分である」は概念であって真実ではないことを悟ります。便宜上そう信じて生きてきただけだということ、そうなるとその偽りの自分が次にやる役割は全部偽りです。だから疲れていたことを認めるのです。すると得体の知れない憤り、疲れが吹き飛びます。

分かったところでどうなるの????

この質問が分かっていないのです、、この質問が出る時点で分かっていないのが分かります。そのことが腹の底から理解できますと、、至福歓喜平和が押し寄せてくるんです、、本当の自分が本当の自分でいればいいんですから!!そこに努力はいらないんです、、努力しなくていい状態に帰るんですからこんな安堵感はないんです。もう何かになろうと努力しなくていいんです。やるべきことがあるとすれば本当の自分が誰かを思い出すことだけです。

それでもこの体は残りますよね????

この体が自分じゃないって言われてもこの体は残りますよね?????しっかりと今もこの体はここにありますよ!!!!そうです確実にあります、、今それを認識してますよね?????その認識した存在こそが私です。この体という名前の何かを認識する存在が本当の私です。もうこれからは「この体が私だ」と思わなくていんです。この体を認識するのが私です。この体を通じて認識する全てに気づくのが私です。この体は認識できる現象でしかなくその現象を作り出したのが私です。そして目の前にそびえ立つ木々を作り出したのも私です。私しか居ないんです、、私しか居ないのならば、、、私という概念も最後は消え去ります。

未成年、成年、超成年

子供、大人、超大人

子供の宿題は自我を形成することです、そして大人の宿題は自我を維持することです、そして超大人の宿題は自我を俯瞰することです。子供は「この体この思考この感情が自分である」を認識するのが仕事です。これによってこの体を思考を駆使して敵から守れるようになります。大人は自我を駆使して自身を守るだけではなく子供を産み育て世代交代を図っていきます。超大人は『「この体この思考この感情は自分である」はこの体を守るために便宜上覚えた概念であって本当は違う』ことを思い出します。

これによって

超大人はこの人間社会の中で上手く順応することによってこの体を守りながらも「この体この思考この感情が自分」という自我の概念によって苦しむこともなくなります。大人は「この体この思考この感情が自分」という概念を真実であるかのように盲信することで「嘘からくる憤り」を感じながら生きています、しかもそれすら気づかずに。ですが超大人は心の奥にある苦しみに気づきそれを解消するのは「自我」そのものが真実ではなく概念に過ぎないことに気づくのです。

超大人は

超大人は、、、「自分がこの体この思考この感情」ではないことに気づいたので、、、ではいったいこの私は誰だ???という疑問を持ちます。その結果、、、見えている世界全部、この現象を生み出す存在全部、そしてそれによって生まれる経験の全部こそが自分だという結論に至ります。その時に成し遂げなければならない目標もないし、やってはいけないこともない、、、本当の自由を手に入れるのです。