思考

思考は思考を使う方向に導く

思考の策略を見破る

思考は思考を使う方向に全部導こうとします。問題が全部なくなってしまったら思考は用無しになってしまいます。ですから常に問題点をあぶり出しかき集め、そしてその解決のために思考はフル回転をするという自作自演を延々と続けていきます。すべてを問題化しそれを思考フル回転で解消しようとする、ですがそもそも問題などはなく自分で問題視しているだけですからこの自作自演は絶対に終わることがありません。唯一の解決方法はこの策略を見破ること、これだけです。

問題を作るためには自分が必要

この世に自分が居なければ問題など起きません、雨が降ろうと、石油の値段が上がっても、不景気になっても、、自分が居なかったらどうでもいい話です。ですので先ず自分というモノが居るという大きなる勘違いがどうしても必要になります。そこで思考はこの思考こそがあなたなのだ、この思考を所有している偉大な存在が「あなた」だと騙します。今湧いているこの思考こそがあなたが生きている証拠だと騙します。まんまと騙されて誕生したのがこの「自分」なのです。自分はそのため大変不安定です、そもそも居ないのですから。こんなに不安定で実在しない「自分」を維持発展させるためには常に思考フル回転でいる必要があるのです。思考が無くなってしまったら自分が居なくなってしまうからです。

自分を維持していくために問題は起こり続ける

なぜそんなことで悩んでいるのか?なぜ殺人してしまうまでこんなことで悩んだのか???他人のことならそんなことは頻繁に起こります。ですが自分ごとになるとそうはいかない、、、なぜならば全てを問題化しなければ自分を維持できないからです。問題が起こるから思考がフル回転になり自分が維持できるのです。起こる現象のほとんどを問題化したいのは自分自身なのです。この世から問題がなくなって困る張本人はこの自分なのです。自分がそもそも無い、この思考を自分と勘違いして生きているのだから思考が湧くきっかけを常に常に求めているのです。

問題解決に思考を使えば使うほどに苦しくなる

就職活動をしている、、、、

就職活動をしているとしましょう、、、絶対にやってはいけないことは思考を使うことです。自分はどんな職種が向いているのだろうか?自分はどんな適性があるのだろうか?自分は地方に行ったほうがいいのだろうか?あらゆる不安が湧いてきたときにこれを思考で解決しようとします。思考して思考して思考して何か答えが出ればいいのですが人生の大きな問題においては思考で解決できることなど先ずありません。ですのでこのような状況ではひたすらに情報を集めることだけに徹します。自分の大学の卒業生が行っている就職先リストを作る、自分の適性検査をして情報を得る、去年の卒業生の就職先を手に入れる、、このようにただひたすらに情報だけを取っていきます。そこに自身の解釈、比較、検討を加えません。ひたすらにただ情報を取り続けていくということにします。不安な感情が湧き、思考がグルグル湧いてきますが全部無視します。それを継続していくとどこなら受かりそうでどこは不可能か、、またどの職種なら募集が多く、どの業種が少ないか、、など自身に関係する情報だけが精査されていきます。情報の渦から自身に関係する情報だけが残っていきます。

思考をフル回転させてもただ不安、苦しい、しんどい、、、が溢れてくるだけ

不安、苦しい、しんどいの発生源はこの自分です。この自分という存在こそがこの感情の発生源なのです。にもかかわらずこの自分を肥え太らせればどうなるか?不安感、居心地の悪さ、しんどさ、、、負の感情がオンパレードで湧いてきます。この自分を肥え太らせる一番の要因は何か?それが思考フル回転なのです。思考中毒こそがこの自分を大きく太らせデカくします。自分というものが大きくデカくなっていけばいくほどにこの世界の中に自分と自分以外という大きな境目、ギャップ、鉄の壁ができて孤立するのです。この孤立感こそが負の感情の正体です。これを自我(この思考こそが自分というアイデア)は意図的にやります。意図的に自分を維持するために問題を作り上げ思考フル回転状態に持っていくのです。問題とは自我のためにあるのです。

この世の問題は自我のためにある

なぜ人はtvニュースを観るのか?なぜ人はYAHOOニュースを観ては不安に怯えるという虐待行為を自分に行うのか?答えは簡単、、、、不安をもてば自分(思考)が大活躍できるからです。不安がなかったら自分(思考)の出る幕がない、、、だから自分(思考)はtvニュースを見るように促しそして不安感を煽り思考をフル回転させるという自作自演を行っているのです。問題をかき集め自分を維持しているのです。

思考が過去や未来に存在する意味

「今ここに在る」を過去未来に連れていく

意識、全体、今ここに在るが思考に同一化すると、、思考は過去を思い、未来を思い、、、意識を今から逸らせます。本来は「今ここに在る」は今に在るわけですがこれが思考に同一化することで過去、未来へと旅に出るのです。「今ここに在る」が思考を通じて過去を考える今に変わります。今ここに在るは今ここに在る時に本来のバイブレーション、振動で在るわけですが思考の同一化し過去や未来に旅をしますと波動が荒くなっていく、重くなっていくのです。これが居心地の悪さを生み出します。

「今ここに在る」は過去未来のストーリーを体験したかった

「今ここに在る」は思考との同一化を達成し初めて未来や過去に意識を向けるということを達成します。未来過去を行ったり来たりするスケボー、サーフィン体験です。時間という波の上をサーフするのは大変面白くエキサイティングです。意識にとって思考と同一化するのは本来の状態ではないですから非常に不安定、疲れるのもまた確かです。この状態はバイブスが低いのです。思考というのはこの自分の過去の体験に依存しておりそのため今という場所には居れません。そのため「今ここに在る」という意識にとって安心にてストーリーに浸かれるわけです。「今ここに在る」は今に戻ったら「今ここに在る」になってしまいます。思考との同一化から離れてしまいます。思考と同一化に成功している限り過去、未来という時間軸の中に居続けます。この場所はエキサイティングだが疲れる場所、負の感情を延々と湧いてきます。ですがこれを思考が解決を図ることでまたここの居続けることができます。

「今ここに在る」は思考が使えないような状態に陥った時だけ今に戻る

「今ここに在る」は思考と同一化すると「今ここに思考として在る」に変わります。「今ここに思考として在る」は思考に連れられて過去や未来への旅を続けます。熟睡時や、、思考も介在できないようなアクシデントに見舞われた時にだけ思考が壊れ、、「今ここに在る」に戻るのです。この状態は平和、歓喜、安堵と究極の至福状態で在るがゆえ、、、思考は直ぐに「今ここに在る」と同一化を図り思考の世界に引き込みます。これによって再び「今ここに在る」はエキサイティングだが疲れる過去未来旅行に出かけるのです。

今ここに全体として在るから、今ここに思考として在るに

これはトリック

今ここに全体として在る、、、、これが本来の認識です。我々は確実に今ここに在ることを知っています。誰が何と言おうと私は今ここに在る。。。これだけは断言できます。この在ると言う感覚に何一つ疑問はないはずです。今ここに在ると言う感覚は全体として在るのです。ただしこの全体は諸行無常、移り変わる世界です。私は在る、、、の中で見える世界は移り変わっているのです。これが真実です。ですがこの在るという感覚を思考が乗っ取っている、、これが自我のメカニズムなのです。Iam 私は確実に在るを、、、思考が乗っ取り、、、私は今ここに思考として在るに書き換えているのです、常に。だからこそ思考は常に湧いてきて自身の存在を主張し「私は在る」を乗っ取り続けるのです。私は今ここに思考として在る、、は思考の乗っ取りですから、、この人間人生が幻想、ドラマと言われるのです。

思考は常に乗っ取り続ける

今ここに在る、、、これが本来です。本来はこれだけです、、この、、今ここに在る、、、のなかで諸行無常、万物は移り変わっていきます。今ここに在る、、、の中で森羅万象が起こり続けています。この中に体が起き上がり、思考が起き上がる、、、この思考の活動に今ここに在るが同一化し、、、今ここに思考として在る、、が誕生しました。思考の今ここに在るの乗っ取りでもあり、、、今ここに在るのい思考との同一化です。今ここに在る、、は平和歓喜安堵そのものです。これが今ここに思考として在る、、、になると違和感が湧き上がり続けるのです。なぜならばこれは完全なる誤解だからです。

今ここに思考として在る、、はとてつもなく不安定

今ここに思考として在るは、、本来の形ではありません。今ここに在るがスケートボードに乗っているような状態です。そしてこのスケートボードに乗っているを本来と勘違いしている状態なのです。スケートボードは不安定ですから急に降りてしまったりします、、、するとまさかの大変安定感があって安堵が込み上げてくる、、それは当然ですよね。ですがスケートボードは直ぐに「今ここに在る」をボードの上に乗せてしまいます、これが本来だよと。ところがやっぱり何かアクシデントがあると、またボードから外れる、、、すると平和、歓喜、安堵が訪れる、、、、ところがやっぱりボードがしゃしゃり出てきて「今ここに在る」を上に乗せます。これが今ここに思考として在るです。ボードに乗っているのはエキサイティングで楽しいのですがやはりしんどいわけです。

不安定だから「今ここに在る」は楽しいが常に戻りたい

「今ここに在る」の思考同一化体験は大変エキサイティングで楽しい、、ですが同時に非常に疲れます。長くこの思考同一化体験を続けたい気持ちと、、早く「今ここに在る」に戻りたいの両方の気持ちで揺れ動いているのです。思考は「今ここに在る」との同一化により活動を活発化させ「今ここに思考として在る」を助長します。「今ここに在る」は思考との同一化を止めればいつでも「今ここに在る」に戻ります。この状態に意識的に居れる人を覚者と呼びます。「今ここに在る」が本来の姿です、むしろ「今ここに思考として在る」が後付け、錯覚、変異です。「今ここに思考として在る」が「今ここに在る」に戻るためにはあらゆる方法がありますが、全作業に集中することで思考を抜け落とすか、、、湧いてくる思考感情を観察し同一化から脱却する、、、そしてこのブログの内容のように「今ここに在る」しか最初から無かったんだに気づくことです。

思考が見せる世界の成れの果て

名前をつけた世界は生気がない

もしもあなたの前にある世界が曇っているならばそれは名前をつけた世界に生きています。もしも目の前の世界が生気を失っているならばそれは生気を奪っているのはその方の思考です。小さい子供が公園や家に居てもひたすらに楽しそうにしているのは見ている世界が輝きているからです。そこから少年は知識を延々とつけていき見える世界に名前がつけられラベルが貼られていくことで見える世界から生気が失われ行くのです。人は名前がつけられた世界にいると名前がついたモノしか見えなくなっていき本質から離れて行くのです。

例えば一日中ニュース番組を見ていてば

例えば朝起きてそこから一日中ニュース番組を見ているとしましょう、恐らく夕方ぐらいには目の前にある世界が曇っているはずです。どんよりと重苦しい世界が目の前に広がっているはずです。もともとどんよりしていたわけではありません、あなたの思考が世界を分裂させて生気を剥ぎ取ったのです。負の感情が湧く、それを思考で解決していく、、、この循環に陥っていきますと大人になればなるほどに世界は分裂していき生気を失っていきます。

本当に欲しいのは知識ではなく知恵

我々現代人に必要なモノは知識ではなく知恵です。この世の真実を照らす知恵が必要です、そうしないと知識ばかりが増えていき世界から生気が失われていきます。生気を奪うのはあなたの知識、思考です。知恵とは何か?知恵はこの世をシンプルに捉えていきます、シンプルに捉えていけば思考もシンプルで大丈夫になっていきます。必要な知識は徐々に減らせていけるのです。日経新聞の隅から隅まで読んでみてください、、恐らく見える世界から活気がなくなっているはずです。これは知識です。このブログを読んでもらいもしも視界に光が射してきたならばこの内容は知恵ということになります。

思考をあえて使わない生活、、、

比較検討検証をしない生き方

スーパーのチラシを見てください、何%オフ、何割引、残り00個、ポイント何倍デイ、まとめて買うと一割引き、、、、これを見ると人間の思考がフル回転します。思考がいかに得をするか、賢い消費者になるか、いかに損をしないか、、、これを考え始めます。実はこれ人間を不幸にするメカニズムがガッツリと詰まっています。思考を使えば使うほどに負の感情が湧くようになっています、得な消費者、賢い消費者になる代わりに負の感情がガッツリその人から湧き出ているのです。スーパー不幸体質に強制変換されています。

何も検証しない

私はスーパーに行くとこれらのチラシを全く見ないようにします。この商品がいくらか、、これだけです。欲しい商品と値段だけを見て買うか買わないか決めるだけです。もっと極端に言えば知っている野菜や商品であれば値段すら見ません、包装がやけに高級感漂っている時だけ値段を見ます、それ以外は値段すら見ない、、、これで思考を何も使わないで買い物ができます。負の感情を湧き出さずに買い物を行えるどころか買い物という行為に集中することでそこから無心、無我になれます。つまり買い物という行為から悟りに入るのです。

賢いと言われることを放棄する

クーポンと呼ばれるモノも一切使いません、クレジットカードに何ポイント溜まっているかも確認すらしません。思考を賑わそうとする他者の策略に乗らないようにします。手数料なども一切気にしません、その時に最も効率が良い方法を選ぶだけです。これによって思考の介在を防ぐことができます。料理を食べる時も一切順番を気にしません、食べたいモノから食べます、食べることにのみ集中します。すると食事そのものが道、悟りへの入り口になります。思考は色々言ってきます、これから食べないと冷める、野菜が先の方が消化酵素優位に、、、それらの思考の戯言を一切聞かないようにします。それによって食事の時間が無心、無我、悟りに変わります。

人間が話す賢いは全て小賢しさ

思考ができる賢さは全部小賢しさです、これは断言できます。人間とはこの小賢しさ全開で発展した生物なのです。ですからこの思考をフル回転すればどうなるか?小賢しさ全開の人生になります、こんな人生の何の価値があるのか?という話です。そしてこの小賢しさ全開の人生にはついて回るペナルティーがあります、それが負の感情の噴出です。自我が強固に肥大化すればするほどに負の感情が噴出するように設定されているのです。自我とは思考で支えられておりこの思考の強化は自我の強化です。コスパがいい、コスパ最高、、、こんな言葉を自分が使い始めたら要注意思考が人生の幅を利かせています。せっかくの無我無心、悟りに入るチャンスをコスパで失っています。

感情解消に思考を使うとドラマから逃れられない

思考とはこの「世」を作り出す機能

負の感情が湧いてきた時に多くの方は思考をフル回転してこの解消を行います。思考に絶対的な信頼を寄せる人間は負の感情が湧いた時こそ思考の出番、これを行います。ですがこれには大きな落とし穴が、、、思考とはこの世界を作り出す張本人だということです。この分離した世界は世の中の現象に対し名前を付けることで形成されているのです。例えば渋谷のセンター街に行くとしましょう、もしもそこに知り合いがいたらあなたはどうするか?確実に相手を見ます、相手に注目します。その瞬間にその相手以外は景色になるのです。このメカニズムを理解できたでしょうか?何千人という他の人間が風景になり名前を知っている人間だけがあなたの世界に飛び込んでくるのです。つまり人間とは名前をつけたモノだけが視界に飛び込んでくる世界なのです。この世は名前世界なのです。

思考はこの役目を担う

思考はこの視界に名前をつけこの人間に名前がついているモノに注目させます。名前がついているモノを毎日見て人間は生きているのです、逆に言えば名前がついた世界の中に生きているのが人間なのです。負の感情が湧き出した時に思考をフル回転してこの解消に臨むとどうなるか、、思考が強化されていきます。つまり人間は益々あなたの思考の世界に住むことになるのです、そしてその世界には居る自分自身は違和感を感じその違和感が負の感情になって湧き出してくるのです。そしてその感情をまた思考を駆使して解決を図ります。これが人間を苦しみのループから逃さない方法です。

人間ドラマからの脱却

負の感情を思考を駆使して解消すれば思考世界に人間はより没入するようになります。この世界は活気がなく退屈で生気がありません、居心地の悪い世界なのです。この世界から脱出する唯一の方法は負の感情が湧いた時に思考に頼らないことです、思考に頼ってその場しのぎの解決をするのではなくその感情をしっかりと観察します。その感情観察に集中します。その感情観察をするために今に在るようにします。感情観察から無心無我に入っていくのです。これで思考のループから脱却できます、思考の無限地獄から脱却できます。

負の感情に思考を使わず観察すると意識のエネルギーに変換される

負の感情はパワー

負の感情が湧き上がった際にここで思考が通常はフル回転します。この負の感情を解消すべくです、ですがこれをしない、、ここから感情の観察に入るとどうなるか、、、負の感情は暴れずに消え去ります、そして意識は大いなる意識、真我へと変化します。意識が負の感情エネルギーを利用して活動を行うようになるのです。負の感情は思考と密接に繋がっていて自我のメカニズムを通常は強化します。ですがこれをしないで観察に徹すると観察者が生み出されます、それが大いなる存在です。負の感情はエネルギー化し意識の僕になります。

不良が大成するメカニズム

少年時代の不良が改心してそのまま大成する、、、大人になる、これは決して珍しい話ではありません。それどころか少年時代にグレてしまうような人間は大きなパワーを秘めています。それが負の感情とし思考のメカニズムに埋没すると非行という形になります。自身の行動を改め、負の感情に対し意識的に付き合う、観察をしていくとこの感情エネルギーは陽転し大いなる一つの僕として活動します。大いなる一つの活動エネルギーに昇華されます。多くの場合負の感情が湧き出すと思考が直ぐにこの感情を解消しようとするためお酒、ドラッグ、タバコ、ギャンブル、異性と気晴らし行動に転じます、これぞ思考の真骨頂です。そしてこれによって益々自我が強化されることにより不良行動に拍車がかかるのです。

負の感情と反社会勢力

負の感情を思考が解消しようとすれば必ず即座的な行動、短絡的な行動になるのです。例えば違法賭博や、違法ギャンブル、違法〇〇といかに短絡的にこれを解消するかを思考は考えだすのです。これを支えるのが反社会勢力になります。思考が考えだす負の感情の解消方法は常に短絡的、その場しのぎなのです。本人が少年時代にこのような生活を送った場合、そのままその先に進んでいくとこのような社会に生きる道を求めていきます。負の感情が湧いた時に即座に思考によって解消しようとしない、、負の感情を観察し、、しっかりと観察し集中しそこから無我無心に入っていきます。負の感情が湧く度に観察者になることに徹すれば負の感情はやがて観察者(大いなる一つ)の僕になります。

思考に絶対的な信頼を寄せる人間の愚かさ

思考はこの世の王者

思考とはこの世の王です、絶対的な権威です。その証拠にノーベル平和賞に選ばれる多くは最高権威の大学を卒業しています。ですが実際にはその思考が生み出したテクノロジーはこの世界を平和に導くどころか混乱を生み出しています。これに多くの方は驚かないのですが実はこれは思考の本質を見抜くチャンスです。思考とはあくまでもこの世界を構築する一つのエネルギーでしかなくそれ以上でもそれ以下でもないのです。思考というたった一つのエネルギーを絶地的王に据えることで人間も世界も不幸に至らせてしまいました。

思考=感情

思考と感情を完全に別に考える方は多い、、、女性は感情的で男性は思考的、、、、感情と思考は別物、、これが世間の一般常識でしょう。ですが実際は違います。思考のエネルギーが感情のエネルギーを生み出しています。私はこの世界でたった一人の存在だ、、これが自我ですがこの自我システムこそが人間に孤独感、分離感、喪失感、不安感を生み出し続ける元なのです。感情豊かなライオン、感情的なシマウマ、など自然界において感情が溢れておかしくなっているような動物はいません。皆淡々と生きています。苦しみという感情は生物のデフォルトではなく人間というこの自我を形成した動物だけがこれを所有します。

人間を辞めよう

野生動物は穏やかで人間は不幸、、こんな悲しい事実を人間は絶対に認めなでしょう。知能、思考というものを手に入れた人間様がなぜ野生動物よりも不幸なのか?あり得ない、、ですが真実です。人間様だけが負の感情を常に生産し続け全世界の不幸を一手に抱えています。人間様だけがこの負の感情を思考によって即座に解決しますが直ぐにまた負の感情に襲われ終始緊張感を漂わせているのです。これが人間の本性です。思考というものを絶対的に信頼しその思考によって裏打ちされた自分を絶対視することで負の感情を生み出し続ける存在、それが人間です。この人間を一瞬で辞める方法があります、それは感情を観察することです、思考を観察することです、湧いてくる感情、思考に、思考を被せてこれを解消するのではなくそのまま観察者になります。そのまま気づきの意識、無心、無我になるのです。自身から湧いてくる感情を自分のモノとして所有しこれをなんとかしなければと思考フル回転になるのではなくそこから悟りに入るのです。その時人間はいなくなります。

お酒、タバコ、ギャンブル、異性は負の感情を解消する思考の罠

思考が勧める負の感情解消は罠

何かつまらない、何かストレスが溜まっている、何か虚しい、、、、これら負の感情に対する思考が提案することは何か?お酒、タバコ、ギャンブル、異性など安易にこれを解消することを思考は即座に提案しそれに乗ります。そうすると負の感情は即座に解消されてしまうことでまた負の感情が湧いた時には思考は大活躍します。ですがこれは思考の罠です。負の感情が湧いてきた時こそが思考が大活躍できる機会ですがこの思考に委ねた負の感情解消は対処療法の域を出ません、結果即座にすぐ負の感情が湧いてきます。これは負の感情が湧くメカニズムを知らない無知な人間への思考の罠です。

思考こそが負の感情をこしらえる

思考こそが実は負の感情制作の張本人です。思考こそが負の感情をこしらえています。思考という偽りの自分制作ツールこそがこの偽りの自分を維持し続け結果負の感情を湧かし続けているのです。逆に言えば負の感情が湧いている限り偽りの自分が居続けている証拠になります。負の感情とは偽りの自分、自我、エゴが今現在どれほど幅を利かせているかのバロメーターなのです。ですから負の感情から逃げるのではなく負の感情を徹底的に観察することで逆にそこから大いなる一つ、気づきの意識、ワンネスになってしまうことをお勧めします。

思考はこの物理次元の王

思考というものを疑う人間はそうは居ません、なぜならば思考こそがこの文明を発展させ続けてきた張本人であり今でも思考の優劣が人間の優劣を決める大きな要因になっています。あの人は頭がいいというのは勿論敬意を込めて使います。まさか思考が人間を苦しませ続けているなど思うはずがありません。ですが東大卒などの知の権威大学卒業生が皆幸福かと言えばそうではなく、、これこそが思考の限界、むしろ思考の真の姿でもあります。まさか思考がこの自我、エゴを作り出し負の感情をひたすらに湧かせ続けているとは、そして日々人間はこの負の感情と戦いそして思考に救いを求めているか、、ということです。