今ここに全体として在るから、今ここに思考として在るに

これはトリック

今ここに全体として在る、、、、これが本来の認識です。我々は確実に今ここに在ることを知っています。誰が何と言おうと私は今ここに在る。。。これだけは断言できます。この在ると言う感覚に何一つ疑問はないはずです。今ここに在ると言う感覚は全体として在るのです。ただしこの全体は諸行無常、移り変わる世界です。私は在る、、、の中で見える世界は移り変わっているのです。これが真実です。ですがこの在るという感覚を思考が乗っ取っている、、これが自我のメカニズムなのです。Iam 私は確実に在るを、、、思考が乗っ取り、、、私は今ここに思考として在るに書き換えているのです、常に。だからこそ思考は常に湧いてきて自身の存在を主張し「私は在る」を乗っ取り続けるのです。私は今ここに思考として在る、、は思考の乗っ取りですから、、この人間人生が幻想、ドラマと言われるのです。

思考は常に乗っ取り続ける

今ここに在る、、、これが本来です。本来はこれだけです、、この、、今ここに在る、、、のなかで諸行無常、万物は移り変わっていきます。今ここに在る、、、の中で森羅万象が起こり続けています。この中に体が起き上がり、思考が起き上がる、、、この思考の活動に今ここに在るが同一化し、、、今ここに思考として在る、、が誕生しました。思考の今ここに在るの乗っ取りでもあり、、、今ここに在るのい思考との同一化です。今ここに在る、、は平和歓喜安堵そのものです。これが今ここに思考として在る、、、になると違和感が湧き上がり続けるのです。なぜならばこれは完全なる誤解だからです。

今ここに思考として在る、、はとてつもなく不安定

今ここに思考として在るは、、本来の形ではありません。今ここに在るがスケートボードに乗っているような状態です。そしてこのスケートボードに乗っているを本来と勘違いしている状態なのです。スケートボードは不安定ですから急に降りてしまったりします、、、するとまさかの大変安定感があって安堵が込み上げてくる、、それは当然ですよね。ですがスケートボードは直ぐに「今ここに在る」をボードの上に乗せてしまいます、これが本来だよと。ところがやっぱり何かアクシデントがあると、またボードから外れる、、、すると平和、歓喜、安堵が訪れる、、、、ところがやっぱりボードがしゃしゃり出てきて「今ここに在る」を上に乗せます。これが今ここに思考として在るです。ボードに乗っているのはエキサイティングで楽しいのですがやはりしんどいわけです。

不安定だから「今ここに在る」は楽しいが常に戻りたい

「今ここに在る」の思考同一化体験は大変エキサイティングで楽しい、、ですが同時に非常に疲れます。長くこの思考同一化体験を続けたい気持ちと、、早く「今ここに在る」に戻りたいの両方の気持ちで揺れ動いているのです。思考は「今ここに在る」との同一化により活動を活発化させ「今ここに思考として在る」を助長します。「今ここに在る」は思考との同一化を止めればいつでも「今ここに在る」に戻ります。この状態に意識的に居れる人を覚者と呼びます。「今ここに在る」が本来の姿です、むしろ「今ここに思考として在る」が後付け、錯覚、変異です。「今ここに思考として在る」が「今ここに在る」に戻るためにはあらゆる方法がありますが、全作業に集中することで思考を抜け落とすか、、、湧いてくる思考感情を観察し同一化から脱却する、、、そしてこのブログの内容のように「今ここに在る」しか最初から無かったんだに気づくことです。

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