呼吸法

夢の中の映像って何でできている????

毎晩の夢

毎晩見る夢の中の映像って何で出来ているんでしょうか?????物理的には脳内映像ということにはなりますよね????ですがそれは幻想の話です。本当は何で出来ているんでしょうか????意識ですね、、意識が現象化し、その現象化した意識を意識が意識しているんです。「意識」ばかりが三回も並びます、、現象化した意識を意識が意識しているんです。ですから全部自作自演です。

この現実と呼ばれる世界

この現実と呼ばれる世界も、、、意識が現象化したものです。この現象化された「意識」を、、、今「意識」が「意識」しているんです。意味不明ですよね???三人の登場人物が出てきますが全員同じという意味不明な現象が起こっています。ですがこれが真実なんです。我々は常に「意識」が現象化した「意識」を「意識」が「意識」しているのです。つまりこの世界には「意識」しかないのです。

「意識」を生み出した存在

ではその意識はどこから起こったのでしょうか????意識とは、、、絶対、唯一の存在、不変の自己から生み出された反映、投影、リフレクション、影、、、の中で起こっているのです。つまり絶対的存在の影が絶対的存在の中で起こり、、その影を見た影の一部が、、「意識」です。影が影を意識しているのです。だから我々の本質は空、絶対、不変の自己と呼ばれるのです。

「意識」を「意識」に戻す呼吸法

我々は今「意識」が意識が生み出した現象の一部(思考)に完全意識集中している状態です。この状態は同時に苦しみを生み出します。呼吸法によって現象の一部(思考)への意識集中を、脱却し、、、「意識」を全方位に意識する「意識」に戻します。

開放性の中で

閉鎖性がイメージ化される

ここは開放性の場所です、解放しかありません、解放しかない中で閉鎖(個人)というイメージだけが起こります。解放しかないのですから閉鎖(個人)はイメージです、思考が作り出したイメージです、思考は開放性の表現の一つでしかなく、、完全なる開放性の中でまさに開放性の一部である思考が作り出した閉鎖(個人)というイメージのみがいつも起こっているのです。

閉鎖(個人)の動き

完全なる開放性の中で閉鎖(個人)というイメージが起こり、その閉鎖(個人)が動くというやはりイメージが起こります。閉鎖活動は開放性の中でしか起こり得ないのですから、、この閉鎖(個人)活動は緊張を伴うのです。一瞬でもこの緊張を解けば瞬時に開放性に飲み込まれていきます。ここは開放性の表現の場であり、、その表現の一つに思考活動があり、その思考活動は閉鎖性というアートを作ったのです。しかしそれでも開放性の中で起こっているという事実は変わりません。

覚者は言う

覚者は言います、、あなたは一度もこの真理から外れたことなどない、、と。まさにその通りです。我々はこの真理、開放性、解放の中でしか存在しえないアートです、、その表現が閉鎖性を彩っているのです。その彩りが苦しみというやはりアートを生み出し、、、その苦しみから逃れようという閉鎖性の動きがおこるのですがこれもやはり開放性のアートです。どこまでいっても開放性しか存在しえないのですから、、、ここは癒しの場なのです。

閉鎖(個人)というイメージを終わらせる呼吸

もしも閉鎖性(個人)というアート活動をもう終わらせよう!!という気持ちが起こっているならば、、苦しみはもう結構という気持ちが起こっているならば、、、私は呼吸法をお勧めします。今まさに我々の本質である「意識」が閉鎖性(個人)という概念に意識しています。これは概念、思考ですから、、意識をそこではなくそこ以外に意識させれば閉鎖性(個人)は終わるのです。それが呼吸です、、意識を呼吸に常に意識させることで、、閉鎖性を維持できなくなります。閉鎖性(個人)を維持できなくなれば、、そこには開放性しか残りません。

もう悩まなくていい

雑念が湧く湧かないかだけ

人生最大の試練が降りかかってきました、、、ですが雑念が全く湧いてきません。これって苦しいでしょうか?????全く苦しくないんです、全くです。実家の借金1億円が突然降りかかってきました、、ですが雑念が全く湧いてきません、、、、全く苦しくないんです。。。。つまり降りかかるトラブルが雑念を引き起こして苦しいのであって雑念が湧いてこなければ苦しみはゼロなのです。

最強戦略

じゃあ最初から雑念が湧かない体にしてしまったらもう苦しみは起きないですよね????その通りです。まさにその通りです。雑念が湧かない体を作る!!!と決めてしまうことです、これは悟ると決めてしまうことと同意です。エックハルトは思考を観察せよ!!と勧めました、、、要は皆同じ所に落ち着くのです。思考を観察することで結果的に雑念の量を減らしていき、、さらに意識そのものに帰ることを意味します。

ファスティングと呼吸法

最初から雑念が湧かない体にしてしまう、、ではそのためにはどうしたらいいのでしょうか?????私は呼吸法とファスティングをお勧めします。どちらも思考に向かうエネルギーを根本から断つというメソッドです。呼吸法では呼吸に意識を意識させることで、、思考に向かっていた意識を壊します。ファスティングでは過剰な栄養エネルギーを絶ってしまうことで思考、雑念の餌の供給を潰します。

雑念体質を終わらせる

何をしても雑念が湧くならば何をしても苦しい、、となるでしょう。。。逆に言えば何をしても雑念が湧かないのならば何をしても苦しくない、、幸福であるということになります。つまり重要なことは雑念の有無であり、、起こる出来事はなんでも良いのです。

ファスティングは有効

過剰エネルギーを断つ

現代人の多くは食べ過ぎです、、ストレス発散を食で行ってるためどうしても食べ過ぎ状態に陥ります。世の中のダイエットブームが全く終わらないのはこのためです。この余剰エネルギーはどこに向かうか?????思考です、雑念です、雑念の餌にされるのです。雑念がストレスを作り出しストレスが過食を促す、その余剰エネルギーがまた雑念に使われるというメカニズムです。この仕組みを断ちます、この負のスパイラルを断ちます、、どうやって??????断食、ファスティングです。

16時間断食

初心者の方はこれだけでも十分に効果があります。1日16時間断食します、前の日の夕食から16時間後に食べ始めるのです。要は食事の合間に16時間空けるタイミングを作るのです。そして残りの8時間は何回食事をしても構いません。重要なことは物を全く体に入れない時間を作るのです。

胃腸が適正な大きさに戻る

食事を我慢するのが目的ではなく、、、過食によって大きくなってしまった胃腸を元に戻していきます。胃腸が小さくなれば、、過食に走りにくくなるわけです。そして食事を開けている期間は雑念が起きにくいためにストレスも減るのです。こうして上記の負のスパイラルを断ちます。

断食と呼吸法

断食と呼吸法、、、、これらが悟り、覚醒、解放に有効な理由は結局のところ、、雑念が起きにくくなるからです。断食では思考の餌になるエネルギーを断ち、呼吸法では意識を思考から呼吸に意識させます。思考に行くエネルギーを断つという意味では同じことでしょう。つまりこの二つは同時並行して行うことで効果が増すのです。

これは違う

何かが違う

何か違う気がするんですよね、この会社、このパートナー、この収入、この家、この家族、この環境、、、とにかく違和感を感じるんです。人間はこうやっていつも違和感を感じ続けて生きていくのです。ではこの違和感はどこから起こっているのでしょうか????簡単です、、違和感とはこの「私」が居て私にとって完璧な環境ではないという思考、感情から起こるのです。ですが残念ながらその「私」は思考であり実在しないのです。つまりこの違和感はファンタジーが生み出したものです。

違和感というファンタジー

この私が居るという思考が生み出したイメージ、ファンタジー、イリュージョンこそが、、違和感を作り出したのです。この違和感が悪ということではなくイメージが作り出した代物であるというのが真実です。究極のリアリティ、今ここでは違和感は起きえないのです。もしも今違和感が生じるとすれば、、「私が居る」という思考が生み出したファンタジーです。

真実に違和感は生じ得ない

真実の世界に違和感って生じるわけがないんです、、もしも生じるとすれば、、、思考が作り出したイメージ、ファンタジーの中でしかこの感情は起き得ないのです。そういう意味では違和感も究極のリアリティの一部です。ですがこの違和感は思考なしでは生じ得ないので、、その真実を理解する必要があります。違和感とは思考が作り出した副次的産物なのです。

呼吸法

違和感は思考が生み出した二次的産物ですから、、、この思考が湧いてこなければ違和感は湧かないということになります。ではこの思考をどうしたら生み出さないように出来るのか????呼吸法です、、呼吸で思考にベッタリとくっついてしまった意識を削ぎ落とすのです。我々の本質である「意識」は思考にへばりつくことで違和感を作り出します、このメカニズムを壊します。意識を呼吸に意識することで思考から剥ぎ落とし意識そのものに還元させます。意識が意識そのものに還元した時真の安らぎが戻ってきます。

悲惨なニュース

それもこれ

悲惨なニュースってあります、、災害、大飢饉、大寒波、台風、ハリケーン、戦争、、、、あげればキリがないですよね。その全てはこれが作り出しています、非二元が二元として作り出します、、、その操作に個人は全くもって非関与です、個人はこの全現象に影響を与えることはできないのです。ピカソが描く台風、暴雨、飢饉、これらは感動的に美しいはずです。ではこの悲惨とされる現象は本当は美しいはずなのです。ところがそうでないのは「個人が居る」という雑念がそう見せているだけです。

全部が全部美しい

本当は全部が全部美しいのです、雷雨も完璧に美しいのです、、、にも関わらずそう見えないのならば、、、それは雑念がそうさせているのです。ですから重要なことは、、、この雑念を消し去ることで、、、全現象が、目の前の全現象が美しくみえないのは雑念のせいです。激しい雨も、激しい雪も、激しい風も、、、全部が全部本当は光り輝いています。

雑念を落とす

雑念がなぜ「起こる」かと言えば、、真実とは違う勘違いが起こっているからです。この私が居てこの人生を切り開くという勘違い、、、自由意思があって完全なコントロールで環境を支配できるという勘違い、、、これらが雑念の嵐を巻き起こすのです。この嵐こそが目の前の現象を曇って見せる原因です。

雑念の強制終了

真理を知れば雑念を落とすキッカケにはなります。ですがそれだけでは難しいでしょう。それはなぜか????我々の本質である「意識」は「思考」とベッタリくっついて、、、硬直状態になっているからです。これではエンドレスに雑念が湧くわけです、、、これを打破するには、、、思考に向いた意識を思考以外に向かせる必要があります。そこで重要になるのが呼吸法です、、呼吸に意識を意識させることで、、、思考にへばりついた意識を剥がせるのです。雑念が湧いてこない状況になるますと全現象が美しく見えます。

この体ではない、、ではない

起きる現象の全て

私たちは起こる現象の全てです、、この体も然り、この部屋も然り、この照明、この空気、この水、このインテリア、この思考、この感情も全て私たちです。私たち以外のものなど一切ないのです。にも関わらずこの体、この思考、この感情だけが私の物、、、という概念を強く強く信じたことからこの世界に緊張と分離を生み出したのです。本当はこの体、思考、感情は一部でしかなく、、、全部です。そしてこの全部を生み出すスペースも私です。そしてこの現象に気づく意識も私です。

経験

今目の前に光景が広がります、、この見るという経験は私です、、、全経験が私です、、、その全経験をこの体が経験しているのだという思考も私です。。。ですがその思考を前提にした自動思考が起これば、、苦しみが起こりますがその苦しみも当然私です。そしてこの苦しみをなんとか無くしたいという動きも私です。こうやったら、ああやったらと模索する全ての動きが私です。つまり全経験、全思考、全感情が私です。

この体が私だという思考を落とす呼吸法

この体が私だという思考も私ですが、、この思考が湧き上がると苦しいんです、、そしてこの苦しみも当然私です。そのことが理解できますとこの苦しみを終わらせたいという感情が起こります、その感情も私です。ではどうしたら消えるのか????我々の本質である「意識」を思考に「意識」させないしかこれを消す方法はないのです。意識を思考以外に意識させる以外にこれを達成する方法はありません。そのために呼吸法が有益になります。意識を呼吸に意識さえることで強制的に思考から意識を剥がすのです。

幼稚園時代

全てが輝き優雅だった

私は幼稚園時代までの景色ってしっかり覚えています。いつも景色がキラキラしていて音も綺麗で、、人も優しくて、、全員がハッピーでした。小学校三年生ぐらいになると急に景色が重くなり、性格が悪い友人が増えていき気分も荒れていました。なんで幼稚園時代はあんにハッピーだったんだろう???これが私の根深い根深い疑問として常に常にあったのです。そして今私は幼稚園時代までの景色を見ています、キラキラしています。音も綺麗で起こる人間関係も穏やかです。

雑念が原因だった

自我が芽生え、、さらに時間ばかりがあると、、、、雑念ばかりが増えて行くんです。この状態で景色が曇っていきます。どんどん曇っていき接する人間関係も損得取引駆け引きばかり、、全部が全部しんどくなるんです。宝くじが当たった、受験で受かった、、、何かビッグイベントがある日だけが心穏やか、、それ以外は常に曇りがち、、、です。この原因が雑念です。雑念こそが悪の根源だったのです。

雑念に意識が意識する

雑念が止まらない状況を誰も誰も教えてくれませんでした、、だから私は私で調べあげたんです。雑念って我々の本質である「意識」が雑念に「意識」している状態なんです。意味不明ですよね????意識っていうのは実は「私」とは全く関係なく存在していて、、その意識が雑念にへばりついた状態で雑念が起こるんです。実は「私」もその雑念の一つなんです。「私」っていうのは思考の一つでこれも完全に雑念です。

雑念を強制的に解く

私は水泳歴40年間です、、実はここ最近潜水にハマっていて毎日一時間潜水ばかりをしていました。。すると30分過ぎに、、、視界がキラキラになるんです、急に物がハッキリするんです、、その影響なのか、、、シーンとしています、、空間が。音が音以上の存在感になります。物が物以上の存在感になります。人が人以上の存在感になります。実はこれ呼吸法が関係しています、、意識が思考ではなく呼吸に意識することで大転換が起きたのです。我々の本質である意識が長年の盟友「思考」から離れ本来の位置に収まったのです。幼稚園時代は実は意識が本来の位置に収まった状態だったということです。

「私」にとっては全く嬉しくないメッセージ

「私」は思考体験

悟ると「私」にとってはどんなメリットがあるんですか?????その「私」が思考体験でしかないというメッセージです。思考体験ですから「私」とは体験する主体、主語ではなく、、、体験される側です。誰が「私」を体験するんですか????「私が居る」という思考が湧き上がり、、それがイメージ化されます、、それだけです。イメージ化された私が、、、何かを食べた、、、というやはりイメージが湧き上がり、、、それが体験されます。どこまでいっても「私」とは思考体験の中のイメージなのです。ですからいまここで起こるリアルな「体験」とは全く関係ないのです。

称賛を受けるのは「私」以外いないですよね?????

称賛される、、、という画像、声の経験だけがあります。この経験の次に「私が称賛された」という思考が湧き上がり、、それがイメージ化されます、、、ただそれだけです。どこにも「私が称賛された」という事実は全く起きていないのです。。。周囲の人間(画像)から称賛の声が起こります、、、それを経験します、、、その経験の次に「私は称賛された」という思考だけが湧き思考体験が起こるんです。

これを勘違いと言う

金メダルを取ればあらゆる取材を受け、、、なぜあなたは金メダルを取れたと思いますか?????と聞かれ続けるでしょう????ですがこれを聞くという経験だけが起こるんです、、、ひたすらに、、、、その後に、、、「私はインタビューを受けた」という思考体験が起こるんです。経験と思考体験は全く別物です。経験は経験です、思考体験はイメージ化体験です。経験とイメージ化体験をごっちゃにしているのが今の人間進化レベルです。

覚醒呼吸法

私は長年の経験から呼吸法を推奨します。三十分ぐらい真剣に呼吸法を行いますと、、景色が一変します。最初これは血流が良くなったのだと勘違いしていました。実際には意識が思考ではなく呼吸にシフトし、思考にへばりついた意識が抜け落ちたサインだったのです。景色がキラキラしてきます、ノイズが消えていきます。幼稚園時代の景色が戻ってきます。幼稚園時代の音が戻ってきます。理屈ではなく最初から悟り体験が起こります。

「私」が体験しているという仕組み

経験だけがある

朝起きます、、起きるという経験だけがあります。そして次に「私は起きた」という思考が起こりそのイメージが湧き出します、それを経験します。コーヒーを飲むという経験だけがあります。次に「私はコーヒーを飲んだ」という思考が湧き上がり、、そのイメージを経験します。次にパンを食べるという経験が起こります。次に「私はパンを食べた」という思考が起こります、そしてそのイメージがビジュアル化しそれを経験します。

経験だけがあり、「私が、、」という思考体験だけがある

メカニズムが分かるとこんな簡単なことはないんです。私抜きの経験だけが湧き上がり、、「私が、、、」という思考体験だけが湧き上がります、その合間に。毎日ひたすらにこの繰り返しです。経験のみ+思考体験のみです。さあ「私」はそこに存在しますか????しませんよね、、、「私、、、、」という思考だけが起こるのです、合間合間に。

経験と思考体験が混合する

経験の合間に思考体験という経験が起こります。ですから経験しか起きていないという点では何も矛盾はありません。動物、幼児は経験のみを積み、人間はその合間に思考体験が入るのです。全員が悟っているという表現が起こるのは、、、経験しか積んでいないという皮肉です。誰一人自分なんて経験は積んでいないんです、、「自分が、、した」という思考体験が起きているだけです。いまここで。

呼吸法

呼吸法で、思考、雑念を落としますと、、、経験の合間に入る思考体験が落ちます。つまり経験だけがある状態に入るのです。経験だけ、思考体験なし、、これを悟りと世ではいいます。呼吸法とは思考体験を作りだす、、思考への意識の意識化を止める行為です。意識を呼吸に意識化することで、、思考にへばりついた意識を削ぎ落とします。思考体験が落ち、経験だけが湧き上がる時、、、そこに真の安らぎが起こるのです。なぜならば思考体験こそがストレス、苦しみ、緊張感を作るからです。