開放性の中で

閉鎖性がイメージ化される

ここは開放性の場所です、解放しかありません、解放しかない中で閉鎖(個人)というイメージだけが起こります。解放しかないのですから閉鎖(個人)はイメージです、思考が作り出したイメージです、思考は開放性の表現の一つでしかなく、、完全なる開放性の中でまさに開放性の一部である思考が作り出した閉鎖(個人)というイメージのみがいつも起こっているのです。

閉鎖(個人)の動き

完全なる開放性の中で閉鎖(個人)というイメージが起こり、その閉鎖(個人)が動くというやはりイメージが起こります。閉鎖活動は開放性の中でしか起こり得ないのですから、、この閉鎖(個人)活動は緊張を伴うのです。一瞬でもこの緊張を解けば瞬時に開放性に飲み込まれていきます。ここは開放性の表現の場であり、、その表現の一つに思考活動があり、その思考活動は閉鎖性というアートを作ったのです。しかしそれでも開放性の中で起こっているという事実は変わりません。

覚者は言う

覚者は言います、、あなたは一度もこの真理から外れたことなどない、、と。まさにその通りです。我々はこの真理、開放性、解放の中でしか存在しえないアートです、、その表現が閉鎖性を彩っているのです。その彩りが苦しみというやはりアートを生み出し、、、その苦しみから逃れようという閉鎖性の動きがおこるのですがこれもやはり開放性のアートです。どこまでいっても開放性しか存在しえないのですから、、、ここは癒しの場なのです。

閉鎖(個人)というイメージを終わらせる呼吸

もしも閉鎖性(個人)というアート活動をもう終わらせよう!!という気持ちが起こっているならば、、苦しみはもう結構という気持ちが起こっているならば、、、私は呼吸法をお勧めします。今まさに我々の本質である「意識」が閉鎖性(個人)という概念に意識しています。これは概念、思考ですから、、意識をそこではなくそこ以外に意識させれば閉鎖性(個人)は終わるのです。それが呼吸です、、意識を呼吸に常に意識させることで、、閉鎖性を維持できなくなります。閉鎖性(個人)を維持できなくなれば、、そこには開放性しか残りません。

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