やりたいことなど見つかるわけがない
自我ベースで生きている人間にとってやりたことなど見つかるわけがありません。なぜならば自我は損得でしか物事を判断できないのでやりたいことなどに興味がないのです。ですから自分が好きなことで食べたい、、、などの自己実現は究極のギャグです、自我にとって。こんな仕事がいいかも、あんな仕事がいいかも、、これらを思考に相談すればそんなことはするべきではないと一刀両断されます。食べれるはずがない、絶対に儲からない、、これで終わりです。
先ずは自我を離れて無我に入る習慣をつける
というわけでいかにしたら好きなことやりたいことが見つかるかといえば無我に入る習慣をつけるしかありません。自我ベースで生きているかぎりどんなアイデアも瞬殺されてしまいます。自我とは思考のことであり思考に相談すれば全部破棄です。思考は基本損得、ショートスパンでの利益しか追えないのです。そんな思考にやりたことは何か?と問えばそんなものはないで終わりです。それよりもいかに毎日無我に入るかです、作業、仕事に集中することでどこからでも無心無我に入っていきます。思考を介在させないでいかに無我に入るかだけを考えていきます。
やりたいことは無我が教えてくれる
今やりたいことがないならば、それは無我に入れないからです。やりたいこと、情熱を燃やせることは無我に入らなけえば分かりません。思考はそんなことには全く興味がないのです、思考にその答えを問えば恐ろしいことえしか教えてくれないはずです。大人はみんな我慢して生きている、早く大人になれで終わりです。そうではなくどんな仕事、作業でもそこから無心、無我に入るのです。仕事の難易度、知名度、価値は一切関係ありません。いかに集中してことに当たれるか、それだけです。もしも作業から無我に入り込むことができれば無我が答えを教えてくれます。そして無我に入り込めばそこが安住の場所になります。