自我

これが夢だとして、、だったらどういたらいいか?

この質問こそ腹落ちしていない自我の逃げ

これは夢です。この事実を突き付けたときの自我の反応は様々ですが、、最も多いのが、、それが事実としてではどうしたらいいのか?という質問です。この質問は的を得ているようで実は的を得ていません。もしもこれが夢だということが腹落ちしたら質問は出なくなります。どうしたらいいか?という質問は自我の行動パターンの王道です。自我は何かしらの行動を通じて問題を解決してきたのでこれが夢だという事実を突き付けられた時ですらも「だったらどうしたらいいか?」という行動でアクションを起こそうとします。

これが夢だと腹落ちしたら、、、疑問は無くなる

映画にはまり込んでしまい、、あまりの恐ろしさで泣きじゃくる子供には「これは映画で作り物だよ」と教えてあげます。そうすると子供は安心して泣き止む可能性があります。ただこれだけです。もしもこの事実に対して「じゃあどうしたらいいのか?」と聞く子供は映画という事実をまだ受け入れれてないだけです。ですからこれが夢であるという事実に対して自分の中から「では自分は今後いかにして生きようか?」という疑問が湧いてきたら夢であることをまだ理解していないんだと俯瞰するだけです。

これが夢だということが分かったらそもそも自分がなくなる

夢の中で夢だと気づく時に、、、自分の存在も同時になくなります。これ当然ですよね。、もしもあなたが毎晩見る夢の中で、、夢の最中に「これは夢だ!」と気づいた瞬間、、もう主人公に感情移入しないですよね!!この事実を腹に落としてください。夢だと分かっていながら、、さあ仕切り直して次の展開に進もう!とはならないはず。その瞬間に夢から覚めるはず!これ絶対的に自信あります。つまり覚醒体験、目覚め体験、気づきの一瞥とは、、、拍子抜け、腰砕け、力抜けであり、、、じゃあどうしたらいいか?という心境とは真逆です。

結果に飢える動物がいない理由

動物には結果が存在しない

これは夢です。神が見る夢です。この夢の中で人間は結果を出せる人間は優秀であるという価値観を持っています。結果を出す優秀、結果を出せない劣等であると。このような価値観を持つ理由は人間が神に比べて無知無能であるという大前提があります。だからこそ結果を出す=有能であるという思いが強くなるのです。ところが本来は全知全能の神がこの人間の正体ですから結果を出せなくても全知全能です。神そのものが結果です。自らを無知無能であると勘違いしたことから結果に飢える動物になりました。一方動物は自我がありませんから自らを無知無能であるという劣等感がありません。全知全能のままです、だからこそ結果に飢えるなどの意味が理解できません。

結果を出しても無知無能は無知無能のまま

自らを無知無能であると判断を下している人間が結果を出したところで自らを優秀であると勘違いできる期間は一瞬です。だからこそ一度優秀であるという結果をもぎ取った人間は結果を出し続けるという呪縛に縛られます。一生結果を出し続けていかないとならない呪縛に縛られます。これは果たして幸福でしょうか?いな地獄です。結果を出せなくても地獄、結果を出しても地獄、これが人間という神の夢の中での主人公に突きつけられた宿命です。

この呪縛から解放されるには結果ではなく、人間を辞めるしかない

神はこの夢の中で自身を人間であるという錯覚ゲームを始めました、この錯覚ゲームは無限地獄、不足感全開ゲームです。本当は結果全開、全ての結果である神が価値ゼロの人間になりきってしまった結果として結果に飢えています。解決方法はこの勘違い、錯覚のメカニズムから目覚めること解放されること。これだけです。これが錯覚であるという心からの気づきが生まれると価値観は逆転します。この見える世界すべてが自分自身でありもう結果に飢える感覚が分からなくなります。空腹だと思っていたら満腹だった。

一つのエネルギーが振動数を変えているだけ

TVゲームは光の種類を変えているだけ

TVゲームはTVの画面上でキャラクターが動き、敵が現れて変幻自在に画面の中でドラマが展開されますが実際は様々な種類の光が画面上で点滅しているだけです。そして様々な種類の光というのも波長の長さが違うだけで同じ光であることに違いがありません。全く同じ因子で構成されています。これは実はこの夢、神が見る夢でも全く同じで同じ粒子が速度、回転数を変えて変幻自在に動いているだけで実は全部同じエネルギーです。違ったものに見えるのも、違った硬さに感じるのも、違った匂いに感じるのも振動数が違うだけ。TV画面の光と同じ原理です。

自分がいるという思考も振動数

思考もエネルギーです。物を構成するのもエネルギーです。思考においてこの分離世界を作り出しているのが自我です。この体こそ自分自身だいう思考です。これもエネルギーです。全てを構成しているエネルギーと全く同じエネルギーが振動数を変えて自他を作り出しています。そういう意味では人間の五感とは振動数探知機みたいなものでしょう。見て振動数の違いを発見する機能、匂いで震度数の違いを発見する機能、触って振動数の違いを発見する機能、味で振動数の違いを発見する機能、、、そしてこの体こそを自分とする思考(振動)、湧き上がる感情(振動)を自分のものとする思考(振動)が組み合わさってこのバーチャルリアリティーが形成されます。

一つのエネルギーがこの夢物語を作る

記憶する脳もエネルギーです。脳という記憶装置にエネルギーとして記憶されます。その記憶をもとに過去が誕生しました。人間という個別の存在があるという前提のドラマをしっかりと脳にエネルギーとして記憶することでさもこの人生ドラマが本当であるかのような錯覚をすることができます。映画も同じで全部記憶されています。そしてそれを構成するエネルギーはたった一つです。神を構成するエネルギー、ワンネスのエネルギー、空のエネルギー、全部同じエネルギーですがこのエネルギーが震度数を変えて変幻自在のバーチャルリアリティーを作り出します。

偽りの自分はTVが好き

偽りの自分は時間を忘れる瞬間を求める

偽りの自分は時間を忘れさせてくれる物、何もかもを忘れさせてくれる時間を好みます。T Vを見ている時間、ネットフリックスを見ている時間そこに没入できます。何もかもを忘れて夢中になれます。その瞬間無我に入れます、無思考に入れます、無心に入れます。だからこそ人間はT Vに夢中になるのです。ですがTVの問題点は安易に無思考に入れるがために日常生活の多くを思考に牛耳られることを許してしまうことです。思考のフルスロットルを止める方法をTVに依存してしまうのです。自分の力で無心、無思考、無我に入ることを諦めTV にそれを依存します。

TV ではなく生産的な行動の中で無心に入る

もしも仕事に対し無心に入れればそこから歓喜に入れます。もしも家事で無心に入れればそこから歓喜に入れます。TV で無心になる、無思考になる、無我になる感覚を掴んだならばそれを生産性のある行為に応用していきます。仕事、家事、スポーツ、と生産性のある行為に対し無我になれるならばもうTV は必要ありません。あらゆる行為に中に無我を発見できます、全ての行為から悟りに入れます。

TVが好きという事実は最高のヒント

偽りの自分が好きなことには大きなヒントが隠されています。小学生や中学生がゲームに夢中になるのも一つ、ゲームは時間と空間、そして自分を忘れさせてくれるからです。これは悟った状態です。この悟った状態を日々の生活の中で応用できるかがこの偽りの自分ゲーム最大の鍵です。無心に入れるかどうか、全ての動作を無心の状態で行う、書道、花道のように決まった所作に持ち込むことで自我を排していきます。ルーティン、反復作業にいかに持ち込めるか、そしていかに熱中できる分野に意識を向けれるかを拘ります。無心に入れないことは最初からやらないこういう覚悟が重要です。

偽りの自分は世間体を気にする

神が世間体を気にするわけがない

これは夢です、神が見る夢です。この夢の中では神が人間に扮して夢物語を歩んでいきます。人間になりきった神、偽りの自分が世間体を気にします。それは世間の顔色を伺わないと生きていけないと思うほどにこの人間は弱いからです。周囲にとことん嫌われてでも生き抜いていけるほどにこの人間は強くはありません。だからこそこの偽りの自分は世間に迎合します。偽りの自分は無知無能でありそれがデフォルトです。神は全知全能です。このギャップがどれほどの影響力を持つかということです。神は世間体を気にしません。人間扮する神は世間体を気にします。

世間体を気にしない人は自分が神であることを思い出してきている

世間体を気にしない人が稀にいます。これは自分の存在が人間という限定された存在ではなくそれ以上のものであることを思い出してきているのです。あらゆる困難に向き合ってきた中で瞬間瞬間に神の存在に触れていきますと周囲に迎合する意味が分からなくなります。神は周囲に迎合しません、強いからです。本当の強さとは腕力でもなく頭脳でもなく神であった記憶を取り戻した者です。絶対絶命になった時に自我が抜け落ち無我の存在に触れたか、日々の生活の中で無心に入る、完全燃焼に入る状態を知った者は自身の存在が実は神であることを思い出しています。

偽りの自分が本当の自分を見つける?

偽りの自分が本当の自分を見つけることはできません。本当の自分が偽りをしていたことに気づくしかありません。本当の自分はこの偽り体験(人間体験)を通じて弱さ、惨めさ、孤独、不足、欠落を経験したかったのです。本当の自分は偉大すぎてこれらを経験できません。あえてこのような状態、経験を味わい尽くすことで新しい感動体験を積んでいます。

相手を攻撃したい欲求が湧くのは、、、

攻撃することで偽の自分を確認する

「この心身こそが自分だ」これは偽りの自分です。この偽りの自分は時に他人を攻撃することで自分を確認するという手段をとります。他人を攻撃しますとその他人はこの偽の自分に対して反応をします。「何をいうんだ?」「なんて酷いことを、、」と何かしらの反応をしてくれます。こうして偽りの自分は自分の存在を証明して安心するのです。自分が偽りであると分かっているからこそこの偽りの自分は他人を利用して安否を確認します。世の中から今後も犯罪がなくならないのは、自我の延命処置のために他人を攻撃するというやり方ゆえです。

攻撃しても反応してくれない他人は用無し

偽りの自分は誰かれ構わず攻撃することはしません。ちゃんと攻撃に対して反応してくれる他人に絡みます。反応をしてくれない他人は自分の証明にならないからです、反応をしてくれるからこそ自分が居ることを証明できます、偽りですが。もしも自分の存在に絶対的な自信があるのならばわざわざ絡むなどのことをしなくていいでしょう。その存在が偽りだからこそ他人に絡んで安心したいのです、一瞬でも。

自分の存在が偽りであることは神(本当の自分)が一番よく知っている

これは神の夢です、神が見る夢です。神はこの夢の中で人間(主人公)を作りこれを自分であると勘違いすることでこの夢を永続させます。神がわざわざ人間に扮しているのですからこの存在が偽り、仮の姿であることは誰よりもよく理解しています。だからこそこの勘違いを永続させるために他人を利用するのです。人間としての自分に絡んでくれ、反応してくれ、過剰なまでに反応して欲しい、、、これが他人を攻撃したい欲求になります。

思考は「この心身」を永続させるために発達した

この心身は神の化身

この心身は神の化身です。神がこの夢を謳歌するためにこの心身こそを自分だと究極の縮小バージョンの自分を作りました。作っただけではこれを自分だと勘違いすることができないのでこれに思考を与え「この心身こそ自分である」と勘違いできる状態にしました。これが自我です。ということで思考とはこの大いなる勘違い、至上最高のジョークを永続するためにあります。

人間は思考が大好き

人間は思考が大好きです。なぜならば思考がなければ自分を永続できないからです。この勘違いを成立できないからです。野生動物に自他の区別がないのは思考がないからです。人間だけが思考を所有することで自分と、自分以外という世界を作り上げることができます。これは同時に強烈な孤独感、欠落感、不足感を生み出します。まさかこの思考がこの世の苦しみを生み出しているとは気づかずせっせと思考を強化しているのが現代人です。

情報化社会は苦しい

過去の歴史においてこれほどまでに情報が溢れた時代はありません。これはもう狂っているとしか言えないほどの情報が飛び交います。人間はこれらの情報を大いに取り入れて思考を強化していきます、自我が永続されていくのです。ですがこれは同時に分離感、孤独感、欠乏感も増やしていきますから大変苦しいとも言えます。大変苦しいと同時に悟り・ノンデュアリティーなど人間の苦しみメカニズムを解明する情報も手に入れることができるという面白い時代とも言えます。

パワーはどこから湧いてくるのか?

無心、無我、無思考、完全燃焼の状態はパワー全開

アーティストや達人と呼ばれるような人々はわかっています。パワーとは無心、無我、無思考になった時に中から湧いてくると、というよりもパワーそのものになると。自我、思考全開状態は神が人間になり切っている状態、この状態は無知無能の状態です。この状態で良いパフォーマンスを上げるの不可能です。神がわざわざ無知無能状態を作り出しているのですからそこで頑張るのはおかしい、直ぐに疲れ果てます。物事に集中し無心になって取り組むことで自我が抜け落ち神(パワー)そのものになります。

ではどうしたらその状態に入れるのか?

準備を重ねてから事に当たる、要領よくことに当たる、期限を決めて事に当たる、、これらの作業は、、事に当たるまえに思考の介入を許しています。一つ一つの行動に思考が入り込んでいます。これでは無心、無我に入れません。そうではなく何度も反復で物事に当たるのです。一気にやり切るのではなく生活の一部として何度も入り込んでいきます。例えば食事、1日に三回するとして食事をするのに思考を使いません。要領よく食べるとかしません。食べきらなくてはもありません。このように反復行為に持ち込むことで思考の介入を許さないようにしてしまうのです。

思考とは夢にどっぷり浸かる道具

思考を多くの方は自分自身の一部と捉えています。ですから考えれば考えるほどに自分を強く意識しますし、思考とはこの自分にいかに得をさせるかの道具ですから思考を使えば自分を強化します。思考フル回転=自分フル回転です。ということで思考の介入を避けていかに物事を達成するかに集中していきます。全てを書道のようにしていく、考えながら書いている書道の達人はいません。書に向き合ったら思考を捨てて完全に向き合うことでパワーそのものになります。このパワーこそが目覚めへの誘いです。

他人を強烈に意識する自我は褒められて安心する

他人の評価しか信用しない

自我は他人からの評価を強烈に意識します。自我は他人から評価されたくて仕方ないのです、そして自身に低評価する人間を腹の底から憎みます。高評価する人間を愛し、低評価する人間を憎んで生きていくのです。これが自我です。これは夢です、神が見る夢です、この夢の中で神は人間になり切って生きています。成り切るためのメカニズムが自我です。つまり自我とは後付け、、存在しないのです。ということで自我は他人からの評価で自身が実在していると保証したいのです、そして自身を低評価する人間を恨むのはその先にある自分の嘘を見破られることへの恐れです。自分は本当に居るんだ、という強烈な打ち出しは実は居ないからこそ起こります。

自分の中に神を発見した人はもう他人の評価はどうでもよくなる

神が人間に扮している、人間になり切っているのがこの夢ですから、、本当は神です。自我はそこを隠すメカニズムです。自我はそういう意味ではこのプログラム存続に必死です。逆に言えばそれしか興味がありません、もしも神が実は神だったことを思い出した瞬間自我プログラムは消滅しますからそこだけは避けたいのです。だからこそ自身を評価する人間、自身の存在を全肯定してくれる存在を重宝します。会社の社長がYESMANを集めたがるのはこれです。もしも自分の存在を思い出してしまった人はもう他人の評価が気にならなくなります。むしろ他人は自身を人間としてしか見れませんからその時点で低評価をしているのです。どんなに人間として高評価しようとそれは低評価です。

無心、無我、無思考に積極的に入り込むことで神になる

自身が人間ではなく実は神であることを思い出すためには、無心、無我、無思考に積極的に入り込むことです。何かに夢中になる、無心になるという作業に意図的に入ります。ルーティンを行動に取り入れて思考の入る隙間を排していきます。自分から人間ではなく神に戻る方法を覚えてしまうと他人の評価は無駄になります。自分が一番の高評価査定をします。自分が神だと気づいている人間が他人からの評価を気にするのは滑稽なことです。

損得を超える

損得はこの心身に対する絶対的確信から生まれる

このちっぽけで極小で、無知無能な人間という姿が自分である、、、この感覚に対し圧倒的な確信をしますと、、人はこの最低最悪な状況でいかにこの人生をマシに生きていくかを考えるようになります。損を最小限に抑え、得を最大限に得るかに一点集中します。それが損得勘定です。大人であればあるほどに損得感情ができるようになってしまうのは皮肉にもこれが自分であるという誤解が完成しているからです。これは神の夢です、神が見る夢です、神が人間になり切って見る夢です。本当は神ですから人間役をこなすことは地獄です。地獄ですから損得勘定が強化されていくのです。

無我に入ることを積極的にできるようになると

無我、無心、無思考に積極的に入れるようになると夢を見ながらも神に戻ることができます。思考が介在していない時、神は神に戻っています。この状態を積極的に作っていきます。そうすると損得勘定でいかに得をするかが生きる目的だったのが神に戻ることが生きる目的になります。人生の目的が全く変わってしまうのです。自我ベースで生きているとき生きる目的は損得です。ですが無心、無我、無思考に入ることを覚えると生きる目的は神に戻ることになります。

無我で解決する

多くの方は頭脳で問題を解決しようとします。多くの方は思考で問題を解決しようとします。そうではなく無我、無心、無思考で問題を解決します。問題を解決している最中に神に戻ります。問題を解決している途中で歓喜、安堵、平和が訪れます。剣道で言えば試合中に思考を使えば負けます、思考を使わないように練習を重ねていきます。この感覚をいかに日常生活に取り入れていくかです。思考の出る幕を極限まで排していく、そこにだけは知恵を使います。損得勘定が消え失せていきます。