損得を超える

損得はこの心身に対する絶対的確信から生まれる

このちっぽけで極小で、無知無能な人間という姿が自分である、、、この感覚に対し圧倒的な確信をしますと、、人はこの最低最悪な状況でいかにこの人生をマシに生きていくかを考えるようになります。損を最小限に抑え、得を最大限に得るかに一点集中します。それが損得勘定です。大人であればあるほどに損得感情ができるようになってしまうのは皮肉にもこれが自分であるという誤解が完成しているからです。これは神の夢です、神が見る夢です、神が人間になり切って見る夢です。本当は神ですから人間役をこなすことは地獄です。地獄ですから損得勘定が強化されていくのです。

無我に入ることを積極的にできるようになると

無我、無心、無思考に積極的に入れるようになると夢を見ながらも神に戻ることができます。思考が介在していない時、神は神に戻っています。この状態を積極的に作っていきます。そうすると損得勘定でいかに得をするかが生きる目的だったのが神に戻ることが生きる目的になります。人生の目的が全く変わってしまうのです。自我ベースで生きているとき生きる目的は損得です。ですが無心、無我、無思考に入ることを覚えると生きる目的は神に戻ることになります。

無我で解決する

多くの方は頭脳で問題を解決しようとします。多くの方は思考で問題を解決しようとします。そうではなく無我、無心、無思考で問題を解決します。問題を解決している最中に神に戻ります。問題を解決している途中で歓喜、安堵、平和が訪れます。剣道で言えば試合中に思考を使えば負けます、思考を使わないように練習を重ねていきます。この感覚をいかに日常生活に取り入れていくかです。思考の出る幕を極限まで排していく、そこにだけは知恵を使います。損得勘定が消え失せていきます。

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