体は今にしか存在できない、だから無我に入るには体が有効

過去を振り返る思考はあっても、体を過去に連れていくことはできない

思考は未来を憂い、過去を悔やむことができます。時間の世界にどっぷり浸かることができますが身体は未来にも過去にも連れていくことができません。身体は今にしかいないということになります。今というのは実は時間軸から離れることを意味します。過去と未来の間にあるのが現在だと多くの方は考えますが現在は同じ軸にはありません。今は時間の中から脱した状態なのです。身体は今にしかいられませんから体の感覚に入り込むとは時空を脱すること、ワンネス、全存在、海になることなのです。

体の感覚に集中している間今にあり続ける、つまり時間から離れ続ける

体の感覚に集中している時、未来、過去にいることはできません。今にしか存在できないのが体ですから今に居ることができます。この今は時間ではありません、時間とは脳が記憶した今の記憶です。今は脳の記憶ではなく今です。時間から脱出できるのです、時間から脱出できれば空間からも脱出できます。時間と空間から脱出した状態、それが海、全存在、ワンネスです。体の感覚に意識を向けるとそのまま海、全存在、ワンネスになります。それは至福、完璧、安堵です。

達人レベルの職人さんが神々しく見えるのは必然

感覚を研ぎ澄まして作品を制作し続ける職人さんの動きが神々しく見えるのは必要です。感覚を研ぎ澄ましている時に自我が入り込む余地がありません。思考が停止しているからです。この時人は人の形をした全存在に変わります。人間の形をしたワンネス、神、大いなる一つに変わります。大いなる一つが人間活動をしている状態になります。自分が今物を作っているという感覚が抜け落ちます。この時職人さんは至福そのものであり、愛そのものであり、平和そのものになります。至福、平和、愛を所有する人間がそこにはいません。

(Visited 4 times, 1 visits today)