高次は低次に向かって一つ

あらゆる対象物

この世界にはあらゆる対象物が知覚できます。知覚できるということはそのあらゆる対象物を知覚できる「存在」が存在するのです。対象物を低次とするならば高次の一つが存在するのです。それが「私は在る」という感覚です。この「私が在る」が現れた瞬間あらゆる対象物が立ち現れ世界が誕生します。たった一つの「私は在る」から無限の現れ、低次の現れが高次の「私は在る」から立ち現れるのです。こうなっています、全てはこの仕組みです。

次に

「私は在る」という感覚が立ち現れていることにあなたは気づくことができます。あなたは「私が在る」という感覚が起こっていることを否定できないはずです。熟睡時には「私は在る」という感覚を発見できることはできません。そしてそのことをあなたは「知って」います。「私は在る」の不在に気づいています。ならば、、、、、「私は在る」という感覚の上に高次の存在が存在することを知っているのです。その存在は高次ゆえにたった一つです。無限の「私は在る」の上にたった一つの「純粋な気づき」が存在するのです。

「純粋な気づき」

あなたはこの「純粋な気づき」を知覚することができません。なぜでしょうか???つまりこの「純粋な気づき」の上に高次の存在がもはや存在しないからです。純粋な気づきを知覚できる高次の存在は存在しないのです。だからあなたは最上級の限界の至上の存在です。もはやあなたを知覚できる神々は存在しません。あなたは天上天下唯我独尊です。あなたは無限大の無限の可能性です。「私は在る」は無限に誕生します。その中で無限の世界が現れます。あなたはそれを生み出す「無限大の無限であり可能性」です。

その証拠に

誰一人、、その「無限大の無限の可能性」であるあなたに向かって話しかけてきません。他に誰か存在するならばそれに向かって話しかけれるはずです。その知覚が起こらない決定的理由は「それ」しか存在しないからです。だから知覚されないのです。純粋な気づきはゆえに知覚できません。純粋な気づきはただ「在る」のです。そこから無限の「私が在る」が生まれ、、多様な世界が生み出されます。今あなたが世界を見渡しているならば「私が在る」を生み出しそこから生み出される世界を鑑賞しています。