この感覚こそが自分感覚
自分という存在は時間の中で結果を出そうとします、来週の試験のために今から準備をしよう、来年の入社に向けて今から就活をしよう、20代で結婚するために今から美容に力をいれよう、、などなど、、、これが自分という存在の通常行動です。ですが実際には時間はなく今を記憶したものに過ぎません、そしてこの自分という感覚も記憶に支えられて湧いて来た感覚であり実在では絶対にありません。だからこそ自分という感覚は将来目標を設定しそれに自分がなると思考し安心するわけです。
夢とは自分維持ツール
将来は何になりたいの???こんな質問を何回されてきたでしょう、、将来の夢は?将来つきたい仕事は???とですがこれらは全部自分という感覚を強める装置になります。この自分が居るという前提でこの質問はされます、この夢の中です。そしてそれによって将来の夢はあった方がいいのかと思考し何か夢を探すのです、時間の中です。夢を持ってそこに歩んでいる期間は確実に自分を維持できますから安心です。安心してこの喜怒哀楽の夢を自分が歩むことができるのです。
ある時気づく、この夢こそが夢に安住するための道具だったと
将来の夢は???その夢こそが自分をこの夢の中に安住させていました、なんとも皮肉なことです、夢というのは自分が歩む最終目標のことであり、、この夢こそが自分を夢の中に閉じ込めて来たのです。夢も思考、夢の中も根源の現象に名前がつけられた幻想の世界です。この幻想の中でさらなる夢を見るという大変面白いことをしていたのです、自分が。
ではどうするのか?
ではどうしたらいいのか???ほぼ全員からこの質問をもらうわけですがどうかできる自分という存在は感覚でしかなくその感覚も根源から起こっているだけです。どうかできるような自由意志がある自分など居ないのですからとにかく諦めるしかありません。もしも根源に触れるという衝動が起きるのならば自分から覚める根源の動きがこの体を通じて起こるのでしょう。