自由意志が完全にない

宇宙のルールはシンプル

川に落ちた葉っぱは何の意思もなくただ川の流れに従って川を流れていきます。葉っぱにもしも思考があり右に流れる左に流れたいという思いがあったとしてもそれには一切関係なく川の流れに従います。これが自然界で行われているルールです。このルールは人間にも当てはまります、人間がどれほど思い思考を張り巡らせてもそれには関係なく行動が起こっているのです。頭の中で絶対に右に流れたいと思っても実際には左に流れることがあるのです。我々人間は思考こそが人間の行動を決めていると信じていますが実際には思考と行動には因果関係がないのです。

「自分」が思考を決定している

自分が決めたこと、自分が決断したこと、自分が英断したこと、、、この自分とはそもそも何でしょうか?自分はどこに居るのでしょうか?自分とは体の中にどのように存在しているのでしょうか?人類80億人の中でこの自分を見たことがある人は居るのでしょうか?答えはNOです。なぜならばこの自分は実際には存在せずただの記憶による想像物だからです。想像ですから実態がないのです、この実際には存在しない想像物が、、、決める、決断する、、という行為をおこなっているという想像をしているのです。思いは確実に湧きます、この確実に沸いた思いは「自分」という想像物が湧かせたと想像しているのです。

自分は記憶

友人から名前を呼ばれることでこの体の中には確実に「自分」が居るはずだと想像する、お客さんから喜んでもらうことでこの体の中には「自分」が居るはずだと想像する、警察から捕まることでこの体の中には「自分」が居るはずだと想像する、、これが自分の正体です。次から次へと湧いてくる思考は誰が湧かせているのか?それは自分であろうという想像をしているのです。その想像は誰がしているのか?それが根源です。根源が「自分」が居るはずだという想像を起こしているわけです。

根源による想像がただ起きている

この世界には根源にから湧き上がる現象しかなくそれ以外は存在しません。そうならばこの自分という想像も当然根源から湧き上がっています。「自分による意思決定があるという想像」もこの根源から湧き上がっています。ということでこの自分活動に悪いも良いもなくそれがただ起こっているのです。根源から自分という想像がただ起き続けそのまま死ぬまで起き続けるのが普通の人生です。自分という想像による人生がいつまで経っても幸福に至らないことによってこの自分を疑うという思考が湧き「自分ってただの記憶だ」という気づきが起こることが悟りです。自分がただの記憶ならばここには「これ」しかなくただ何かが起きているだけだという気づきが根源から起こります。そこにはもう「自分」という存在は居なくなりただ体だけが存在します。