自分というものが幻であるのになぜ自由意志があるのか?

自分=思考、感情、体

自分とはこの体、感情、思考を自分自身であるとした意識です。これによってこの自分は全体から分離しました、この感覚がなければ全体からの分離はありません、つまり分離は分離意識が起したものでありこれが無ければ全体のままです。分離しているという錯覚がこの分離意識を起こしているだけであって本質は全体のままです。分離はあくまで錯覚でありゆえにこの自分の中に起こる思考は全体からの現れであることに違いはありません。そういう意味では個人の自由意志はないと断言できます。ただし全体からの意思の現れはあります。

自分を命名した瞬間に全体から分離が起こっただけ

我々は生まれてから、、、両親からどのように扱われるか、、、、とても重要なここポイントです。名前を呼ばれ続けるのです、、、ひたすらに名前を呼ばれ続けます、、、太郎くん、、太郎くん、、、、これを1万回ぐらい呼ばれ続けます。。これにより子供はこの体、思考、感情を太郎君であると認識します。この1万回の声かけによって我々はこの体、思考、感情を、、、全体から分離させることに成功するのです。意識にはこのような力があります。他者からの声かけによって分離錯覚が生まれます。。

そして視界に入る全てのモノの名前を覚えていくことで全てを全体から分離させていく

そこからはモノの暗記が始まっていきます、目に入るあらゆるモノの名前を暗記していくことでそのモノが全体から分離していきます。これをそこから何十年とかけて行なっていくのです。自分が先ずは他者からの声かけで分離し、あらゆるモノの名前を覚えて視界に入るあらゆるモノが分離していきます。これにより分離幻想のストーリーが完成します。自分の分離に関しては何万回と名前を呼ばれることでこの分離意識を解消するには恐ろしいほどの気づきが必要になります。それゆえ多くの人は生まれて死ぬまでこの分離錯覚を見破ることができません。

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