「何もない」は「自分」が困る

世界は何もない

この世界は突き詰めれば「何もない」です。何もない「意思決定」する個人は存在せず人間を含めた全生命がただただ自然現象として行動が起きています。意思決定する個人が不在のままただ現象だけが起きる世界、それこそが今我々が眺めている世界の本質です。その本質の世界が、、、あらゆる自由意志を持った人間によってコントロールされているように「見える」世界が幻想の世界です。ですがこの真実は「個人」にとっては実に都合が悪い、それを認めてしまえば「自分」が出る幕が無くなってしまうのです。

問題解決請負人「自分」

世界は自由意志を持った人間が集まり構築されている、あらゆる問題は個人が解決に当たる、解決能力が高い「個人」は尊敬され豊かになり満ち足りた人生を歩むことができる、、、これがこの世界の風習です。にも関わらず実は自由意志を持った個人、自分など存在せず、、ただただ全自動運転で人間は運営されていることが広まってしまえば、、「個人」「自分」「自我」はたまったもんじゃない、、、存在が消滅してしまいます。みんなで集まって公然の事実として「個人」は存在していたのですから、、認識が無くなってしまったら存在しえないのです。

周囲はどうでもいい

周囲は「自我」「個人」「自分」大前提の暮らし社会をこれからも構築していくでしょう。ですがそれも全く問題ありません、どう周囲が認識しようと真実は一つ、自由意志を持った個人は存在しないのです。ですからその事実だけを認識しながら生きていけばいいのです。どのような社会問題が起きようとそこに個人は何も介在していない、、つまり全てが自然現象だということです。雨、嵐、台風、猛暑、と何も変わらない、、解決方法は皆無、なぜならば解決できる「個人」は存在しないからです。そしてそれらの問題によって苦しむ「個人」も存在しません。

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