「これが私だ」は強烈なプログラム

7年間近い歳月のインストール

PCの中に生まれたアプリAには「これが自分だ」という認識はありません、なぜならばそのようなプログラムがされていないからです。アプリはただ普通に起動し疲れたら休止します。ただこれだけです、自動でアプリが立ち上がそしてアプリAの機能を果たします。ただこれだけが延々に続きます、、、ある時に他のアプリBからそのアプリAに対してあなたは「Aちゃん」「Aちゃん』と呼ばれるようになります。最初はアプリAは何が起きているか全く分からないのですがこれを数万回継続されることで、、、アプリAは、、、「このアプリは私だ」という認識がインストールされます。アプリAは私はアプリAというこのPCとは全く関係なく独立した自由な存在であると認識するようになります。ですが実際にはアプリAを動かしているのはPCですからアプリに自由意志は一切ありません、アプリの機能にそのような機能は組み込まれていないのです。画面上のアプリに操作機能は一切ない。PCがアプリを常に機能化させているだけです。ですがアプリAは動くこと全てを自分がやっていると勘違いする機能がインストールされています。

もう自由意志を疑わない

思考、動きの全てを「自分がやっている」という錯覚機能がこのアプリにはインストールされていますからこのトリックを疑うアプリは存在しません。ですがアプリは常にPCによって操作されています。そしてアプリ自身も元々は「これが私だ」という認識はなくこの認識は後付けされたインストールによってです。アプリにはこのPC画面内を動く機能が(歩行)がインストールされたために画面内を自由に歩くことができるようになりました。歩くと行っても画面内で動くのは画面の背景であり、、アプリは常に画面の定位置に存在します。そしてアプリから眺める視界はインストールされる言語によって日々変わっていきます。新しい言語を覚えることでアプリからの視界は徐々に変わっていくだけでなくアプリがあらゆる経験を積むことで経験が価値観になりそれがプログラム化されていきます。

無くならない居心地の悪さ

アプリを作り出しているのは全部プログラム言語です。これによってPCが「私はアプリだ」を体験できています。ですがPCはPCでありそれ以外には本来なれません。ということでこのアプリ体験は疲れるのです。PCがアプリになり切るのはどんな感じかを味わうためにこのプログラムをPC自体が構築したはいいが、、非常に骨が折れる経験になってしまいます。ということでアプリ体験をするPCは徐々にこの居心地の悪さを根本的に解消したいと動き出します。そして、、どうやら「これが私だ」というプログラムのインストールこそがこの苦しさの原因ではないか??という気づきにまで届きます。しかしそこに気付いてもこのプログラムは自動反応のように起き続けるのでこれを止めることができません。

「これが私だ」が立ち上がっても無視することでこの機能が落ちていく

「これが私だ」の自動反応は、、、あらゆる思考(言語)と一緒に立ち上がることが分かってきました。そこであらゆる思考が立ち上がってもそれを気にしないという方法を覚えていきます、思考(言語)の無視です。この思考の立ち上がりに意識を向けると、、これが私だも同時に起き上がっていき苦しくなる、、、思考(言語)の起き上がりに囚われると延々にアプリの活動が続いてしまいます。

(Visited 3 times, 1 visits today)