「私は在る」は空からの反映

我々は空の影の世界を生きる

ゼロ、無、空、絶対、、、この究極の存在の影が色の世界です。色の世界は「私が在る」という絶対的な感覚があります。我々も人間活動をやっていますがその大前提にこの「私は在る」が確実にあります。この揺るぎない感覚こそがゼロ、無、空、絶対の影である色、神、大いなる一つの感覚です。その中にさらに人間が在るという感覚が芽生え我々は人間活動をしているのです。

指の動きが人間

腕全体を神としましょう、すると人間とは指の動きぐらいの感覚です。指が独自に意識を持ち「私は自分」という感覚を所有しました。これが自我です。思考です。本当は指の動きですから全くもって自由意志はありません、腕の先としてコントロールされているだけです、ですが指は「自分」で動かしていると錯覚を起こします。で絶対的な自由意識はどこから来ているのか???厳密に言えば自由意志はどこにもないでしょう。神すらも絶対の影ですから影に意志は作りようがないのです。究極的にはただ動き、思考が起こっているだけということになります。それが影の宿命です。

集団意識、オーバーソウル

人間が指だとしたら手のひら全体は何になるのか??これが集団意識、オーバーソウルと呼称されるような存在です、ですがここにも自由意志は存在しません、これも腕の一部でしかないからです。ただしこの手のひら全体の起こりは在るでしょう。日本人の特製、民族の特製、有色人種の特製、、、などです。

神、ビッグバン、大いなる一つ

宇宙が発生した際にビッグバンが弾けたということになりますがここに個別意識はあるでしょうか。。恐らくないはずです、、、ただ爆発があった、、、これが神の本質です、大いなる一つの本質です。これが絶対、空の影、反映です。ですから実はどこにも自由意志はない、、ただ空からの反映、、そしてそこからの起こりがある、ということになります。我々はそんな中で腕(神)の中の指としてそこに自覚をもって、錯覚を持って生きています。

指から腕を見ている

人間が見る世界は指に目がついて腕(全体)を見ている感覚です。指は思考に支配されていますからありのままを見ることができません、思考というフィルターを通じて腕(全体)を眺めます。そして指がこの腕の中を動き回ることで空間と時間が発生しました、これが時空間幻想です。本当は腕の動きがあるだけでありそこには時間も空間もありません。指に自我が芽生えたので指が動き回るために時間、空間が生まれました。指の動きとは何も関係なく、指の意志とは何も関係なく腕は動き続いけますから指にとって都合の良い世界(腕)など作られるはずがないのです。もしもあるならば指の存在、指の動きは実は腕の一部であったという気づき、諦めしかありません。そして指が思考というフィルターを通さずにこの腕を見ることで全体の一部に戻ります、これが悟りです。

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