悟りとは完全な諦め

サレンダーの本当の意味

サレンダー、諦め、、、悟りを学べばこれらの言葉は直ぐに登場してきますが、、、なかなかこれらの言葉の意味が分からない、、、それもそのはず、、、自我はこれらの理解を大変嫌がります。なぜならばこの諦めとは自我が完全に無意味であることの理解だからです。川の流れのように我々の行動は自分では全く決めることができないこと、、自分という存在が何かしらの経験を積んでいるというのが真っ赤な嘘であるということ、幻想であるということ、、、これを腹落ちさせることは、、自我にとっては諦めです。

そんなことはない、、、の猛反撃

普通に生きていたらこれはもう分かるわけがない、、、、この体の中に自分が居て自由意志でこの人生を切り開く、、、これはもう完璧な洗脳なのですが、、、これを見抜くのは容易なことではないのです。なぜならばあまりにもリアリティがあるから、、、あまりに実感があるからです。。ですが覚者の気づきをしっかりと学んでいきますと、、確かにこれは、、、錯覚であることが腹落ちしていきます。

1万回聞いても理解が起きない

内容はとんでもなくシンプルなのです、、ですが理解が起きないのです、、、理解が起きないから、、直ぐに日常に取り込まれてしまう、、自由意志をフル発揮しようが湧いてきてしまう、、、この繰り返しです、、、今経験しかない、、、この体が在るは錯覚、、、だから今しかない、、、、時間はない、、、これも直ぐに日常に取り込まれ時間を気にする毎日、、、、この繰り返しです。。

ある時ふと、、、腹落ちが起きる

ある時にふと腹落ちが起きます、、、あれ、、なんか分かった、、、本当に自由意志ってないよね、、、本当に経験しかないよね、、、本当にこの体の中に自分が居るって錯覚だよね、、本当に気づきだけがいつもあるしいままでも在ったよね、、、突然の腹落ちが起き始めます、、

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