「今ここ」に居ようとしてはいけない

全ては「いまここ」ですよー、、の罠

覚者の言葉がそのまま鵜呑みにするとまんまと思考の罠に取り込まれます。「いまここ」と言う言葉もその一つでいまここが全てと聞くと、、一生懸命「いまここ」に居ようとするわけです、、、これは全くの誤解、思考、幻想です。いまここは結果です、、、今こことは「居よう」とする場所ではなく、、、結果的に「いまここ」しかなかったという気づきなのです。

今ここに居ようとすればするほどに、、、

今ここに居ようとすればするほどに今ここから完全に離れます。なぜかいまここは個人がたどりつく場所ではないからです。個人は完全にいまここから離脱しています、自分という言葉は全体から自ら分かれた存在でありこの存在はいまここを探すのは不可能なのです。いまこことは全体のことであり、、、全体から完全離脱した自分が全体を探すのは不可能なのです。いまここを探す自分を完全否定した時に「いまここ」はバコっと登場します。

自分を完全否定????

自分なんて居ない、、、、自分など居るはずがない、、、この言葉を放った主人が「自分」ならば何の意味もありません。自分という存在を探してみても、、どこにも見つからなかった、、、これが悟りです。誰が自分を探したのでしょうか、、誰が自分の居場所を見つけようとしたのでしょうか、、、最初は「自分」が探したのでしょう、、「自分」で「自分」を証明しようとしたのでしょう、、、そうしたら証明できなかった、、、ヤバイ、、マジか、、、、これが悟りです。その時にいまここがニョキッと現れます。自分が完全に居ないならば、、ここがどこだ、、いまここです。

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