悟り

そんな簡単じゃ困るんですけど

そんな簡単に悟れちゃったら困ります

思考は言うでしょう、、そんな簡単に悟れるんだったら苦労しないですよ!!!!!だったら全員が悟れるじゃないですか!!!!そうです、、こうやってずっと騙してきたんです!!!!!簡単であるはずがない、、、難しいのだからこの俺様(思考)を使えと、、、俺様(思考)無しで悟れる?????甘いっしょ!!!!です。

俺様(思考)から意識を逸らせば即悟り

ところが、、その俺様(思考)に意識を向けない方法が分かってしまいますと、、、全くもって苦しくないんです。全く苦しくないんてあり得るでしょうか????ありえるんです。まじなんです。だって「苦しい」はこの思考が自動起動して起こっていただけだからです。思考とは、、イメージであり、、そのイメージが、、そのまま苦しみを作りんです。

だからやることは簡単

苦しい、、、じゃあ悟ろう、、そのためには俺様(思考)が必要だろ???????に乗ったら終わりです。俺様(思考)ではなく、、、、意識を下腹部に置くのです。呼吸法を用いて、そこに意識を向けていきます。頭にずっとあった意識を下腹部にシフトチェンジするんです。。。。すると、、、、思考の自動起動が起きません。全く起きません、結果的にその場で悟りが開きます。悟りを閉じさしていたのは思考です、この思考が湧かない=悟りが開く、、です。

意識の焦点を変える

頭ではなく下腹部に

意識とは、、、我々の本質です。。。この本質が、、頭にベクトルを合わせますと、、、思考が止まらなくなります。意識の焦点を下腹部に起きますと、、思考が止まります。つまり意織の向けるベクトルによって活動が変わってしまうのです。意識を頭脳ではなく下腹部、下丹田に起きます。これによって思考グルグル地獄、思考雑念地獄から解放されその場で悟りを開くのです。

意識が頭に行かなくなる

どんな問題が降りかかっても、、、意識が頭にいかない場合、、、全く苦しくありません。意識が急遽頭に行き、、思考グルグル地獄に入りますと、、、これが止まるまで地獄が続きます。意識を常に下腹部に置いておけば、、、全くもって思考地獄に入らないことから常に平安に過ごすことができます。この平安は感情ではありません、感情を超えた状態です。

暇になると

暇になると人は思考グルグル地獄に簡単に入り、、苦しくなります。暇な時は、、、思考に意識を置くのではなく、、下腹部、丹田に意識を向けていきます。呼吸法を使ってこれを実践できます。毎日毎日呼吸法を用い常に意識を下丹田に置くことができるようになりますと、、、思考グルグル地獄が全くおきない状態、、悟り、覚醒、解放状態に入れます。

苦しいがリトマス紙

遅刻は絶対にしてはいけない???

例えばあなたが「遅刻だけは社会人にマナーとして絶対にしてはいけない」という固定観念を持ったとしましょう。この観念は観念であって真実ではないんです、観念とは思考でありこの観念が生きいる間、あなたを苦しませます。観念とは考え方、思考ですから真実ではないんです、真実ではないにも関わらず断定すればそれは真実の上に嘘を作り上げることであり、、このことは苦しみになるんです。結果として目の前に遅刻する人が続出し、、この観念を手放さざるをえなくなるのです。

男性は女性よりも優れている???

このような観念を持ちますと、、これは真実とは全く関係ないことであり嘘です、、、この場合この観念を持っているがゆえの苦しみが続出します。異性トラブル、パワハラ問題、、、などなど、、様々なトラブルが続出し、、この観念をいつか手放さざるをえなくなるのです。真実とは観念は違います、、真実とは違う観念を所有しますと、、必ずこの観念によって苦しむことが起こり、、そしていつかこの観念を手放すことになるのです。

そうか、、、全観念を手放せばいいのか

あれ???なんだ、、これって勝手な観念で、、俺はこの観念に苦しまされていたんだ、、、この気づきは凄いことです。この気づきがあった時に、、、そうか全部は観念で、、真実とは異なる観念を持てば苦しくなるんだ、、、じゃあ全観念を捨てちゃえば苦しみが終わるってことでしょ!!!!という気づきが起こります。これが悟りの入り口です、これが悟りへの気づきです。

苦しい、、じゃあ悟ろう

今苦しいのならば、、観念をまだ持っているからです。今苦しくて仕方ないのならば真実ではない観念をたくさん持っているからです。苦し見を作り出すのは状況でなく真実ではない観念です。これだけなんです、、だから毎日悟りを開くために観念を捨てていきます。観念の断捨離をするんです。この体を生き伸ばすために育てあげた観念に気づき観念を捨てていきます。

思考が全部邪魔します

悟りが開こうとすると

急な気づきが起こり、、自我の解放に向かいそうになりますと、、、思考が邪魔します、それは辞めとこう、それだけは辞めとこうよ!、、、他にもっと良いやり方あるかもよ、お手軽なやつ。です。全部こんな感じです、、分かってはいるんです、、でもダメんですよ。。。。。思考が何かに入れ替わってまんまと騙されます。エージェントスミスは最後はこの頭の中に入ってくるんです。

この声を信用しないんてできない

やめときなよ!!!この声を聞かないなんてできません、、、だってこの声を聞かなかったらいったい誰の声を聞くんだ????になります。だからこの声しか聞いちゃダメなんです、、、でもいつもこの声を聞いて結局苦しくなっていくんです最後は。

最初から声消しちゃえば

つまりつまり、、、最初から声が消えちゃえばそれで済むんです、、、声さえ出てこなければ、、もう大丈夫なんです、他に邪魔する奴はいないから。ではそのためにはどうすればいいの????呼吸法は役に立ちます。呼吸に意識が向く時、、思考が湧いてこなくなります。これを徹底的にやります、思考が湧いたら呼吸法、思考が湧いたら呼吸法です。思考の湧き上がりは呼吸法の合図、、さあ始めましょう!!

神経症の連鎖

付き合わない

この世界に登場する人々の多くは神経症です。なぜならばこの個人が居てこの個人が人生を歩んでいるという錯覚を真剣に信じているからです。ですからここで出会う人々の多くは神経症的にならざるを得ないのです。そうなると真の安らぎの中で生きるには無理をして付き合わないことが重要になります。そして神経症的な動きがあってもそれを解決しようとか抱えこまないことです、なぜならばそれをコントロールできる個人は居ませんし、解決した「私」も本当は居ないからです。

大丈夫ですか???

働かなくて大丈夫ですか???貯金がなくて大丈夫ですか???持ち家がなくて大丈夫ですか???今の年金で大丈夫ですか????周囲は「私」にあらゆる心配をしてくるでしょう。ですがそれらの心配を汲んでこちらがそれに対応したところで何一つ幸福度が上がらないことは確かです。なぜならば物質的次元で安心を得ようとしても何一つそれは叶わないからです。見かけ上の安心を得ることで今度は異なったストレスを抱えるだけの話です。

幸福の定義

これを叶えたら幸せ、これを成就したら幸せ、、個人の人生を歩む人々はこれを信じて生きていくわけですがこれらの全部は推測の域を出ません。そして歩んでも歩んでも真の幸福が全く手に入らないことから神経症的になっていくのです。重要なことは早くそのことに気づき諦めること。真の幸福は悟り、覚醒、解放以外にないことを悟ることです。この瞬間幻想に向かって走るという焦燥感から抜け出せます。

理解するのは誰だ???

思考はこれを理解できない

ノンデュアリティのメッセージだけでなく全ての知識は個人が理解していません、個人とは現れては消えていく存在でありそのような幻想は知識、メッセージを理解するというのは不可能です。雲が雲を理解することはできません、幻が幻を理解することはできません、それらは全部理解される側です。思考という理解される側が、、メッセージを理解するってありえないんです、全客体は、、神にとって気づきの意識によってのみ気づかれるのです。

本は読んだけど、、、

悟り本を理解できているんですが悟りが開かないんです、、、全く迷う必要がありません、悩む必要がないんです。なぜならばそれを理解したのは気づきの意織、大いなる存在、神です、、、にも関わらず悟りが起きないのならば、、それは「あなた」の責任ではないのです。「あなた」とは現れては消える存在ですから「あなた」は常にこれらの存在に認識される側です。

染み込む染み込む

本当にノンデュアリティへの理解が起きますと、、今までの私ストーリーを歩むことは不可能です。「私」が全責任でこの人生を歩むという体験はもう起きなくなります、、本当にそれでいいのか????この私ストーリーにまだ執着があれば悟り、ノンデュアリティ は起きないでしょう。それが起こるかどうかにおいて個人は全くの無関与です。

目覚める誰かはいない

たった一つのエネルギーで

いまここにはたった一つのエネルギーしか存在していません、その中でこの私が居るという思考がたちがりました。この思考はその場でたった一つのエネルギーに読み込まれイメージ化されます。このイメージが「私が居る」を作り出します、イメージとして。このイメージがそのまま緊張感と分離感を生み出すことからこれが不快なストレスになります、これがたった一つのエネルギー上に起こります。この不快感を解消するために「私はお酒を飲む」という思考がさらに起こり、、この動きも起こるとしましょう。すると、、これによって新たな緊張と分離が起こるのです。

この湧き上がりが無くなる

「この私が目覚め悟りに至った」というのは思考です、、この思考は私ありきなので、、そのまま緊張と分離を作り出します。この状態は悟りではありません、悟りとはこのたった一つのエネルギーの世界から緊張と分離が消えることなのです。つまり私の悟り体験はこの事実とは真っ向から異なるのです。解放とはこのたった一つのエネルギーの世界に「私」という思考が起きないことをいいます、私を前提にした思考が起こらない時、、この世界に緊張と分離が起こらないのです。

思考が勝手に起こらなくなれば終わり

思考を起こせる個人というのは居ないので、、、私を前提とした思考が起こるか起きないかが全てです。この事実を聞いてそのまま私を前提にした思考が起こらなくなるのかどうかは誰にも分かりません。一つの方法として呼吸法があります、、思考が湧き上がるたびにそれに気づき、、呼吸法をして思考への意識を解除します。呼吸に意識を集中することで強制的に思考の自動湧き上がりプログラムを解除してしまいます。思考の自動立ち上がりが消えると、、苦しみを作り出す機能がなくなりますからそのまま解放に至ります。

ニュースの全てが1ヶ月に集中しない理由

今年は一月にニュースが全集中した、はない

恐らく今年も均等に毎月のようにニュースが起こり、、一年を通じてこんなことがありました、、という毎年の流れと何も変わらないでしょう。今年は1月のみにニュースが集中しましたね、、はないんです。なぜか????それは単純明快、、「私」の関心がそこまで集中できないからです。例えば毎晩見る夢で自身がサッカー選手であり歌手であり、芸能人であり社長であり、、、という流れは恐らく起きないんです。なぜかと言えば夢を見ている本人の関心には限度があるからです。だからだいたい毎回1テーマで夢は進むのです。そしてこの夢、この現実も全く同じ、、関心には限度があるので、、毎月のニュースは均等に起きるのです。

思考が作り出す夢に関心を薄めていく

なぜこの現実に人は翻弄されるかと言えばそれはこれを夢だとは思っていないからです。夢だと思っていないからそこにリアリティがあり過ぎて、、右往左往するのです。思考が。だからこの思考がどうしても必要になりこの思考が主導権を握ってこの舵を取るのだ!!!となるんです。ですがこれが夢だと分かると話が変わってくるんです、、右往左往じゃなくて、、この夢からどうやって覚めるかに焦点が集まるんです。

この「私が」この夢を生きる

この私がこの夢を生き抜く、、というのはどこまでいっても苦しいのです。ですからこれが夢だ!!という気づくまでは苦悩が続きます。思考は常にこれを現実、リアルだという前提で湧き上がってきますから、、その度にその思考の動きに気づかなくてはいけません。もしくは呼吸法で思考の自動湧き上がりを完全解除してしまい直接悟りに入ってしまうのも一つです。思考の湧き上がりが消えますと、、途端にここは空の現象の世界に戻ります、そこは真の安らぎが漂います。

今日悟る

思考はウダウダ言うが

思考は常にウダウダ言います、悟り???そんなもの何十年の修行が必要だろ????その場で幸せになる??そんな簡単にできるならみんなやってるよ。思考の世界が作り出した苦悩を思考を使って解決するのは実際には不可能なわけです。ですから思考は簡単にはいかないけども、、まあ時間かけてやっていきまっしょいとなります。これが思考の限界なんです。

思考が止まれば今日悟りが開く

思考さえ勝手に湧いてこなければ今日悟りが開きます。なぜならば思考がこの苦しみを生み出しその思考が勝手に湧くのですから、、これは無理ゲーなんです。しかもそれを思考を使って解決しましょう!!!ってギャグなんです。だからその思考が今日止まってしまう可能性がることをやるのです。勝手に思考が湧かないような体を作ってしまうのです。

呼吸法

思考しながらできないことをやれば思考は止まります。しかもその場で、、、毎回思考が湧くたびに、それに気づき、、思考が湧かない動きをすればいいのです。思考とは癖なんで、、そこに意識が向けば、、また湧くんです。そして苦しくなればなるほどに思考に意識が集中し、、思考がまた湧きます。モヤモヤする、、これって思い通りに行かない現象を思考を使って解消しようと頑張っている状態です。そして現象とは思い通りには絶対に行かないのです。この流れを呼吸法で終わらせます、呼吸に集中することでその場で思考への意識を切ります。何度も何度もこれを行うことで今日思考が止まる可能性があります。

右利き、脳利き

右利きの人

右利きの人はスポーツをすると自然と右腕右足を使います、左も等しく使ってくださいね!と伝えても全く無駄、しばらくすれば右腕右足をまた使っています。これって実は人間の体全体で今起きっていまして、、人は放っておくと自然と頭を使うのです、つまり思考です。放っておくと脳利きになっています。しばらくすると「あれ、また思考しとるやん!」です。

体は悟っている

体って実は悟ってます、いやいや悟りって時間がかかるものですよね????修業に修行を重ねて、、違うんです、、、それがまさに脳利きの人の特徴なんです。そう「考える」ことで悟りを遠くに遠くに置くんです。本当は今私たちは「悟り」の中に居ます、そして体は悟りの外には出れないんです、、ですが脳だけが思考を飛ばして悟りの外に出れるんです。だから我々は奇跡的に苦悩を味わうことに成功しています。ですから今日もしっかり思考ロケットをぶち上げて、、苦悩に成功してますよね???

思考を使わないと、、

思考を使わなえれば一瞬で悟りの中に戻ってしまいますから、、脳はそれを阻止するためにありとあらゆる防衛策を持っているんです。その一つが自動思考、、勝手に思考が立ち上がり放っておけば思考が描くイメージの中に閉じ込められます。自ら不安材料を煽りそれによって不快になり、その不快をさらに思考を使って解消しようという自作自演プレイです。

一瞬で切る

脳利きの人は放っておけば脳で思考をぐるぐる、思考ロケットをぶち上げますから、、それに気づいたらその瞬間に脳から体全体に意識をシフトする必要があるんです。その簡単な方法は呼吸法です。思考が止まらないな、、と気づいた瞬間に呼吸法に入ります。深く息を吸って深く息を吐く、、ここに意識を向けるだけです。簡単なです、簡単だからこそ脳(方便)はそんな簡単なことで悟れるわけないじゃん!!って言ってくるんです笑そこを見抜きます。