寄生虫

自我(寄生虫)が暴れる

悟り

悟りとは自我が寄生虫であることを見切り、、寄生虫の活動を押さえ込み、、最終的にはこの寄生虫を抹殺することです。自我の殺害です。これは極端な表現では全くなく真実です。ですから自我(寄生虫)からしたらたまったもんではない、、、殺されてしまうのですから。これを快く思わない周囲の自我(寄生虫)はたくさんいるわけです。その場合暴れる可能性があります。

話せば拒絶が当たり前

悟りの話など、、話せば拒絶が当たり前です。自我の撲殺の話など快くきく自我(寄生虫)は居ません。その話を聞いてしまったら、、自我が撲殺されるのですからシャレにならんのです。なぜ話を聞くだけで自我は撲殺されてしまうのか?????簡単です、、、自我の活動は見抜かれていないからこそ許されるのであって見抜かれてしまたら許されないのです。だって不幸がデフォルトですから、、幸福は嘘で絶対に幸福になれないのが自我活動です。

どうやら自我が怪しい

この境地に来ている人のみが悟りの挑戦者です、悟りへのパスポートを持っているのは、、、ここまで来た勇者です。多くの方は自我を寄生虫扱いするほどまでには、、、認識できておらず、、ゆえに混乱してます。自我がどうやら幸福を拒んでうるようだ、、、だが私は決してそこまで悪い人間ではないし、、そこが腑に落ちない。。。この程度でしょう。だから最後まで見抜けないのです。

仲の良い友人

それでも

私が自我をそれでも寄生虫扱いするのは、、、仲の良い友人に囲まれながらそれを見抜くのが実質不可能だからです。心からの思いやりをもった付き合いをどうして寄生虫の付き合いと呼ぶことができるでしょうか????だから騙されるんです、、だから自我にコテンパンに騙されます。寄生虫と呼ぶこれは方便ですがそこまで俯瞰して初めて、、本当の意味で自我(寄生虫)を許せるのです。全員がこの自我(寄生虫)によって苦しんでいる仲間なんです。例外なく全員が寄生虫保持者であり、、被害者です。

救う

実は自我を寄生虫と見抜くことは相手を救うことになります。相手の言動を注意深く観察してあげてください、、、間違いなく、、その自我は損得、メリットデメリット、、でしか動くことはできません。自我(寄生虫)とはそのようなものなのです。ですから相手の動きに失礼があっても、それは自我(寄生虫)のデフォルトなのです。自我の動きを俯瞰できる数少ない賢者がそれとは違う行動を起こすだけです。だから許すのです、全自我の行動を許します、、勿論被害者にはならなくて大丈夫、ただ許すのです。

裏切り

自我(寄生虫)に振り回された人生は苦しいのが基本です、何か偽りの幸福を目指していないと苦しいのです。ですから表面上の裏切りはあるでしょう、、、そこで反応しないことです。そこに反応するのは自身の自我(寄生虫)です。その裏切りを利用して相手(寄生虫)を恨み、、、こちらの自我(寄生虫)が思考活動を活発化して喜びます。その手に乗ってはいけません。

寄生虫(自我)同士の優劣

所詮は

残念ながら自我とは寄生虫のようなものです、、、この体(本体)の真の幸福には全く関心がなく偽りの幸福を追い求めさせてほくそ笑んでいる存在です。そして成功を収めた自我(寄生虫)は成功を収めていない自我(寄生虫)を格下扱いして、、、悦に浸るのです。寄生虫(自我)が寄生虫(自我)と比べて優劣を味わっています、これも偽りの幸福の一つです。

寄生虫(自我)の目標は時間軸

寄生虫(自我)の目標、夢は未来に叶うようなもばかりです。いつかこうなってやる、いつかこんな家庭を、いつか、、いつか、、、、寄生虫は今はまだ不幸だから将来のために頑張るんだよ!と囁きます。あなたが今不幸なのは、、これが叶っていないからだよ!と囁くんです。本当はこの寄生虫の存在こそが不幸の原因にも関わらず。

寄生虫同士の争い

寄生虫は頻繁に争いに巻き込まれます、、、あいつ(寄生虫)が悪い、こいつ(寄生虫)が悪い、私(寄生虫)が悪い、、、です。なぜか?????争っていながら実は寄生虫が確実に実権を握れるのが争いだからです。つまり寄生虫は意図的に争いを生み出し、、実権を握り続けるのです。そして必ずそれえによって疲弊し、不幸になります。寄生虫の存在は不好依存症なのです。寄生虫とは不幸依存症患者です。そしてその事実を隠蔽するために偽りの幸福を求め、、偽りの幸福を確保し、、、騙されます。

寄生虫(自我)の動きを見抜く

至福の時間

お風呂に入ってリラックス、至福の時間、、、、あれ???おかしい???、、こういう時に限って思考が湧いてきて、、、あいつのせいだ、こいつのせいだ、、あの時あんなことを言われた、、、が湧く。なんで???お風呂でリラックスしたい時に限って、、、、なぜ??????思考がないとは自我のエネルギーが低下し、、自我を保持できなくなります。だから、、、思考を強引に生み出して、、自我活動に戻そうとするのです。

結婚して

五年間も付き合ってきた最高のパートナー、、、そしてそこからの結婚、、、全部が全部順調、、、もうあとは、、楽しく過ごすだけ。。。。。あれ???おかしい?????イライラが止まらない、、今まで最高に仲が良かった、、何にも不満が湧かない相手に、、、、イライラして当たってしまう、、止まらない。そうです、、、問題がない状態こそが、、、自我にとっては脅威なんです。思考してそのエネルギーこそが自我ペインボディシステムの餌です。だからイライラをバンバン打ち出し、、犯人探しをさせて、、相手への憎悪に仕向けます。

問題製造機

自我は問題製造機です、、問題がないと自滅してしまう。だからペインボディの感情を駆使して、、先ずはイライラ、不安、恐怖、を起こし、、思考の渦を生み出す、、、この思考がペインボディの餌になり、、、自我活動は維持される。。私たちはこの自我を維持したまま幸せにはなれるのでしょうか???なれません、、自我は問題がないと死んでしまうから、、自我の動きを完全に見切ってそこに翻弄されないようにし、、最終的に自我の息の根を止めないといけません。

自我とは寄生虫

至福に至れない

残念ながらどう見積もっても自我とは寄生虫みたいなものです。なぜか????野生動物は至福の中で一生を終えます。人間は熟睡中の眠っている間だけ至福の中に居ます。つまり自我が活動していない時間のみが至福で自我が活動中は至福から離れる、、、自我は人間にとって害でしかない、、自己防衛とは名ばかりの寄生虫です。だから過去の人生をいかに美談にしてみてもそれは寄生虫の人生です。ここまで過激な表現にしないと人は美談でこの事実を忘れます。

未来もない

寄生虫に寄生された状態で輝かしい未来って残念ながらないです。サバイブは間違いなくできるでしょう、だって自我という寄生虫が生き残るために何でもやりますから。自殺????とんでもない、、恐怖心をたきつけてそんなことはやらせませんよ。自我は感情をコントロールしますから、、恐怖心を煽ってそうさせないことなど簡単なことです。

見抜く

残念ながら我々は寄生虫のことを「私」と呼びます、、だからその度にネガティブな感情が生まれているのです。「私の家」と思考が湧くたびにネガティブな思考が現れます。これが寄生虫がこの体の中に根付いている証拠です。リラックスして本当の我々に戻ろうとすると、、、つまり思考を止めて今に至ろうとすると、、、イライラ、怒り、恨み、不安、、、という感情が突然湧き出し、思考の渦に巻き込まれます。寄生虫が感情思考を操って寄生虫のストーリーに引き戻すのです。エネルギーを思考に向けさせることで寄生虫は存続を図ります。

極端

自我を寄生虫だと極端に呼ぶのは、、、、この自我は美談すらも利用してそのことに気づかせないようにするからです。あの人は素晴らしい人、この人は素敵、、こうやって事実をうやむやにします。つまり性格が良い人ほどに、、、真実から遠ざかり苦しむのです。自我とは寄生虫です、やることがエグいのです。寄生虫を飼った状態での過去、未来に至福はないです。